書くことは心の歌をうたうこと!短歌や俳句の素養もある葉室麟
葉室麟は、1951年福岡県生まれの時代小説・歴史小説作家です。西南学院大学卒業後、地方新聞の記者をしながら書いた『乾山晩愁』で歴史文学賞を受賞し、作家となりました。2007年に『銀漢の賦』で松本清張賞を、2012年には『蜩の記』で直木賞を受賞しました。
葉室麟は作品の中で、時代や環境に翻弄されながらも決してあきらめることなく果敢に立ち向かう人間や、人生を達観して穏やかに生きる人間の姿を描いています。また、記者時代に出会った、職業も年代も様々な多くの人達から得たものが、作品にリアリティを生み、生き生きとした人間描写につながっているとのことです。
そんな葉室麟は、子どもの頃、貸本屋に通い、手塚治虫や白土三平の漫画をよく読んだといいます。また、若い頃から和歌・俳句も詠んでおり、作品にも和歌や俳句が効果的に使われているのです。
武家社会を描いた作品の他に、彫刻家や茶人、俳人など芸術家の心情や芸術作品を緻密に表現した作品も多くあります。そこには、“生きていくうえでの切なさや苦しみ”を繊細に受け取って作品として昇華する芸術家を書くことで、人生において大切なことを読者に伝えたいという彼の思いが感じられます。
近年は、先輩や同世代の作家仲間が次々と倒れていく中、“自分に託されたもの”があるなら、限られた残り時間の中でできる仕事はやろう、という気持ちのもと、精力的に新しい作品を生み出しているとのことです。
自分が生きていく意味は先祖が生きてきた歴史の中にこそある、という葉室麟。彼が思う本当の日本人のあるべき姿を表現できるのが、時代小説や歴史小説なのでしょう。
また、葉室麟は、インタビューの中で、「書くことは心の歌をうたうこと」、「文章は、何かを説明すればいいというものではない」と言っています。確かに、彼の作品には、行間からにじみ出てくるものがあり、それによって読者は、心を動かされるのです。
知恵と度胸で大切の人を守ってみせる!女の心意気!
菜々は、藩士であった父親がいわれのない罪で切腹してから母の実家である元庄屋に身を寄せていましたが、母も病気で亡くなった後は、16歳で、城下にある風早家という武家に奉公に行くことになりました。
風早家は、主人の市之進、妻の佐知、4歳になる正助と3歳のとよ、という4人家族で、家族みんながドジな菜々にも優しく接してくれ、菜々の憧れの家族でした。まさに清貧を地でいく生活で、ぜいたくはできないけれど思いやりのある家庭だったのです。
ところが、まだ若い佐知が結核で亡くなり、主人の市之進もあらぬ疑いをかけられ、遠い親戚のいる土地へと島流しのようになってしまいます。市之進から幼い子どものことを頼まれていた菜々は、正助ととよが食べるのに困らず暮らしていけるよう奮闘します。
- 著者
- 葉室 麟
- 出版日
- 2015-11-12
次々と苦労を強いられる菜々が、苦労をものともせずいつでも明るく前を向いて何事にも当たっていく姿がとても魅力的です。お金はなくても知恵を絞って自分の力で運命を切り開いていく菜々は、不可能と思えることにも挑戦していきます。人は、守るべきものがあると、こんなにも強くなれるのかと胸が熱くなります。
明るい菜々でしたが、ずっと心の奥に秘めていることがありました。そのために、剣術指南から剣術の稽古まで受けていたのです。菜々が成し遂げたいこととは、何なのでしょうか。
この作品には、他にも魅力的な人物が多く登場します。剣術指南、塾の先生、質屋の女、やくざ者の男、みんなはじめは菜々につっけんどんに接していましたが、菜々のひたむきさに心を動かされ、いつしかみんなで菜々を応援し、力を貸すようになります。
読んでいる最中も菜々に勇気づけられ、読後感も最高のストーリーです。大切な人にプレゼントするのにもおすすめできる本です。
江戸から明治、激動の時代を生き抜いた2人の男!心に迫る歴史小説
“月の章”、“神の章”の2つの章から成る物語です。
前半の“月の章”の舞台は福岡藩。藩士、月形洗蔵は、尊皇攘夷派の中心人物として福岡藩を盛り上げようとしますが、藩主である黒田長溥は、西洋文化に傾倒し、蘭学を取り入れたり西洋式の軍隊訓練を取り入れたりと、洗蔵の考えとは相容れないものがありました。
尊皇派の活躍をうとましく思っていた長溥は、尊皇派の藩士達を幽閉したり、都合のいいときだけ、人望の篤い洗蔵を利用したりして翻弄した挙げ句、最後には、洗蔵達を斬首の刑に処したのです。親類ということで投獄されていた、洗蔵の従兄弟である潔は、壁1枚隔てた向こう側から、洗蔵の処刑の様子を聞いていました。
“神の章”は、舞台を北海道に移し、潔の生き様を描いています。時を経て、子どもの頃から年長の従兄弟である洗蔵に憧れていた月形潔は、北海道へ行く船に乗っていました。政府の役人として北海道の地に大きな集治監(監獄)を建設するためです。これが、潔の北の大地での苦難の日々の始まりでした。
監獄をどこに建設するかを探すのも、北海道の自然に慣れていない潔達にとってはひと苦労です。森で出会ったアイヌと日本人とのハーフであるレコンテという青年やその祖母の助言を聞いたものの、アイヌの考えでは、木を伐採することも自然に反することでした。それでも、アイヌの人達の話も真摯な姿勢で聞き、真っ直ぐな心の潔は、頑ななレコンテからも好意を持たれます。
囚人達を獄舎の建設工事に働かせ、また、囚人も看守達も同じ施設で暮らすからには衝突は避けられず、毎日のように脱走者が出る始末でした。凍てつく寒さの中、問題の起こらない日はありません。囚人達も看守達も身体が弱っていく中、典獄(監獄の長)としての任務に邁進する潔。
かつては投獄されたこともある自分が、政府の手先となって監獄を作っていることを情けなく思う潔でしたが、遠く福岡からついてきた妻は、潔の仕事を認め、よけいな口ははさまず自分にできることを探して、いつも穏やかに潔を支えます。
- 著者
- 葉室 麟
- 出版日
- 2015-08-07
洗蔵も潔も実在の人物です。潔達が作った監獄には、何度捕まっても脱走を繰り返したことで有名な“五寸釘虎吉”が囚人として投獄され、剣術指南として新撰組副長の永倉新八が勤めていました。リアルな歴史の読み物としても、興味深く読むことができます。
潔が少年だった頃に洗蔵が言った「わしら月形家の者は夜明けと共に昇る陽を先導する月でなければならん。」という言葉が響きます。
数えきれないほど多くの先達の働きが土台にあって、現在、私達が生かされていることを感じる、重厚な作品です。