悲劇を防ぐための悲劇
子供たちが社会から離れ、自分たちで生活するようになると、どうなるのでしょうか。ダニエル・デフォーの作品『ロビンソン・クルーソー』が、正統派の無人島漂流記であり、心躍る楽しい側面を描いているとすれば、『蝿の王』は、心苦しい惨憺たる側面を描いています。
- 著者
- ウィリアム・ゴールディング
- 出版日
- 1975-03-30
飛行機が墜落し、無人島生活を送る子供たちは、秩序を保ちつつ生活していきます。しかし、無人島生活において、子供たちの内に存在する野生的な悪い側面が表れる事によって、事態は子供たち同士の殺し合いにまで発展。その様子は、悲劇的だといえるでしょう。
題名である『蝿の王』は、無人島で殺した豚の首に蝿が群がっている様子を表わしており、その描写も衝撃的。子供というのは、一般的な社会の中で、新たな生命と透き通った生命力を感じさせる幸福の象徴でしょう。一方、ここではそのような存在が、生命を奪う原始的な野生を表わすようになり、その原始性の象徴が、蝿の王として表わされています。
この小説は、小さな無人島で行われる、あって欲しくないディストピアを描いている点で悲劇的です。我々は、我々の社会がこうならないためにも、このような物語を教訓として捉え、反面教師として活かしていく事が、この小説の有意義な読み方であるといえるでしょう。
何かおかしな事が始まった時、良識が不条理におかされ始めた時、我々は『蝿の王』を思いだし、その悲劇を防ぐ努力をしていかなければならないのだと思います。
等身大の自分がテーマの名作世界文学を読む
パリの社交界で華やかな暮らしを送る娘たちのために、困窮生活を送るゴリオ爺さんを題材に語られるのが、本書『ゴリオ爺さん』。物語の中にある会話ひとつひとつに含蓄のある、優れた書籍であるといえるでしょう。
- 著者
- バルザック
- 出版日
- 1972-05-02
例えば、次のような言葉に、私たちが考えるべき問題が提起されている事が分かります。
「わたしたちと同じ帽子をかぶれば、わたしたちの物腰が身につくと思っている人たちがいる」(『ゴリオ爺さん』から引用)
この言葉には、ある種の傲慢が含まれていますが、同時に物事の真実も表わしている点がポイント。誰かの着ている服がいい出来映えだと思って、同じものを買い求めたとき、その服が自分にあまり似合わなかった、という経験はないでしょうか。
芥川龍之介の『秋山図』という作品では、ひなびた家に飾ってあった素晴らしい出来映えの名画が、後に、別の場所、別の条件でみた時、そこから受ける印象が変わり、名画のようには見えなくなった、というエピソードが語られています。
同じように、他人のいい所を真似して、いいとこ取りをしていけば、ある一定の評価基準には達する事が出来ます。しかし、物腰が身につく、というレベルに到達するには、自分に合った自分なりの装い、態度、接し方、というものが必要なのではないでしょうか。
話すのが苦手な人が、上手く話せる人の真似をしようとしても上手くいかないように、自分の特徴を把握し、等身大の自分を表現する事ができる人は、一家言あるような、落ち着いた貫禄のある人物として映ります。このように考えると、この発言の中には、自分というものを知る事が大切なのだ、という教訓が含まれているのではないか、と思い至ります。
「『モーゼ』の祈りのアリアを聞いていて、あなたもおっしゃったように、《ある人たちにとってはそれは、同じひとつの音としか聞こえないけれども、ほかのある人たちにとっては音楽における無限》なのですもの。」(『ゴリオ爺さん』から引用)
「奥さん、わたしはそれと知らずに、レストー夫人の心臓に短刀を突き刺してしまったんです。それと知らずにやったというのが、それがわたしの過ちなんです」(『ゴリオ爺さん』から引用)
このように、この本の中には、考えさせられるセリフが多く存在する点も特徴のひとつ。そこからは、著者の炯眼(けいがん)をうかがい知る事が出来ます。言葉の端々をとらえても、話の筋を追っていっても楽しめる優れた作品。気になった人は、ぜひ本書を手に取ってみてください。
幸せとは?世界中で読まれている名作
老女から青い鳥を探してくる事を依頼されたチルチルとミチルが、様々な冒険を繰り広げつつ青い鳥を探すのが、この本『青い鳥』。色々な場所に青い鳥を探しに行くのですが、どこにも青い鳥は見つかりません。青い鳥は、果たしてどこにいるのでしょうか。
- 著者
- メーテルリンク
- 出版日
- 1960-03-22
まず面白いのが、登場人物たち。物語の中では、チルチルやミチルといった子供たちから、時、夜、パン、火、水といった人以外の物や事象が、登場人物として表れます。これらを擬人化するところに、著者の豊かな想像力が表れていると同時に、物語の面白さがあるといえるかもしれません。
冒険の途上では、思い出の国、幸福の花園、生まれる前の子供たちがいる未来の王国、と様々な場所を訪問。物語を通して、幸福とは何か、求めるものはどこにあるのか、といった哲学的な内容が、豊かな想像力と共に語られていきます。
特筆すべきは、著者の物事の捉え方でしょう。死んだ人と会うための思い出の国といった場所の設定や、時間が、人目につくようになったので嬉しがっている、といった表現にも、著者の優れた感性をうかがい知る事ができます。
私達は、長年物を使い続けていると、そこに人に接しているかのような親しみを感じる事があります。物に愛着がわいたり、人形に話しかけたりするような感覚を発展させていった結果、著者は、時や夜、パン、火、水といった物質や現象を擬人化するという豊かな発想にたどり着いたのではないでしょうか。
このように、この本からは、物事の発想法、哲学的な考えなど多くの事を学ぶ事が出来ます。有名であるが故に、話の筋を知っている人もいるかとは思いますが、筋を知っていても得るものがあり楽しめる内容になっている点もポイント。万人におすすめしたい作品です。