作家、小川洋子といえばやはり、映画化もされた『博士の愛した数式』をご存じの方が一番多いのではないでしょうか。しかしそれ以外にも、彼女の作品は多岐に渡ります。今回はそんな小川洋子作品を厳選して紹介します。

少し奇妙な、人と人とのつながりを描いた7編が収められた短編集です。その中で特に印象に残った3作品を紹介したいと思います。
「風薫るウィーンの旅六日間」では20歳の私がウィーンの旅行で60代半ばのよく太った未亡人、琴子さんとホテルが同室になります。そしてなりゆきで養老院の附属病院で死の床についている琴子さんの昔の恋人に一緒に会いに行くことになるのです。主人公の私にとってはせっかくのウィーンなのにとんでもない展開ですよね。しかし、どこか愛嬌があり放っておけない琴子さんが可愛くて、くすっと笑ってしまう心温まる作品です。
「バタフライ和文タイプ事務所」は医学部の大学院生たちの論文や資料をタイプ打ちする事務所の話です。ここで働くタイピストたちはひたすら漢字を相手に仕事をしていて、新入りの私はある活字が壊れてしまったので、新しい活字を出してもらうために活字管理人に会いに行きます。そしてタイピストと活字管理人という特殊な職業の2人は、活字をめぐり妖しいやり取りを繰り広げるのです。レトロな設定と雰囲気もこの話の魅力ですが、活字という無機質なものを題材に毒気や淫靡さが絶妙に表現されていて、小川洋子の描写力に圧倒されます。
「ひよこトラック」では言葉を失った6歳の少女と定年間近の孤独なホテルドアマンが、縁日のための鮮やかなひよこを運ぶトラックを一緒に見かけたことをきっかけに、交流を深めていきます。2人の境遇に物悲しさもありますが、言葉や年齢の差を超えて距離を縮めていく様子が感動的です。少女は言葉を喋らないのですが、行動から健気さが溢れていて愛おしいです。その様子がホテルドアマンの視点から語られていてあたたかな気持ちになります。
- 著者
- 小川 洋子
- 出版日
- 2009-03-02
どの話も少し変わったきっかけから、年齢や生きる世界の違う人が交流していく姿が描かれていています。
奇妙なつながりなのに、ちょっとしたことで相手を受け入れたり、思い出を共有したりしていくところに、日常の面白さや尊さを感じます。しかし文庫本の巻末p169に「ほのぼの感も盛り込みつつ、気味の悪さや残酷さといった、どこか死を連想させる“差し色”を、量を加減しながら作品の中に必ず混ぜ込む」とあるように、ただあたたかいだけではないのがこの本の最大の魅力です。“差し色”によって奇妙さの中にもリアリティがあり、短編1つ1つが魅力的で惹きつけられますよ。
表題作のほか、「六角形の小部屋」という作品が入った短編集で、恋愛特有の痛みや不安、恍惚、自己喪失感が静かで美しい文章で描かれています。
「薬指の標本」では、主人公のわたしは“標本室”で標本技術士である弟子丸氏と2人で働いています。まず標本室ってなんだろうと思いますよね。標本室は標本にしてもらいたい品物を持った来訪者からそれを受け取り、標本を作製し、保存する場所で、その標本に見合ったお金を受け取っています。
標本というと昆虫や植物を想像しますが、ここでは楽譜、きのこ、火傷、文鳥の骨など私たちの標本の概念を超えたものが持ち込まれています。来訪者はそれらを標本にすることで各々の思い出を封じ込めているのです。
そんな標本室で働いているわたしはある日、標本技術士の弟子丸氏に素敵な靴をプレゼントされました。その靴は驚くほどぴったり足になじむもので、弟子丸氏からは毎日その靴を履くように言われます。そして私は弟子丸氏にどんどん惹かれていき……最後は驚きのラストを迎えます。
全体的に奇妙なお話なのですが、静かでノスタルジックで透明感ある文章によって美しい情景が目に浮かび、話にぐいぐいと引き込まれる作品です。
- 著者
- 小川 洋子
- 出版日
- 1997-12-24
