優れた人物とはどのような人か
論語の中には、ありがたい言葉がたくさんあります。その言葉は、現代の社会にも通じる優れた見解であり、そこからは多くの事を学ぶことができます。そのような論語において、おさえておくべき言葉を平易に解説したのが、この本『現代語訳 論語』。本書を読めば、論語の要諦を簡単に知ることができます。
- 著者
- 齋藤 孝
- 出版日
- 2010-12-08
例えば、次のような言葉は、現代にも通用する卓見であるといえるでしょう。
「君子は、発言が良いからといってその人物を抜擢しない。(君子は、人と言とを混同しない)」
(『現代語訳 論語』から引用)
何かを判断するとき、その人の話す言葉は大切なものですが、それが上辺だけのものであると、その人の評価にはなりません。実際にそれを行動に移し、実践することで初めて世間に認められます。孔子は、それを人と言とを混同しない、と表現したのでしょう。
そして、実際に行動しても、それを体現できなくては意味がありません。孔子もその事をふまえ、次のような言葉を残しています。
「仁の徳を持たない不仁者は、貧しく厳しい環境に長くいると道を外れてしまうのでよくない。仁の徳と一体になった仁者は、環境にかかわらず、人を思いやる仁の境地に居つづける。」
(『現代語訳 論語』から引用)
何か目標を立ててそれを維持し続けるのは、思うより大変。人は、貧しく厳しい環境に長くいると、どうしても気持ちがすさんでしまうものです。そして、何かと理由をつけて、その不実を正当化してしまう事も。苦しいときに愚痴をこぼしてしまう、という事は、誰もが経験したことがあるのではないでしょうか。
しかし、苦しい状況でも弱音を吐かず、いつも誠実な人を見かけると、いい人だな、とその性格のよさに思い至る事があります。孔子は、このような人物を、優れた人物であると考えたのでしょう。
本書を読めば、孔子の優れた考えに触れる事ができ、心を感化されるものがあります。優れた人格者とはどういった人か興味のある人は、ぜひ本書を手に取ってみてください。
論語と算盤の関係
『論語と算盤』の著者である渋沢栄一は、現在のみずほ銀行、帝国ホテル、東京証券取引所、キリンビール、東京ガスなど、多種多様な企業の設立に関わった実業家です。幕末期は、徳川慶喜の幕臣として仕え、晩年はノーベル平和賞の候補にもなっている優れた人物。彼は、論語と算盤の関係性から、実業界と道徳について論じており、それを現代の言葉で分かりやすく説明したのが『現代語訳 論語と算盤』です。
- 著者
- 渋沢 栄一
- 出版日
- 2010-02-10
「ソロバンは論語によってできている。論語もまた、ソロバンの働きによって、本当の経済活動と結びついてくる。だからこそ論語とソロバンは、とてもかけ離れているように見えて、実はとても近いものでもある」
(『現代語訳 論語と算盤』から引用)
商売とは、いかに競い合い、相手より大きな利益を上げるかしのぎを削るという、倫理や道徳とは遠い存在であり、道徳を扱った書物とは、何の関係もないように思えます。しかし、渋沢栄一は、不道徳やうそに根付いた商才などは、決して本当の商才ではない、と指摘。むしろ、本当の商才とは、競い合いながらも、道徳と離れられないものである、と考え、論語が商売に役立つという考えを示しました。
確かに、不道徳なあやしい商売をしている人とは、商談を結びたくないですし、商談で嘘をつかれたら取引関係にも悪影響を及ぼすでしょう。そのように考えたとき、一見離れた存在のように思われる道徳の書である論語と商売の二つが、実は近いものであることがわかります。
渋沢栄一は、この他にも、机上の空論と実地との違いも取り上げ、実際の事業が、考えていた事とどれほど異なるかについて指摘。これを、地図を見る事と、実際に歩いてみる事は違う、という観点から説明します。
地図だと、様々な場所を一望できますが、空気感や景色などは、実際に歩いてみなければ分かりません。川の流れを目の当たりにし、山の高さを仰ぎ見、森の豊かさを感じ、都会のきらびやかさを楽しむには、実際に歩いてみる必要があるといえるでしょう。
