死刑囚が獄中にて考える生と死『宣告』
殺人者であり死刑囚である楠本他家雄が主人公である加賀乙彦の作品が『宣告』です。こちらは日本文学大賞を受賞した作品でもあります。
この作品は加賀乙彦が小菅の東京拘置所に赴任していた際の経験が元になっており、死刑囚の心情や精神状態、実際に死刑が執行される様子などが正確に描かれています。主人公の楠本他家雄のモデルとなったのは、死刑囚の正田昭だそうです。
- 著者
- 加賀 乙彦
- 出版日
作品の中で楠本は毎日死刑の「お迎え」の足音におびえ、それでも人としてのプライドを保っています。その様子をつづる文章は余りにリアルで、しかし生々しさを感じさせないのは加賀の静謐な筆致があってこそでしょう。
ロシアの文豪・ドストエフスキーの作品に『死の家の記録』というものがありますが、『宣告』はその現代日本版としても名高い加賀乙彦の作品です。心理学、カトリック、死刑囚本人の視点など様々なベクトルから洞察された死刑を待つ者の心理を深く知ることができる貴重な作品だと言えるでしょう。
昭和という怒涛の時代を生きる一家の物語『永遠の都』
昭和10年から22年までの東京を舞台とした物語が『永遠の都』です。こちらは全7巻にわたる長編小説なのですが、多様な登場人物と場面展開で飽きることなく深く味わえる加賀乙彦の作品となっています。
外科医・時田利平をはじめとする一族の日々が描かれ、明治・大正から昭和まで移り変わる時代と時田家の世代、目まぐるしく変わる情勢、そして戦争が瑞々しさを以てつづられています。また女性の生き方が丁寧に描かれているのも特徴的で、色恋に関しても登場人物たちを対比させつつ様々な形の恋愛模様を登場させています。
昭和初期の時田一家の様子から物語は始まります。平和な上流階級の日常がリアリティを以て描かれています。利平の娘である初江は夫との間に4人の子供がいますが、夫には満足しておらず第一高等学校に通う生徒の晋助と不倫関係になっています。次女の夏江は一度結婚するも離婚、その後ノモンハンから帰還した菊池透と結婚することになります。しかし菊池はキリスト教信者として迫害を受け、マルクス主義者と混同されてしまい投獄されてしまうのです。
- 著者
- 加賀 乙彦
- 出版日
- 1997-04-25
このように時田一族とそれにまつわる人々の日々が鮮やかに描かれた加賀乙彦の作品ですが、この作品はそれだけではありません。関東大震災や2.26事件など、日本史上の重大事件の数々についても登場人物の視点から生々しく描写されています。日本史の授業で習ったという人も多いでしょうが、『永遠の都』はそれが現代につながる過去の出来事であり、今を生きる人々にとっても決して無関係なことではないのだと教えてくれます。
戦争による不条理さや人間の精神の脆さなど、重厚なテーマを扱うことの多かった加賀乙彦ですが、こちらの作品は時代や世代の移り変わりや人間模様を純粋に楽しめる要素とともに、加賀らしい重厚さも持ち合わせた作品です。
実在したキリシタンの旅路を描く『殉教者』
江戸時代初期に実在したキリシタン・ペトロ岐部カスイの旅の記録を描いた作品が加賀乙彦の『殉教者』です。こちらの作品はなんと構想に30年かかったそうで、加賀自身も実際に巡礼の旅に行った末に書き上げた大作となっています。
ペトロ岐部カスイは江戸時代初期にローマへ渡って司祭となった人物で、日本人として初めて聖地エルサレムを訪問するなど世界をわたり歩いたことでも知られ、「日本のマルコ・ポーロ」とまで呼ばれる人物です。当時日本ではキリシタンへの迫害が激しく、日本にいたキリシタンは国外追放されていました。そんな中彼は追放令が出てから半年もの間日本にとどまって宣教を続けたと言われています。
そしてローマにわたった後司祭としての修練を経て、キリシタン弾圧が過熱する日本に危険も顧みず帰国します。捕えられてからもどんな拷問を受けようが決して棄教せず、自らが死ぬまで信徒たちを励まし続けたのだそうです。
- 著者
- 加賀 乙彦
- 出版日
- 2016-04-26
加賀乙彦も遠藤周作の影響を受けてカトリックの洗礼を受けており、敬虔なクリスチャンであることでも知られています。加賀の他の著作にもカトリックの影響を受けた部分が随所に見られます。
加賀はカトリックの洗礼を受けた当時からペトロ岐部カスイを知っており、彼の立場に立って聖地を巡礼することでキリスト教を理解するようになったと述べています。自らの信仰を深めてくれた存在だからこそ半端なものは書けなかったのかもしれません。危険を顧みず、自分の命が尽きるまで信徒の為に尽くしつづけたペトロ岐部カスイの生き方は、「人の役に立ちたい」と常に第一線で活躍する加賀に大きな影響を与えたことは間違いないでしょう。
30年という長い歳月を以てしてようやく書き上げた『殉教者』は、加賀のペトロ岐部カスイへの敬意と、彼の信仰心が詰まった作品となっています。