芥川賞、直木賞の創始者菊池寛
菊池寛は1888年香川県に生まれました。菊池の最大の功績といえば、文芸雑誌の代表格『文藝春秋』を立ち上げ、芥川賞、直木賞を作り出したことでしょう。
一方で太平洋戦争中には文藝銃後運動を発案し、文藝者の立場から戦争を支援する組織を作り出しました。このことで戦後に批判される事もある作家ですが、どちらにせよ、プロデューサーとして超一流であったことは事実です。作家をまとめることに才能を見せた菊池寛。では、彼自身の作品はどんなものだったのでしょう。
菊池寛の代表作がそろった短編集
まずは知名度が高い歴史系の短編10篇を収めた岩波文庫の短編集をご紹介します。テーマ主義(最初に作品のテーマを決めてから、小説の筋を率直に展開する方法)といわれる菊池寛の特徴がよくでているのがこの短編というジャンルです。
特に有名なのが「恩讐の彼方に」。主人公市九朗は、主人である旗本三郎兵衛の愛妾との不義密通の末、三郎兵衛を切り殺してしまいます。逃亡生活の中、転げるように悪党の道に染まっていきますが、ある日この醜い生活が嫌になり、その罪を懺悔するため僧になります。
懺悔のための全国行脚の途中で、通行人が何人も亡くなっているという山道に差し掛かる市九郎。彼は犠牲者を無くすために山を遮る絶壁に穴を開け、通路を開こうと計画します。絶壁は分厚く初めはその計画に見向きもしなかった人々ですが、毎日熱心に採掘を続ける市九朗に感化されて徐々に援助者が集まりだすのです。
そんな時、敵討ちに出ていた三郎兵衛の息子、実之助が市九朗を発見します。周りの人から説得され道が開くまで刀を押しとどめる実之助。貫通作業を見張る内に、採掘を手伝うようになるのですが……。
人の善性を書き出した、菊池寛の代表作です。
- 著者
- 菊池 寛
- 出版日
一方で、人の残忍さをよく表したのが同短編集に収録されている「三浦右衛門の最後」。今川氏元の寵愛を受けていた美貌の小姓三浦右衛門はあまりの寵愛ぶりに周囲からの妬みを買い、裏では今川の凋落の責が彼ひとりにあるかのように噂されていました。
織田の軍勢に攻められ、今川の館から逃げ出した右衛門は高天神の城主天野刑部を頼ります。今川に人質にされていた刑部に右衛門はよくしてやり、「この恩は忘れませぬ」といった彼の言葉を信じたのです。
しかし、織田勢有利とみた刑部は右衛門の首を織田勢に差し出そうとします。刑部は右衛門を主人を見捨てた忘恩の輩と罵って、処刑に及びます。その席で右衛門はひたすら「命ばかりは助けてくだされ」と哀願を続けるのですが……。
ここに書かれているのは潔さを本懐とする武士の姿ではありません。百姓の前で無様に土下座し、残忍な嘲笑の中で玩具のように少しずつ殺されながらそれでも「命が惜しい」という人間そのものです。そして、一方でそれを笑いながら見ることが出来る人の残酷な側面。背筋の寒くなる話ですが、人間の本質を描いた、紛れもない菊池寛の名作です。
戯曲作家としての菊池寛
次も短編集ですが、これは小説ではなく戯曲集です。「父帰る」と「屋上の狂人」は草薙剛が出演した舞台劇として2006年に公開されています。大正初期の作品ですが、現代に蘇っても古さを感じさせない作品です。
- 著者
- 菊池 寛
- 出版日
- 2016-10-19
「屋上の狂人」は現代に通じる深みを感じさせてくれます。舞台は瀬戸内海の島。島で屈指の財産家勝島家の長男義太郎は狂人です。いつも屋根に上っては妄想めいた話をしているので父の儀助は怒りが収まりません。なんとか引きずりおろそうと躍起になっています。きっと彼には狐でもついているのだろうということで、巫女が呼ばれて狐を退治する儀式を行うというのですが……。
義太郎の弟末次郎のいう「兄さんのように毎日喜んでおられる人が日本中に一人でもありますか」というセリフが感慨深いです。一体世間的にまともであることがどれだけ本質的な幸せに繋がるというのでしょうか。考えさせらる作品です。