若かりし頃の伊藤整を感じる青春小説『若い詩人の肖像』
”私”は十七歳の春、小樽の高等商業学校に入学します。ふるさとから旅立ち、束縛する大人たちのコミュニティから解放された”私”。そこには、自由な新しい楽しみ方と学び方が溢れていました。
”私”は詩人になることを目指しながら、真面目に学校に通い続けます。汽車で学校に通う途中では、女学生との出会いも。そして、”私”は体を重ねあう恋人との関係を深め、一方で手にした恋愛という存在を客体化していきます。学び、愛し、時に働きながら”私”が本当の大人になっていくまでの六年間は、長いようであっという間に過ぎていくのでした。
- 著者
- 伊藤 整
- 出版日
- 1998-09-10
伊藤整は現在の小樽商科大学にて学んでおり、その当時の体験をもとに描かれたのが『若い詩人の肖像』です。自伝小説のジャンルに入るのでしょうが、主観的な表現に溺れるところはほとんどないため、フィクションの青春小説のような印象が強くなっています。
特に恋愛に対する考え方を綴った所には、伊藤の他の作品にも見られる独特の恋愛観がにじみ出ています。愛憎心奪われるというよりは、その美しさに対する賞賛のような形で相手を愛する、という愛し方。
伊藤が50代の時に描かれた自伝小説ですが、その目線は若かりし日そのものです。青春の一コマを楽しみたい方へおすすめします。
実験的構成で描かれた『鳴海仙吉』
鳴海仙吉は北海道の小地主として村に住む男。妻子は東京に住んでいるため、自分は母親と弟家族とともに暮らしています。札幌で大学講師をしながら東京の出版社に原稿を送りつつ、知識人としてのプライドと現状に葛藤する鳴海。
そんな鳴海の頭を廻るのは、2人の幼馴染の女性の思い出です。かつて彼女たちを想って詩を綴ったほど、彼女たちは大きな存在でした。派手で天真爛漫なマリ子と、おとなしくひっそりとした美しいユリ子。対照的な2人への想いをはせつつ、その想いは物語としてだけでなく、評論や詩を織り交ぜて表現されていきます。
- 著者
- 伊藤 整
- 出版日
- 2006-07-14
『鳴海仙吉』は伊藤整の自伝的作品と言われていますが、一方で実験的構成が為されています。小説、評論、詩といった本来別の作品として取り上げられるものが一つの作品の中に混ざり合っており、読者に一種の知識とリテラシーを求めているのです。
鳴海の思考はとても知識人らしく、時に読者がムッとするような鼻につく印象すら与えます。それはもしかすると、知識豊かに語る伊藤の化身なのかもしれませんし、相手の気持ちに沿わせることのない自分に対する反省と少しの嘲笑も含まれるのかもしれません。
残念ながら、上記のような理由で”難しい”と一般の読者からは評される一冊ですが、伊藤の脳内をそのまま感じることのできる本ですので、読書好きの方にぜひトライしてほしいです。
あるひとりの女性の肖像『典子の生きかた』
典子は父は死別、母にも捨てられた孤児。育て親の叔父のもと成長しながら、共に住む親せきの速雄に恋心を抱きます。しかし、速雄は肺炎で若くして亡くなってしまうのです。典子は何かを変えようと叔父の家を出てひとり喫茶店で働く生活を始めます。
それでも生きる軸を見出せなかった典子を変えたのは、一冊の本。トルストイの短編小説が典子にもたらしたのは、思想とアイデンティティでした。
そして、生きがいを見出す生き方を模索しはじめる典子は、喫茶店での仕事に疑問を持ち始めます。やがて家庭教師という新たな道が拓けた典子は、かすかな希望と生きがいをかみしめるのでした。
- 著者
- 伊藤 整
- 出版日
『典子の生きかた』は、等身大の女性の想いの変化や自我の形成が美しく描き出された一冊です。恋、仕事、家族といった人生誰でも向き合うテーマが詰め込まれつつ、それらは繊細に、典子の目から見たそのままの姿で描かれます。
生きがいをもって生きるということは、言葉にすると簡単ですがなかなか難しいこと。典子はそのもやもやとした何かに対して、考え、行動を起こし、結果を手に入れていきます。しかし、単なるサクセスストーリーというわけではなく、そこでは当然失敗や手に入らないものもたくさんあるのです。ぜひ女性に読んでほしい、人生をそのまま描いた写真のような一冊です。私小説の理論化を志してきた伊藤の渾身の一作と言えるでしょう。