広い視野で日常を見た作家・徳冨蘆花
徳冨蘆花は、1868年、熊本県にて生まれました。父の徳冨一敬は、儒学者である横井小楠の門下生です。
地元熊本でキリスト教に傾倒し、同志社英学校へ進んだ後にトルストイを崇拝していきます。トルストイと実際に会見した資料も残されているそうです。
その後、兄で思想家の徳冨蘇峰の下で修行を積み、いくつか作品を発表した後に生み出した小説、『不如婦』は、大ベストセラーとなりました。
時代によって引き裂かれたふたり
1898年から1899年まで国民新聞に掲載されました。タイトルの読み方は、「ふじょき」または「ほととぎす」です。
主人公、浪子は、継母や義母に悩まされながらも、夫との幸せな結婚生活を送っていました。しかし、夫の出兵と共に結核を患い、それを理由に離婚を強いられてしまうのでした。
- 著者
- 徳冨 蘆花
- 出版日
- 1938-07-01
この作品は明治期の大ベストセラーとなりました。
序盤、浪子と夫である武雄は、とても幸せな生活を送っていたのです。2章では、2人が出かけるシーンが描かれています。
「『浪さん、くたびれはしないか』『いいえ、ちっとも今日は疲れませんの。わたくしこんな楽しいことは始めて!』」(『不如帰』より引用)
妻を気遣う夫と、気丈で明るい浪子の様子が描かれていることが分かるでしょうか。この2人の関係はとても良好で、ほほえましいものでした。
その浪子を襲う意地悪な人たちの数の多い事には、可哀想で見ていられません。意地悪な姑と、義母に疲弊し、味方は父親ばかりでした。そんな中、遂に浪子は病を患い、弱っていってしまうのです。
「さらば身はこの海の泡あわと消えて、魂たまは良人のそばに行かん。」(『不如帰』より引用)
とても美しい言葉と共に、弱っていく浪子の心を語っていく場面は、切ないものです。病気という、どうにもならない終わりに1人で向かっていく浪子にやりきれない気持ちを抱くことでしょう。もしもここに夫がいてくれたら、と、そんな思いも抱くかもしれません。
浪子が死んだ後に、墓地に向かう武雄の姿が印象に残ることでしょう。綺麗な情景描写と相まって、とても美しい場面になっています。何度も何度も涙をぬぐう武雄の気持ちが伝わってくるようです。
戦争が、明治時代の家庭の決まりが、2人を割いたことに、激しい悲しみと共にやり切れない思いを感じる作品だといえます。現代だからこそ、ぜひ読んでほしい作品です。
大逆罪に物申す徳冨蘆花の姿
1910年の大逆事件の際、幸徳秋水たちは死刑を宣告されました。徳冨蘆花は首相に罰の軽減のための嘆願書を提出しますが、それは受理されることなく処刑は進んでしまいます。
『謀叛論』は、その時のことをまとめたものです。この作品には、当時有名になったこの論文と、他6編が収録されています。
- 著者
- 徳冨 健次郎
- 出版日
- 1976-07-16
侍精神の残った日本で、幸徳秋水たちの思いは理解されることがありませんでした。この作品では容赦なく切り捨てられた彼らをどうにか助けようと躍起になったけれども、叶うことがなかった徳冨蘆花の思いがつづられています。
明治、というと、明治維新が起こって新しい文化が開花した時でした。昔の侍文化は廃れていき、どんどん近代化していったことでしょう。
キリスト教に傾倒し、日本だけでなく世界にも目線を広げていた徳冨蘆花ならではの視点で、秋水らの謀叛について語っていきます。もちろん大逆については反対、しかし社会主義者を殺して果たして本当に良かったのか?そんな疑問を、私たちに投げかけてくるのです。
広い視野で政治を観察し、自身の意見を堂々と発表した徳冨蘆花の人間性と、その文章力に脱帽します。
また、この作品は謀叛論について、兄である徳冨蘇峰との会話も収録されていることでも有名です。そちらもぜひお読みください。