砂の器〈上〉 (新潮文庫)
数々の名作を残してきた松本清張ですが、そのなかでも何度も映画化・ドラマ化された不朽の名作が本作。陰惨な殺人事件をとおして、昭和という時代に翻弄された登場人物たちの悲哀が描かれています。差別や村八分など、決して過去のものとはいえない、忘れてはいけない問題を、今なお提起してくる名作ミステリー小説です。 今回は、そんな本作『砂の器』の内容を詳しくご紹介。不朽の名作の魅力を、ぜひ感んじてみてください。

本作は映画化やドラマ化されるたびに、その時代に合わせて、少しずつストーリーに変化が加えられている作品です。
まずは、原作のあらすじを見ていきましょう。
ある早朝、国鉄の操車場で、男の遺体が発見されます。身元不明のこの男は、前日の深夜、近くのバーで連れの男と東北の方言で話し込んでいたということが判明。その会話のなかに何度も「カメダ」という言葉が出てきたことから、そこから手かがりを掴もうとしますが、捜査は行き詰まってしまいます。
砂の器〈上〉 (新潮文庫)
1973年03月01日![]()
事件は、被害者の身内が名乗り出てくることによって、一気に動き出します。「カメダ」の謎が、東北とは違う方言に関わっていることを解明するのです。そして捜査を進めていくなかで浮上してきたのは、本浦秀夫という男でした。
また、ストーリーは、殺人事件に関する展開とともに、もう一方で音楽家・和賀英良という人物を映し出します。彼は音楽家として飛躍する絶好のチャンスを迎えていたという設定で、この物語の重要人物。
彼らの存在は、どのように事件に関わってくるのでしょうか。
本作はミステリーとはいえ、本格物のような、謎解きをして犯人を探し当てることが目的とはいえません。松本清張が社会派ミステリーの書き手であったとおり、登場人物たちの心情、または時代背景を感じながら味わう物語といえます。
本作は映像化によって一段と知名度が増した小説です。長い原作を壊すことなく、適度な変化を加え、映像で魅せる場面を効果的に表現したメディアミックス作品があったことでさらに読者層を広げていったのです。犯人が暴かれ、その悲しい動機が明らかにされる後半の展開は、まさに「泣けるミステリー」ともいうべきもの。映画ならではの表現のすごさを感じられるでしょう。
1974年、あらゆる賞を総なめにした映画化第1作目を皮切りに、ほぼ数年ごとといえる頻度で映像化されています。 近年ではドラマ化が多く、TBS・フジテレビ・テレビ朝日が手掛けました。2004年は中居正広、松雪泰子などが、2011年には佐々木蔵之介、玉木宏などが出演しています。
ここからは原作だけでなく、少々ドラマ版との違いなどとも交えて本作をご紹介していきましょう。
ここでは登場人物について整理します。
今西栄太郎
事件を担当する、捜査一課の巡査部長。地道な捜査で事件の真相を突き止めていきます。俳句が好きな趣味人。
本浦秀夫
ハンセン病患者の父とともに村を追い出され、旅の途中で三木巡査に保護されます。事件に関わる重要な人物。
和賀英良
将来を期待されている、天才的な音楽家。原作では前衛音楽ですが、映画ではピアニストになっています。
本浦千代吉
ハンセン病を患い、差別により村を追い出され、息子・秀夫とともに旅に出た人物。三木巡査に保護されてから療養所で暮らしていますが、彼の存在が事件の重要な鍵になります。
三木彰吉
誰からも好かれている、善良な駐在所の巡査部長。まじめな性格ゆえに、事件に巻き込まれ被害者に……。
関川重雄
和賀英良の仲間であり、評論家。いかにも怪しい影を持つ人物。映画には登場していません。
吉村雅哉
今西とともに事件を追う、若手刑事。今西の右腕となり、活躍します。
作者・松本清張は、芥川賞受賞している明治生まれのベストセラー作家。歴史、現代、推理、時代ものなど、幅広いジャンルで活躍しました。そんななかでも『点と線』『ゼロの焦点』などのミステリー小説を次々とヒットさせたことから、戦後の推理小説界の代表的存在として知られています。
点と線 (新潮文庫)
1971年05月25日![]()
特に、時代を映し出し、問題を提起する社会派推理小説に定評がありますが、 評論やノンフィクションも手がけ、綿密な調査や研究による『日本の黒い霧』『昭和史発掘』などの作品は、小説家という分野だけにはとどまらない評価を受けました。
彼の作品は、数えきれないほど映像化されており、不動の人気を誇る小説家です。
本作のドラマ版では、津山事件が大きな役割を果たしています。しかし、原作版には登場しません。現代で、医学や人々の理解が進んだハンセン病を主軸にするには、少々弱かったからでしょう。
