弱肉強食の世界の中で生き抜く
「糞尿譚」の主人公小森彦太郎は、糞尿を運搬して農家に売るという商売を考え、「衛生屋」を開きます。周囲の人に笑われながら、儲けを確信して仕事に打ち込みますが、思うようにいきません。
周りに妨害されながらも仕事を行っていた彦太郎ですが、「衛生屋」を市に売り込み、買い取ってもらうことになりました。
- 著者
- 火野 葦平
- 出版日
- 2007-06-09
芥川賞受賞作品です。
彦太郎は権力がないなりに自分の夢をかなえようと奮闘しました。そのため、権力のある市が自分の事業を認めてくれ、買い取ってくれるということで上機嫌になってしまいます。
しかし、その取引は彦太郎を酔わせ、だまして行われてしまったのです。
なぜ、糞尿をテーマにしたのか、という部分を考えると非常に面白いのではないでしょうか。最後に彦太郎は、自分に嫌がらせをする地元の民に糞尿を巻き散らかします。
しかし、権力のある、そして自分をだました人たちにはそんなことできませんでした。
権力が弱い人間は、強い人間に負けてしまうことを、糞尿まみれになった彦太郎の姿から惨めに感じることが出来ます。どうにもならない無念さや、味方をしてくれると思った人からの裏切りから落ち込む彦太郎の姿に胸が痛みました。
題名から嫌悪感を抱く方もいらっしゃると思います。非常に奥が深い作品です。糞尿汲み取り業者というのは、職の中でも底辺に近い仕事であると言えるでしょう。当時の労働環境や、弱権力者の生きにくさを是非感じてほしいです。
3代続く軍人精神
軍人一家の精神を描いた物語です。
主人公である高木友之丞は、攘夷の思いから長州の奇兵隊に入隊しました。友之丞は家庭を持ち、息子をもうけます。そして、その息子も、軍人として成長していくのです。一家そろって軍人となった高木一家の精神を追います。
維新前から第二次世界大戦にかけて、作者の経験をもとに戦争と一家の末を語ります。
- 著者
- 火野 葦平
- 出版日
兵士たちの軍隊生活の視点から描かれているこの作品は、全2巻に及ぶ長編小説です。
火野葦平は、この作品で陸軍そのものを書くよりも、陸軍の精神の在りどころを確かめる、という意味合いを込めて執筆したともいわれています。
本書の中には、作者の想いが隅から隅まで散りばめられていることが印象的です。軍人の気質を作るものは、家系でもなく親でもなく、国家なのではないか、と考えさせられるでしょう。
召集され、いざ戦争に赴くときには一家で見送る姿や、武器の扱いの練習を重ねる兵士の姿に、ついその光景が思い浮かびます。現代では見ることのない場面ですが、過去の人物たちの「戦争」への思いが感じられるのです。
実際戦場に赴いたことのある火野葦平だからこそ、とてもリアリティのある状況描写になっています。現代では戦争のことを身近に感じる人はなかなかいませんが、当時は身近に戦争があったことを感じられるのかもしれません。
この作品は、戦時中に新聞に連載されました。多くの人が見ているだろうと考えられる新聞に、自分の思いと共に戦争のことを綴った当時の火野の心境はどのようなものだったのでしょうか。
戦争作家の後の人生
火野葦平の最後の作品となった『革命前後』は、まさに遺書と言っても過言ではなのかもしれません。
戦争の作品を多く描いてきた火野は、自身の作品や人生までも苦悩し、作品にしたためました。主人公の名前は異なりますが、火野自身が主人公の作品です。
- 著者
- 火野 葦平
- 出版日
- 2014-02-15
火野の作品の多くは、自身の戦場での経験をテーマにした作品です。それを評価した者はいたものの、中には、沢山の命を奪った戦争のことをネタにして書いた作者だという認識の者も多くいたと思われます。
作品は、実際の火野葦平の名前を使ってはいませんが、主人公はまさに火野と同じ人生を歩んでいきました。批判され、けなされた火野は、戦争責任に苦悩していたのだろうと伺えます。芥川賞まで獲得した火野の、人生最後の悩みがのぞく作品となっているのです。
「もちろん、感じとるでしょう。感じずに居られるわけがない。あんたはわしら兵隊の王様で、あんたほどええ目に会うた人はないからね。わしら兵隊は一銭五厘のハガキでなんぼでも集められる消耗品じゃったが、あんたは報道班員とやらで、戦地で文章書いて大金儲け、 『麦と兵隊』の印税で家を建てたとか、山林を買うたとか、大層景気のええ話じゃ。」(『革命前後』より引用)
以上は、主人公に向けられた視線が感じられるセリフです。戦争責任をどうとるのか、という怒りを向けられ、返事が出来ない主人公の姿が何ともせつなく感じます。
火野はそんなつもりはありませんでした。ただ、戦場を伝えようとして物語を執筆していたのですが、その気持ちは届くことはなかったのかもしれません。
この作品の後に、火野葦平は自殺を図ります。心中の理由は誰にもわかりませんが、戦争というむごたらしいものは、従軍記者であった火野の心さえもむしばむものであったのかもしれません。