真実の告発者が、逆に追い込まれていく恐怖。『民衆の敵』
ノルウェー南部の温泉町。医学博士トマスは、その温泉療養施設で働いています。
この施設で発生する病人たちに疑問に感じたトマスは、専門の科学者に調査を依頼していました。その結果、川の上流にある工場の排水によって温泉の水が著しく汚染され、人体に有害な状態であることがわかります。下流の土地や海も汚染は免れません。
使命感にかられたトマスは施設の閉鎖と大規模改修を訴えますが、町唯一の収入源が失われ多額の改修費が必要であることがわかると、町民たちはトマスを敵とみなし、逆に糾弾されることになります。
- 著者
- イプセン
- 出版日
トマスが、公害の発見と警告という目的から徐々に離れていく様子からは怖さとリアリティが感じられます。
怖気づく周囲の人間たちを説得し巻き込んでいくには、彼のようなやり方では現実社会で不可能であることは想像に難くありません。トマスは真実を受け入れない民衆を見下すという、してはならない手段を取ってしまい事態が悪化しました。仮に高潔な理想と意志があっても、それだけでは問題解決に至らないということを教えています。
この民衆たちのような集団心理の恐ろしさは心に留める必要がありそうです。誰しもが持つ、都合が悪いことに目をつむりたい心理と、多数派になびいてしまいたい欲求を対峙させられます。彼らは台詞のなかに強い主張を込めていて、人々の激情渦巻く、苛烈な筆致を感じるストーリーです。
ヘンリック・イプセンが提示する、正義と悲劇。『野鴨』
グレーゲルスは17年ぶりに山にある工場から戻り、やり手の豪商である父ヴェルレと会話をしています。
ヴェルレと過去に共同で事業をしていたエクダル老人は、そのとき行われた不正の罪を一手にかぶって投獄され精神に異常をきたし、その一族は没落していました。また、エクダル老人の息子の妻は、かつてのヴェルレ家の家政婦で、ヴェルレの愛人だった過去があります。ヴェルレはその負い目からもエクダル老人に雑務を与えるなど一家を援助していました。
グレーゲルスはそんな偽善的な状況が許せず、その秘密をエクダル老人に教えてやるべきだと確信するのですが……。
- 著者
- イプセン
- 出版日
- 1996-05-16
グレーゲルスは、全てをオープンにした上でエクダルは新しく家族関係を構築すべきだ、と信じて行動に移しますが、グレーゲルスの思ったようには事は運びませんでした。人にとって事実を明らかにさえすれば良いとは限らないということは、いつの世もしばしばありえることのようです。
グレーゲルスがエクダル一家に対してしたことは結果として悲劇をもたらしました。私たちも、ここまでことが大きくならないまでも、声高に正論をかざす人を煩わしく感じた経験は誰しもあるのではないでしょうか。人間関係が不確かな現代社会においても重要な指摘です。
結末で犠牲となった無垢な存在を考えると、時に生活の平穏というのは、ぎりぎりの絶妙なバランスの上に成立しているという悲しさが胸に残ります。
目を背け続けてきた暗い現実が、呪いのように母子を襲う。『幽霊』
ノルウェー西部に住むアルヴィング夫人は、10年前に陸軍大尉の夫を亡くし、今は召使いレギーネと二人きりで暮らしています。世間的には名士と評価されている夫ですが、内実は長く放蕩生活をして夫人を悩ませていました。しかし夫人はその事実をひたすら隠し、一人で抱えて生きています。
長くパリに留学していた一人息子のオスヴァルが、挫折して家に戻ってきました。そしてオスヴァルは、召使いレギーネと結婚したいと夫人に打ち明けます。しかし、実はレギーネは夫が昔の家政婦に手を出して産ませた娘、つまりオスヴァルの異母兄妹でした。
そんな中、オスヴァルは先天性の病におかされており、容態が悪化していきます。
- 著者
- イプセン
- 出版日
- 1996-06-17
ぜひ『人形の家』に続けて読みたい作品です。『人形の家』で自分の選択をしたノーラと違って、このアルヴィング夫人は、結婚に愛がないことを思い知らされながらも、ひたすら留まるという選択をしました。そしてアルヴィング夫人のケースは、更に救いのない事態へと向かっていきます。
当時の風習や常識、法、道徳、宗教観に楔を打つセンセーショナルなテーマで、単純な善悪の話には終わらず、今も古さを感じさせない作品です。社会の因習の犠牲になってきた夫人が、息子に対しては加害者でもあるということが非常に皮肉で物語を深くしています。
葬ったはずの過去がそのまま幽霊のように生き続け、それを背負って悶え苦しむ息子オスヴァルが胸を打つ、悲痛で残酷な結末です。イプセンの作品の中でも特に詩情豊かな美しい味わいを持ちます。