内田百閒ってどんな人?
1889年、内田百閒は造り酒屋のひとり息子として岡山県で生まれました。16歳の折に、『吾輩は猫である』を読んだことから夏目漱石に傾倒。高等学校を卒業後、東京帝国大学へ進学します。専攻はドイツ文学でした。
22歳の時、東京内幸町の病院で静養中だった夏目漱石と初対面し、その縁から小宮豊隆、鈴木三重吉、森田草平などの漱石の門下生たちと知り合います。
大学卒業後は、陸軍士官学校をはじめ、海軍機関学校、法政大学などでドイツ語教官を歴任。その傍ら随筆風の作品を数多く発表します。この時期の代表作は『件』、『冥土』、『百鬼園随筆』など。
戦後は、大阪へ汽車旅行をした経験をもとに執筆した『特別阿房列車』をはじめとする「阿房列車」シリーズや、愛猫「ノラ」が失踪した経験を下敷きにした随筆集『ノラや』、内田百閒の代表作の一篇として名高い『サラサーテの盤』などを発表。1967年、芸術院会員に推薦された際に辞退の理由を述べた「イヤダカラ、イヤダ 」という言葉は、百閒の人柄を表すものとして世に広く知られました。1971年、東京の自宅で老衰のため死去。享年81歳でした。
夏目漱石への愛は深く、かくも尊い……
本書は2部構成をとります。すなわち、内田百閒が在りし日の漱石との出来事を記した第1部、漱石の門下生として百閒と親しかった芥川龍之介の回想を綴った第2部から成ります。本書の読みどころは、何と言っても全体の半分以上を占める、夏目漱石の回想を綴った第1部にあります。
百閒にとって、漱石はいつも雲の上の存在でした。漱石の前に出ると、あまりの緊張にろくに口を利くことも出来ず、いつも黙りこくってしまう百閒でしたが、内に秘めた漱石への想いは、誰にも負けません。百閒の果てない漱石愛がひしひしと伝わってきます。
- 著者
- 内田 百けん
- 出版日
『吾輩は猫である』を執筆した漱石の黒檀の机に憧れて、百閒が職人に命じて同じ寸法の机を作らせたかと思えば、漱石が着けていた前掛けに憧れては、さっそく自ら前掛けを着用して真似をするなど、百閒のコスプレぶりはとにかく圧巻です。
譲り受けた漱石の原稿用紙に付着した鼻毛を、百閒がわざわざ箱に封入して大切に保管するといった、漱石コレクターの称号にふさわしい収集癖も健在。とにもかくにも、百閒の尽きない漱石愛を、本書でじっくりと受けとめてください。
内田百閒の作品をお得に読む
目的がないからこそ旅にでる!鉄道文学の嚆矢となった記念すべき随筆集
本書は、語り手の“私”が、弟子の“ヒマラヤ山系”と列車旅行へ出かける内容を綴った随筆集です。旅に出る目的がないにもかかわらず、旅に出ることそのものを目的として、ふたりは列車旅行へと出かけます。ふたりの要領を得ない軽妙な会話が、その旅に彩りを添えます。
用事のない旅とは、いささか贅沢な旅だと思うかもしれませんが、そうではありません。なにせ“私”は、この目的のない旅のために、わざわざ借金まで重ねて1等客車に乗るのですから。したがってタイトルの「阿房」とは、「あぼう」と読むのではなく、わざわざ「あほう」とフリガナが打たれているほど。こうしたふたりのひどく変わった旅の内容が綴られることになります。
- 著者
- 内田 百けん
- 出版日
- 2003-04-24
文学には「鉄道文学」というジャンルが存在します。その代表格に挙げられるのが、『お早く御乗車ねがいます』などの著作がある阿川弘之、『時刻表2万キロ』や『最長片道切符の旅』など筋金入りの鉄道ファンで知られた宮脇俊三です。そんな彼らに大きな影響を与えたのが、いちはやく鉄道関連の著作を刊行した内田百閒その人なのです。本書はそのような意味で、鉄道文学の嚆矢として記念すべき随筆集となります。ちなみにこの3人は、鉄道文学の御三家に数えられています。
この本に興味をもたれたら、他の二人の著作に手をのばしてみると、それぞれの旅の違いが見てとれて、面白く感じられると思います。まずは、“私”と“ヒマラヤ山系”の軽妙な掛け合いが冴える、本書を心ゆくまで堪能してください。