もう1つの「六角形の小部屋」では主人公の私が、ある朝から突然起こった背中の痛みをきっかけにスポーツクラブのプールに通っています。その更衣室でたまたま居合わせた“ミドリさん”と呼ばれている特徴のないおばさんのことが、どうしても気になって話しかけてしまいます。その後も数回ミドリさんを見かけ、ついにわたしはミドリさんを尾行してしまい、その結果思いがけない場所にたどり着くのです。
こちらも見ず知らずのおばさんのことが気になって尾行してしまうという奇妙で不思議な展開ですが、読み進めていくうちに主人公わたしの状況が明らかになっていくのが面白く、物語全体に静かでそっと寄り添うあたたかさがあり、読んでいて心地よい作品です。
これらの2つの作品では、恋愛によって自分を見失っていく様子や誰かを好きになることによって生じる自分で扱いきれない感情が表現されていて、そういった自分の感情との向き合い方が描かれています。多くが語られる訳ではないので、自分の想像力がかき立てられて余韻の残る作品です。「薬指の標本」はフランスで映画化もされているので、そちらも気になりますね。
- 著者
- 小川洋子
- 出版日
- 2016-01-07
『寡黙な死骸 みだらな弔い』というタイトルに示されるように、この作品は死が絡んだ11の短編が収められた連作集です。
あるひとつの短編に登場する人物の消息や過去を、読者は別の短編で知ることになります。そこではじめてそれぞれの話が繋がっていることに気づきます。
次の短編では何が明かされるのだろうと意識して読み進めるうちに、どんどん引き込まれていくのです。
亡くなった息子の誕生日に〈私〉は苺のショートケーキを買うために洋菓子店を訪れる――、物語は「洋菓子屋の午後」から始まります。
静かな文章で描かれた世界は清らかでありながら、ある短編ではグロテスクな面を見せます。また、別の短編ではエロティックさをちらりとのぞかせるのです。
- 著者
- 小川 洋子
- 出版日
少々ネタバレになりますが、「洋菓子屋の午後」には洋菓子店の職人が出てきます。美しい泣き方をする彼女について語られるのが2番目の作品「果汁」です。その「果汁」では、閉鎖された郵便局にびっしりと積み上げられたキーウィが描写されています。奇妙な場面の謎が明かされるのが、3番目の作品「老婆 J」です。そして、「老婆 J」は原稿用紙に書かれた物語なのだと、次の「眠りの精」で判明することになります。
前の短編の登場人物やエピソードをひっそりと織り込みながら物語は進行していきます。最後に収められた「毒草」を読み終えたときに始めの「洋菓子屋の午後」が姿を現し、11の短編がひとつになるのです。
- 著者
- 小川 洋子
- 出版日
- 2014-02-22
- 著者
- 小川 洋子
- 出版日
- 1999-08-10
主人公の母親もそういった失わない人で、彼女も秘密警察に連れていかれ、遺体で帰ってくることになります。そんな中、小説家である主人公の担当編集者が失わない人であることに気づき、彼を匿う生活が始まります。
作品の中心に据えられているのはモノと記憶、そして喪失です。この喪失の物語を、巧みに描かれた作品と言えるでしょう。何か言葉にしようとしても、うまくいかない、そんな虚しさの物語です。
- 著者
- 小川 洋子
- 出版日
- 2005-11-26
- 著者
- 小川 洋子
- 出版日
見どころとなるのはミーナが集めているマッチ箱に書き溜めたお話の数々。マッチ箱の図柄から作られた彼女の世界は、作品内でも紹介されており、それがとても可愛らしく素晴らしい出来です。たとえばシーソーに乗ったゾウの箱に書かれていたのは、シーソーに魅入られたゾウが、宙に浮かぶことを夢見て子供たちをさらい続ける、切ないお話です。
ほかにもいくつか登場するので、物語の展開と合わせて楽しむことができると思います。
- 著者
- 小川 洋子
- 出版日
- 2011-07-08
いかがでしたでしょうか。繊細で美しい世界、喪失していく世界。小川洋子作品の魅力はそうした切ないからこそ輝くものだと思います。目まぐるしい日々の中で、ちょっとゆっくり本を開いてみてはどうでしょうか。