万能すぎる特効薬
フィリップ・K・ディック作品ではたびたび超能力者が登場し、ストーリーに大きく絡んできます。『ユービック』ではその超能力者たちが主役となり、物語が展開されます。
この物語の中心となるのが不活性者です。この不活性者というのは「超能力者を無効化する者」です。今作はそんな不活性者であるジョー・チップを主人公にしてストーリーは進みます。
ジョー・チップの所属する会社は超能力者による産業スパイ対策を事業としています。そんな会社に大物から依頼が転げ込み、会社所属の11人の不活性者は超能力者と戦うべく月に向かうことに。しかし現場には超能力者の痕跡はなく、その代わりにヒューマノイド型の爆弾がさく裂、不活性者たちの半数が死亡し生き残ったジョーたちは命からがら地球へ逃げ帰ります。
この1件がすべての始まりでした。
- 著者
- フィリップ・K・ディック
- 出版日
ジョー・チップを含む生き残った不活性者たちの身の回りで不可解な現象が起きます。それは「時間の後退」です。持っていたお金が古くなる、飲もうとした飲み物が腐る……などなど、最初は些細なものでしたが、徐々にその変化のスケールは大きくなり、ジョーの知り合いがコインに刻まれるなど、歴史すらも変化し始めます。
そんな「時間後退」を阻止できる唯一の存在がタイトルにもなった“ユービック”です。ジョーはユービックを手に入れるため、逆行する時間の中で行動をとっていきます。
この物語の推進力となっているのは「時間後退」のミステリーです。しかし、それ以上にユービックの存在がユーモラスで、「ユービックってなんやねん!」と思わせる面白さが随所にちりばめられています。
物語の章境がくるたびに、ユービックのコマーシャル文が挿入されており、その文言がとても面白くユービックの謎を深めるばかりです。その宣伝文句によると「ユービックは車でコーヒーとして飲め、フレンチ・イタリアンとはまた違ったサラダドレッシングでもあり、胃薬や頭痛薬にもなって現在在庫一掃大セール中」とのことです。
タイトルで示されるユービックと、乱れ飛ぶ広告、そして時間が逆行する異常事態……混沌としたサスペンスフルな状態でもユーモアを忘れぬディックの遊び心、そして物語をシャープに表現する彼の無駄のない文章など、フィリップ・K・ディック長編を代表する1作となっています。
もしも、第2次世界大戦が……
SFと一口に言っても様々なジャンルがあります。この『高い城の男』はそのジャンルのひとつ「歴史改変SF」に該当する名作です。
歴史改変SFは文字通り歴史を変更し「if」(もしも)の世界で物語を作るところに特徴があります。そして『高い城の男』の舞台となった世界は「第2次世界大戦で枢軸国が勝利した」ものとなっています。
枢軸国……すなわち「ドイツ・イタリア・日本」です。実際の歴史では、第2次世界大戦はその国々が敗北しました。しかしこの『高い城の男』は枢軸国が勝利した世界が事細かに描写され、その中で物語が作られています。
物語が展開されるのは旧アメリカ合衆国です。大日本帝国とナチスによって分割されたその国では、「もしも連合国が第2次世界大戦で勝っていたら」という「もしも」の小説が流行中でした。その小説を書いた男というのがタイトルにもなった「高い城の男」です。
物語はこの「高い城の男」を中心とする群像劇として進められていきます。
- 著者
- フィリップ・K・ディック
- 出版日
- 1984-07-31
歴史改変SFとして優れた今作は、冒頭から読者を引き込んでくれます。最初のシーン、あるアメリカ人が経営する商店に日本人がやってくるのですが……その日本人の態度というのが、まさに「大日本帝国」的なものです。傲慢でありつつ、静かに侮辱を織り交ぜるその態度はリアリティに溢れています。日本人から見て「こういう帝国軍人いるよね」と思わせるフィリップ・K・ディックのセンスには脱帽する他ありません。
実際の歴史とは正反対のシーンに思わず興味をそそられ、ページをめくる手が止まらなくなってしまうでしょう。またアメリカ人の吸うタバコのパッケージが日本語であるなど、細かな描写もふんだんに盛り込まれています。
枢軸国が勝利した世界大戦……そのもしもの世界で、もしもの物語を描く「高い城の男」。群青劇の行き着く先を、ぜひともその目で確かめてみてください。
世界から消えた男
もしも、あなたという存在が世界から抹消されたら……どうしますか?あなたの免許証に記されたデータは無意味なものとなり、住人台帳からもその名が消えてしまいます。あなたに関するすべてのデータが消滅し、あなたは完全なる「ナナシ」となって……。そんな不条理な展開が『流れよわが涙、と警官は言った』で繰り広げられます。
超人気テレビ番組の司会者であるジェイソン・タヴァー。彼は俗にいう「イケてる」人物で、タヴァーは全世界3000万人のファンから愛される超売れっ子のマルチタレントです。富、名声すべてを手に入れ悠々自適の生活をすごすジェイソン・タヴァーでしたが、彼はある日見たことも聞いたこともないボロホテルで目覚めます。
彼の懐からは身分証明書がなくなっており、超人気者でみんなに知られているはずなのに、彼の存在はすべての人から忘れ去られていました。ファンから忘却されるだけでなく、知人ですらも、ジェイソン・タヴァーが誰なのかわからない……そんな不条理に直面した彼は、自分の存在を取り戻すために行動を開始します。
- 著者
- フィリップ・K・ディック
- 出版日
突然、自分が世界から消える。その不条理の描写がとにかく怖い。ホテルで目覚めたジェイソン・タヴァーは、所属するタレント事務所に電話を掛けるも、「いったいどなたでしょうか?」と聞き返されてしまいます。
またなじみの弁護士事務所に連絡し、
「わたしの名前を聞いたことがないのかね? ミスター・タヴァー・ショー、火曜の夜の九時からだがね」
と訴えるも「申し訳ございません」と一蹴されるタヴァーの姿は小説ながらに背筋をゾクリとさせてくれます。
この1連のシーンは物語の冒頭ながら、ポッカリと口を開けた不条理の深淵の恐ろしさを読者に知らしめてくれます。ジェイソン・タヴァーに起きる不条理はこれだけでは終わりません。そして、物語ラストでは衝撃的な事実が明らかとなります。