函館の地から見える江戸の暮らしを描いた宇江佐真理
宇江佐真理は、1949年函館生まれの作家です。函館大谷女子短期大学卒業後、会社勤めをしながら小説を書いていました。29歳で結婚後、1995年『幻の声』でオール讀物新人賞を受賞してデビューしました。2000年『深川恋物語』で吉川英治文学新人賞、2001年『余寒の雪』で中山義秀文学賞を受賞しています。
宇江佐真理は、江戸に暮らす市井の人を題材にした時代小説作品が多く、江戸の町を生き生きと描いていますが、実は生まれも育ちも函館で、函館を出たことがなかったというから驚きです。では、なぜ江戸の町を隅々まで知り尽くしているかのような細かい描写ができたのかと言えば、江戸古地図の存在と、彼女の類い稀なる想像力の賜でしょう。
江戸の暮らしを書いた代表的なシリーズものに、「髪結い伊三次捕物余話」シリーズや「泣きの銀次」シリーズがあり、シリーズもの以外にも数多くの作品を書きました。
また、宇江佐真理は、自分の地元である北海道の松前藩や蝦夷藩を舞台にした、『蝦夷拾遺 たば風』などの作品も残しています。松前藩の話を書くことは、ライフワークになっていたということです。
彼女は、台所に置いたテーブルの上で執筆を続けたそうです。歴史に名を残すような人でなくても、毎日を丁寧に生きている庶民の生活を愛しく感じている宇江佐真理の書く小説は、とりたててドラマチックなことがなくても、読んでいてほろりとさせられることが多いのです。誰もが、普通に繰り返している日常の中で、ふとした時に感じるちょっとした喜びやちょっとしたさみしさに似たものを、彼女の小説の中に見つけることができるからではないでしょうか?
普通の人の物語をまだまだ書いて欲しかったのですが、病を得て、2015年11月7日、66歳で永眠しました。「髪結い伊三次捕物余話」シリーズ11作目の『明日のことは知らず』の“文庫のためのあとがき”で彼女は、自身の病気に触れ、「私の病状が悪化して、よれよれのぼろぼろになっても、どうぞ同情はご無用に。私は小説家として生きたことを心底誇りに思っているのであるから。」と書いています。
読者も、宇江佐真理の小説と出会えたことをこの上なく幸せに思っているのです。
宇江佐真理の代表シリーズ
このシリーズは、自分の店を持たず、客の家に出張して仕事をする“廻り髪結い”の伊三次が主人公です。伊三次は、両親が早くに亡くなったので、姉の嫁ぎ先に引き取られました。義兄は髪結いの技術を教えてくれましたが、姉達に息子が多いのでいつまでたっても下働きで、自分の店が開ける見込みがなかったことから姉の家を飛び出して廻り髪結いをするようになります。
妻のお文は、生まれてすぐに養女に出されて両親の顔を知らずに育ちました。男勝りで曲がったことが大嫌いなお文は深川で芸者をしており、相手が誰であろうと自分の意見を言う強さを持っています。
口数少なく意地っ張りで男前の伊三次と、曲がったことが大嫌いな姉御肌のお文。はじめ25歳だった2人は、けんかをして別れたこともありましたが、お文の家が火事で焼けたことをきっかけに結婚し、伊与太・お吉という1男1女の子どもをもうけます。若かった2人も子ども第一に生活するようになっていきます。
- 著者
- 宇江佐 真理
- 出版日
伊三次とお文の会話によく登場する「おかたじけ」「おきゃあがれ!」などの江戸独特の言葉に流れる粋な雰囲気が素敵で、憧れてしまいます。
伊三次には、廻り髪結い以外に、北町奉行廻り同心である不破友之進の小者というもうひとつの仕事があります。不破とは長年にわたって家族ぐるみのつきあいをしているため、不破の息子の龍之進、娘の茜、妻のいなみの作中登場回数も多いです。少年だった不破の息子・龍之進もいつしか父親と同じ同心への道を歩み始めます。
不破と伊三次が探っていく事件と、お互いの家族の成長を軸に話が進んでいきます。
家族の変化も感慨深いのですが、登場人物がそれぞれ、人との絆を大切にしている姿や、普通に送る日々の大切さが、じんわりと感じられる作品です。
この「髪結い伊三次捕物余話」シリーズは、1作目の『幻の声』から16作目の『擬宝珠のある橋』まで約20年にわたって書き続けられました。
銀次はなぜ泣くのか?怖いからじゃない、命がいたましいから泣けるのだ!
主人公の銀次は、北町奉行所の定廻り同心・勘兵衛の下で小者として働いています。老舗の小間物問屋の息子として生まれた彼ですが、裕福な実家を勘当されてまで、小者でいたのには、ある理由がありました。
どんなやくざ者や人相の悪い者にもひるむことのない銀次ですが、事件現場で死体を見ると泣きじゃくる癖のため、「泣きの銀次」と呼ばれていました。
銀次には、18歳の時、最愛の妹がお稽古事の帰りに暴漢に襲われ殺害されたという過去があります。それ以来、銀次は妹を殺した犯人を自分の手で捕まえるために、その件を調べていた同心の勘兵衛のもとで働くことにしました。ところが、岡っ引きとなっても、死体を見るたびに、その人の生きていた時の笑顔が頭に浮かんで、泣くのを止めることができなくなっていたのです。
泣きじゃくった後、銀次がきまって顔を見に寄るのは、勘当された実家の女中をしているお芳のところでした。銀次のことを坊ちゃん扱いすることもなく、さっぱりとした気性の持ち主のお芳といると、なぜだか銀次は、弱いところも隠さずさらけ出せて安心できるのでした。
さて、勘兵衛、銀次、そしてお芳の父親であり、銀次と共に勘兵衛の小者を務めている弥助が、疑いを持って見ている人物がいました。それは、湯島の昌平黌の学者・叶鉄斎です。鉄斎への疑惑とは?銀次は、妹の仇をとることができるのでしょうか?
- 著者
- 宇江佐 真理
- 出版日
- 2000-12-08
無惨な事件が起こるのにも関わらず暗くよどんだ雰囲気がしないのは、銀次をはじめとする登場人物達のからっとした江戸っ子気質が、お互いをさりげなく気遣う陽性の優しさに満ちているからだと思います。
このシリーズは、この後に『晩鐘-続・泣きの銀次』『虚ろ舟 泣きの銀次 参之章』の2冊が出ています。