大阪生まれの庶民的な文学者織田作之助
織田作之助は1913年大阪市天王寺区に生まれます。実家は生魚商を営んでいました。下町生まれながら第三高等学校文科(現在の京都大学教養部)に入学するほど頭が良かったそうです。在学中には同人誌を創刊し、戯曲等を発表しました。最初は劇作家を志していたようですが、スタンダールの『赤と黒』に影響を受けて小説家を目指すようになります。
社会人になってからは新聞社に勤務する傍ら、小説を書き続けました。『夫婦善哉』が改造社の第一回文芸推薦作品になると次々と作品を発表し、本格的に小説家として活動を始めます。『夫婦善哉』は戦時中に書かれたものですが、浄瑠璃の世界をパロディ化した悲しくも滑稽な恋愛物語。戦時下の生活を皮肉めいた目線で書きだす『世相』など時代の暗さをものともしない大阪作家の底力が織田作之助の魅力です(あまりに自由に書きすぎて『青春の逆説』などは時節柄ふさわしくないということで発禁処分になっていますが)。
庶民的な生活を生き生きと描いた作家、織田作之助。ファンからは「オダサク」の愛称で親しまれています。
織田作之助の半自伝的小説 『青春の逆説』
『青春の逆説』は織田作之助の自伝的小説といわれています。自意識過剰気味の青年毛利豹一の半生を書いた小説です。この豹一は女ならちょっと振り返るほどの美少年で、学校の成績も優秀なのですが、あまりに自尊心が強く恋愛行動でもヘンテコな行動が目立ちます。常に自分が行う行為に理由をつけないと気が済まないのです。その様は傍から見ている読者としてはあまりに滑稽で、コミカルです。
- 著者
- 織田 作之助
- 出版日
- 2008-07-25
例えばこんな場面があります。青年になった豹一は「日本畳新聞」という新聞社に勤めることになりますが、1年半勤めても昇給の気配がありません。実はこの会社には昇給システムがないのですが、
「少しも昇給しないのは侮辱されているようなものだ」
プライドの高い豹一はすっかりしょげてしまい、そんな風に昇給を期待している自分自身をも嫌になります。さらに自分が書いた記事の扱いに憤慨した彼はいきなり「会社を辞めます」と宣言し、外に飛び出してしまいました。失業者になった豹一はダンスホールをかねたような派手な喫茶店に迷い込みます。近寄ってきた女にボタンが取れたよれよれの上着のことを指摘された豹一は、この場で彼女をものにしたらきっとみじめな立場が回復するだろうと考えるのです。
しかし衆人環視の中で女をものにするなんてどうしていいのか豹一にはわからりません。こんなことではだめだ、と思った豹一は百を数えるうちに女の手をいきなり掴もうと決意します。そこで心の中で数を数え始めます。百まで数えてなにもできなかったら自分はおしまいなんだと切羽詰まった気持ちで。女が話しかけても答えず、しまいには声を出して数を数えるので女はあきれてこの人は気違いなんじゃないかと思い出す始末。この描写は本当に笑えて、コントが漫才のよう。
織田作之助のあっけらかんとした世界観が悲しくもおかしい青年期の心情を見事に描き出した長編です。
織田作之助の作品をお得に読む
メディア化もされた織田作之助の代表作 『夫婦善哉』
織田作之助の代表小説です。映画、テレビドラマ、舞台と様々なメディア作品の原作となりました。「三勝半七」という浄瑠璃のパロディだそうです。
しっかり者の芸者蝶子と道楽者の柳吉、でこぼこ夫婦の物語。蝶子は陽気な性格の娘で自分から芸者に志願し、座敷の盛り上げ役に。そんな蝶子が入れ込んだのは妻子持ちの安化粧問屋の息子柳吉。
二人は駆け落ちするのですが、そんなさなか関東大震災に巻き込まれます。蝶子の実家を頼った二人ですが、収入のない柳吉に代わって、蝶子がヤトナ芸者(日雇いの芸者)で稼ぎます。
- 著者
- 織田 作之助
- 出版日
- 2016-08-27
そんな蝶子をしりめに、柳吉は実家に残してきた自分の娘に未練たらたら。絶縁された実家に顔を出すのですが娘には当然あわせてもらえません。自暴自棄になった柳吉は蝶子の貯金を下ろし、二日で使い果たしてしまいます。蝶子は怒って家を飛び出します。
こんな風に蝶子が稼ぎ、柳吉が浪費する繰り返しの末、夫婦善哉をすする二人の姿が微笑ましいラストにつながっていきます。
ちなみに『夫婦善哉』は新潮文庫、岩波文庫、講談社文芸文庫など各出版社から文庫版が発売されています。同時収録されているほかの短編のタイトルを考慮しながら、お好きなものを選んでください。