○○な「ような」ものってなに?日常がコメディに変わる
「バールのようなもの」とはなにか、を究極まで考え続ける短編『バールのようなもの』。「発見」「推理」「実験」「後日談」に分かれた4章編成です。といっても短編なのでどれも短い作品。素朴な疑問を追及していたはずが、最終的にはなぜか警察のご厄介になってしまうというストーリーです。
- 著者
- 清水 義範
- 出版日
バール、それは日本語では「かなてこ」といわれる長いくぎ抜きみたいなもの。しかし主人公の「私」が知りたいのは「バール」ではなく、「バールのようなもの」なのです。
それはある日のニュースでアナウンサーが口にした言葉がきっかけでした。「店にはシャッターが降りていましたが、犯人はこれをバールのようなもので破って侵入したもようです」という部分。何気なく聞いていた私ですが、ふと、「バールのようなもの」ってなんだろうという疑問にぶち当たります。
そこで「広辞苑」や「大辞林」などの各国語辞典から、「会社四季報」まであらゆる辞典を繰ってみるのですが「バールのようなもの」という項目は見つかりません。知人、友人に聞いても「バールのようなもの」を明確に知る人は誰もいなかったのです。「バール」が辞書に載っていても「バールのようなもの」が載っていないのは、ある意味当然。しかし主人公は、このことに大変驚くのです。
彼の主張は「Aのようなもの」は類似を現すが、だからといってAと同じものを指すわけではないというもの。「そうはいってもバールのようなものって、バールとほぼ同じじゃん」と思う読者をうならせる部分があります。
「女と、女のようなやつは同じではない」
このセリフには、思わずなるほどねと言いたくなりませんか。当たり前と思っていることが実は当り前じゃない、そんなことに気づかせてくれる名作です。
同時収録の「みどりの窓口」は、駅のみどりの窓口での日常を描いた作品。普通の客と駅員の会話が、だんだんドタバタ劇になっていく、こちらも必見の短編です。なんといってもこれらのシュールな短編は、立川志の輔が落語にて演じるほど、完成度が高いんですよ。
清水義範×西原理恵子!理科嫌いに、おすすめしたい
独創的な画風の漫画家、西原理恵子との共著『おもしろくても理科』。勉強アレルギーが克服できるかもしれないこの勉強シリーズは、他に『どうころんでも社会科』『いやでもたのしめる算数』『はじめてわかる国語』などがあります。
- 著者
- ["清水 義範", "西原 理恵子"]
- 出版日
- 1998-03-13
教育学部出身の清水義範は、『国語入試問題必勝法』や『永遠のジャックアンドベティ』など、勉強を題材にしたパロディを書く一方で、『わが子に教える作文教室』のようにけっこう本格的な勉強の指導書も書いています。『おもしろくても理科』シリーズは、ちょうどその中間にあたるような位置づけで、勉強の内容を真面目に扱いつつ、茶化し気味に書くといった感じの本です。
専攻は国語ですから、実は理科に関しては門外漢の清水義範。作中でも「科学的知識がそうあるわけでもないのに、ほらほら理科っておもしろいでしょう、ということを書いているわけだ。バッタもんと言われるのが当然である」と自虐している様子。しかし科学の専門家が言っていることって面白くないという読者一般人の立場に立ち、普通の人でもわかる理科の本を目指して(バッタもんを承知で)書かれたのが本作です。
「慣性の法則」など一般人が勘違いしがちな部分を丁寧に考察し、より理科の世界を身近に感じれる構成になっています。
合間に入る西原さんの一ページ漫画が、「清水さんの解説ちょっと難しくなってきたな」ってころ合いにうまいこと挿入されているのでよい息抜きになるでしょう。ときには「大学のレポートみてえに途中でワケのわかんねえ文章入れてカサましてねえかおっちゃん」といった毒舌ツッコミが!
理科が嫌いな中学生や、いまだに理科アレルギーを引きずってる大人に読んでほしい本です。
歴史が苦手な自分、卒業!
『偽史日本伝』というタイトルを見てわかる通り、日本史で習う『魏志倭人伝』のパロディです。本短編集に収められているのは数々の時代小説。けれどその時代区分が恐ろしく幅広いのです!
最初に収録された「おそるべき邪馬台国」という話は、日本歴史上最大のミステリー「邪馬台国はどこにあったのか?」を大胆な仮説で解決してしまうトンデモストーリー。邪馬台国ということで舞台はもちろん弥生時代なわけです。
- 著者
- 清水 義範
- 出版日
次にくる「大騒ぎの日」は、蘇我入鹿が暗殺された日に、テレビ中継があったら、ワイドショーのアナウンサーはどのように事件を報道するのかというお話。実際のワイドショーのように、解説者による事件背景の詳しい説明があるため、歴史の教科書で丸暗記していた事件が「なるほど、そうだったのか」と納得できること請け合いです。
さらに、紫式部と清少納言の女の争いを書いた「封じられた論争」、本物の源義経は弁慶だったという逆転劇「苦労判官太平記」が続き、舞台は徐々に中世になってきます。短編集の中盤では、足利幕府、戦国時代、江戸幕府をモチーフにした小説が、そして後半はいよいよ幕末の物語です。
幕末という大変な時に長州の殿様だった毛利敬親を書いた「どうにでもせい」。この話には、清水義範の作品の持ち味がよく出ています。幕末の長州藩を書いた小説といえば、大河ドラマのような壮大なストーリーを思い描きそうなものです。しかしここで書かれているのは、激動の時代にそぐわないおとぼけキャラのお殿様。家来がいうままに流されていたら、なんとなくうまくいってしまったという、どちらかといえば、ほのぼのとした話なのです。吉田松陰も高杉晋作も出てきて、長州征伐も起こっているのに、ほのぼのなのはすごいことではないでしょうか。
もうひとつのすごい点は「どうにでもせい」では、尊王攘夷や公武合体などの幕末の概念がわかりやすい言葉で説明されている点でしょう。そもそも長州の立場も攘夷、尊王、開国、倒幕と、ころころ立場が変わりますから、日本史の教科書で読むと、なにがなにやらさっぱりわかりません。そんなもやもやを払拭してくれる短編といえるでしょう。
本短編集には日本史が苦手な人、この時代とっつきにくいなと感じている人が歴史に興味を持つきっかけになりそうなおもしろ短編が多く載っているのです。