そのためドラマ版は、根本的に原作とテーマが違うものだったと考えられるでしょう。
この大畑事件というのは、実際に起こった事件がモデルとされています。昭和13年に岡山で起こった「津山30人殺し」といわれる大量殺人事件が、それです。
この事件の動機も、村八分や差別への怒りから生じているもの。そういう意味では、原作のテーマである差別や偏見と共通しているということになります。
『砂の器』の重要なテーマとなっているのが、ハンセン病と差別の問題です。
ハンセン病とは、ライ菌という菌によってもたらされる感染症。菌を発見したノルウェーの医師ハンセン氏からその名がつけられましたが、それ以前はライ病と呼ばれていました。
神経や皮膚に症状が現れるため、外見や感染を恐れての誤解を招き、そのうえ知識や理解が乏しかったことから、世界的に差別されることが多かった病気です。感染する恐怖から、患者は当たり前のように隔離されました。
物語のなかの本浦千代吉親子も、村八分にあい、遍路の旅に強引に出されることになります。酷い話だと感じるかもしれませんが、それが当然のようにおこなわれていた時代だったのです。
そのような差別が、やがて殺人事件を巻き起こしてしまう火種となるのです。
本作はテーマも重く、ドラマ性の強い作品ではありますが、警察が謎を追っていく過程は、まさにミステリー的要素たっぷり。「カメダ」の謎も東北訛りというところから、秋田県にある「羽後亀田」にたどりつきます。
しかし、やがて被害者が東北に何の関係もないことがわかり、「カメダ」は再び謎に逆戻りしてしまうのです。しかし島根県に、東北訛りに似た地域があることを知り、そこに「亀嵩」という駅名があることを発見します。
『砂の器』は音楽や方言など、音にこだわっているように思えますが、その最たるものが「超音波殺人」というものです。
名前のとおり、超音波を凶器として、それを放って人を殺すというもので、びっくりするような発想ですよね。しかし、現実的にはややこの凶器は無理があるようで、映画化の際にはまったく取り上げられていませんでした。
蒲田駅から始まった物語は、やがて「カメダ」という手がかりから奥出雲へと移っていきます。この地は、作者・松本清張にとってゆかり深い土地でもありました。父親が隣の鳥取県の出身であり、彼も何度もここを訪れたことがあったのです。
SLが走っていた場面が印象的だった亀嵩駅は、ひっそりと佇む、趣深い駅。海沿いは、漁港を囲む山々が美しい、のどかな地域となっています。
この亀嵩地区には、本作のファンが多く立ち寄るのだそう。ここの地区にあり、ドラマのロケ地にもなった湯野神社には記念碑が立てられ、清張の直筆の文字が刻まれています。ファンなら、ぜひ見にいきたいスポットといえるでしょう。
この他にも、この地域には小説に登場した場所以外にもドラマのロケ地が多数存在するので、原作は読んでいないけどドラマは見たという方も、楽しんで聖地巡りができるかもしれません。
推理小説の常識として犯人は当然捕まるのですが、本作の面白さは、刑事対犯人のリアルな人間どうしの戦いの部分ではないでしょうか。科学技術による捜査よりも、刑事のカンや推理が中心となっています。
- 著者
- 松本 清張
- 出版日
- 1973-03-01
ネットなんか当然無い時代。こつこつと自分の足で現地におもむき、しだいに犯人を追いつめていく刑事たちと、追い詰められつつ巧みにその手から逃れようとする犯人のぶつかり合いに、面白さを見出す推理小説といえるのかもしれません。
捜査を続けていくなかで浮上してきたのは、本浦秀夫という人物でした。ハンセン病にかかり、住む場所を追い出された父親の存在。捜査の進展と合わせるように、再び起こる殺人事件……。彼の過去が明らかになっていくとともに、物語は怒涛のクライマックスへと向かっていきます。
秀夫は過去を消し去るため、他人の身分や戸籍を盗む「背どり」をしていました。差別から逃げるため、本来の自分を捨てて、まったくの別人になる道を選んだのです。このことが、今回の事件に大きく関わってくるのでした。
なぜ、善良な三木巡査は殺されてしまったのか。そして、秀夫はいったい何者なのか。差別のおそろしさが招いた悲しい殺人事件の結末を、ぜひ見届けてください。
時代が変わっても、常にイジメや差別の問題は無くなることがありません。読み続けられ、設定やストーリーが変わっても、数年おきに映像化され話題になる『砂の器』は、私たちにこれらについて考える機会を与えてくれているのではないでしょうか。