言葉が意味を取り戻すときに起こる奇跡
大手女性誌の編集者だった桜子は、今は小さな出版社で『月刊現代詩』の担当をしています。社長のピンチヒッターで担当になった詩人藤堂孝雄は、書けなくなってから10年以上詩を書いていません。その藤堂に詩を書いてもらうべく、桜子の奮闘が始まります。
- 著者
- 谷川 直子
- 出版日
- 2015-04-11
『四月は少しつめたくて』は、実は深い喪失と悲しみを抱えた桜子と藤堂、そして傷つき自分らしさをなくしたクルミとその母親まひろの物語です。4人とも言葉を、その意味をなくしてしまっているのです。
生きていく上で言葉を使わない人はいません。詩人でなくても、人は何気なく言葉を口にしたり、紙やディスプレイ上に書いて暮らしています。インターネットなどで、一般人でも簡単に自分の「言葉」を広く人に伝えることができるようになったことで、言葉は消費されてしまい、その正当な意味と重みを失っているようです。
そんな状況を何とか描き出そうとしているのがこの作品です。言葉に出来ないものを何とか言葉にしようとするのが物書きなのだとしたら、そのことに限りなく真摯に向き合っているのが谷川直子という人なのでしょう。
人が、自らの言葉が意味を失っていることに気付き、そしてその意味をもう一度取り戻していくさまが丁寧に描かれます。詩人でなくても言葉を失うことはあるのです。意味を取り戻すことは、自分を取り戻すこと。同じ言葉でも、その過程を経てきた人間が発するのとそうでないのでは重みが全く違います。
読んでいくうちに、自分は言葉を正しく使っているか?自分の言葉は図らずも人を傷つけてはいないか?考えてしまうかもしれません。そして自らを省みる時、時々挿入される藤堂がかつて書いた詩が心に沁みてきます。
魅力たっぷりのやんちゃボーイ
「銀メダルが好きな馬」と呼ばれた馬がいました。それが1996年から2001年まで活躍したステイゴールドです。賢くきかん気なこの馬は多くのファンを得て惜しまれつつ引退したのです。
- 著者
- 高橋 直子
- 出版日
谷川が雑誌編集者だった本領を発揮し、緻密な取材と馬への愛に満ちて描いたノンフィクションです。血筋は悪くなく、小柄ながら体も出来ている。なのに勝てるはずの試合で勝てないステイゴールド。なぜかどんな試合でも2位が続く、ある意味では手堅く強いこの馬は、徐々に人気を博していきます。そして、最後の最後のG1での一瞬の勝利。ステイゴールドらしく、まるで小説のようなラストはまさに「事実は小説より奇なり」を体現したかのようです。
馬は賢い生き物だといわれていますが、ステイゴールドも例外ではありません。何とレースをわかっていて体の調整を自分でしてしまうという賢さ。納得して気分が乗れば強いが、そうでないと駄目なので、人間の方が馬を支配するのではなく、理解してある程度馬に任せることをしないと駄目なのだそうです。
そして、あまり語られることのない厩務員や調教師、騎手、そして馬主の姿まで細かな取材により描かれているのもこの本の魅力です。また、本場イギリスや香港での競馬についても丁寧に描かれており、それぞれの馬文化の違いも味わうことができます。競馬とは、単なる賭け事、経済活動ではなく、突き詰めるとそれは人の生き方にも関わるところがあると馬主の1人はいいます。そんな競馬の奥深さに魅せられた谷川は『競馬の国のアリス』というエッセイも書いているのでした。
「ステイゴールド」という名は、スティービーワンダーが歌う映画『アウトサイダー』の楽曲からとられています。関わったスタッフや競馬ファンの心にいつまでも輝き続ける馬、ステイゴールド。実際に試合を見たことのない人でも、この本を読めばその姿が胸に刻まれることでしょう。
谷川直子が高橋直子名義で書いたお洋服エッセイ
ピンクハウス、コムデギャルソンから西友まで。今日はどんなお洋服を着ようか、何と何を合わせたら可愛いか。原稿書きを放棄して、夜中に始めた一人ファッションショーが明け方まで続いてしまうお洋服大好きな谷川直子がファッションを通じて流行、発想、生き方などを語ります。
- 著者
- 高橋 直子
- 出版日
1994年出版のこの本は、谷川直子はバブル期を生きた人なのだとよくわかるラインナップや金額が満載です。でも、体は1つ、誰もがみな体型のコンプレックスの1つや2つもっている、というのは今も同じ。いかに可愛いものを見つけて組み合わせ、自分らしく着るかを考えるのはいつの時代も楽しいものです。そして、単なるファッション評論だけに終わらないのがこの人の面白いところで、服の話から日本人のセクシー観、ブランドの持つ力、そして文豪カフカの先見の明に至るまで広がっていくのです。
例えば「制服はまずいよ」という章。思春期の少年少女たちに窮屈な枷の象徴として扱われてきた制服ですが、是非については議論のわかれるところです。制服反対派は「自由がなく自己表現が下手になる」というような論理展開が多いですが、谷川は一歩進んでいます。制服を着ている自分と本当の自分は違うということを意識させられ、13歳にして本音と建前の教育をしてしまっているからマズイというのです。
そして、制服は学校だけのものではない、渋谷に行くと同じような年齢の人皆が同じような格好をしている、あれも制服、そしてふるさとに帰って渋谷を批判している人はふるさとの制服を着ているのではないか?それもやっぱりまずいよ、と締めています。
タイトルの『お洋服はうれしい』。最後まで読むと、服とは着る人が「うれしい」というだけではなく、着る人とその服の間に相思相愛の関係があればお洋服も「うれしい」のだと書いていることがわかります。谷川直子は本当にお洋服が好きなのでしょう。軽妙でありながら、独特の視線がキラリと光るエッセイです。