先ほど紹介した『現代語訳 論語』にあった言葉も、実はこれと似ています。
「君子は、発言が良いからといってその人物を抜擢しない。(君子は、人と言とを混同しない)」
(『現代語訳 論語』から引用)
口当たりのいい言葉は、誰でも発言することができます。しかし、それを実行できる人となると、どうしても少なくなります。毎日一時間英会話をする、と目標を立てても、それを実行するのは、目標を立てる事とは別問題。予定表で英会話のスケジュールを見た時、簡単そうに見えても、実際に毎日一時間英会話をすると、仕事の関係で時間がとれなかったり、遊びに行って英会話をする時間がなくなったり、その大変さが分かります。
この机上の空論と実地との関係を、孔子は、言と人で表わし、渋沢栄一は、地図と実際の世界で表わしました。
自身の言葉に責任を持ち、それを実現するために努力することは大切な事であるといえるでしょう。そして、商売についても、それを道徳まで高めた時、または、思い描いた事業を達成した時、それは本当に優れた成果になるのだと思います。
日々の生活にひそむ学問とは
福澤諭吉といえば1万円札で有名ですが、彼の書いた本を読んだことのある人はどれくらいいるでしょうか。『学問のすすめ』は、学ぶ姿勢を大切にする事を説いた明治時代の本で、それを今読んでも分かりやすいように解説したのがこの本『現代語訳 学問のすすめ』。
- 著者
- 福澤 諭吉
- 出版日
- 2009-02-09
では、そこにはどのようなことが書かれているかというと、例えば次のような言葉があります。
「実生活も学問であって、実際の経済も学問、現実の世の中の流れを察知するのも学問である。」
(『現代語訳 学問のすすめ』から引用)
私達が、学問として考えるのは、本を開いて勉強することであると思いがちです。しかし、福沢諭吉は、普段の生活や世の中の流れを読むことも学問であると指摘。これはどういうことでしょうか。
例えば、普段人と話すときでも、どういった具合に人と話せば人付き合いが上手くいくか、上手く話している人からコツを学び、それを取り入れる事があります。これも、人付き合いというある種の学問を学んでいることになるのでしょう。
また、勉強をする事は、自身を向上させ優れた人物になる事であるのに対し、実生活で病人を介護し、料理をつくり、寝坊せずきちんとした生活を送るという行為も、自身の精神を鍛え、人として優れた人物になっていくという点において、学問であるといえるでしょう。
特に、料理は、材料を切る手順をどうするか、何を優先してつくるか、などといった効率を考える必要があります。そのような部分を突き詰めることは学問ですし、オリジナル料理をつくるとき、どうすれば美味しい料理ができるか研究することも学問です。
料理における学問では、初めに、どうすれば美味しくなるか、オリジナル料理の全体像を予測。実際に調理してつくってみて、その予測がどうなるか、仮説を論証するという行為があります。これなどは、研究室で行われる学問と似たところがあるといえるでしょう。
このように、日常にある学問を探っていくと、普段の生活が、多くの学問的な要素に満たされていることがわかります。これが、福澤諭吉の述べる、日常での学問なのでしょう。
また、『学問のすすめ』が勧める学問とは、空理空論ではなく、社会の役に立つ実用的な学問。実地から離れた空論と実地での考えの相違は、前述の渋沢栄一も、地図を使った喩えを用いて指摘しています。例えば、いくら机上で大言壮語を唱えていても、それを実際の行動で活かせないと意味がないように、実地に活かせる学問でないと役立つ学問とはいえません。
学問は、その他にも、学ぶ事を通して世界を知り、自身の成長を果たすという役割もあり、社会にとっても自分にとっても、有益なものであるといえるでしょう。
この本は、書物を勉強することだけが学問であるとは限らず、日常の中に学ぶべき事はたくさんあるという点に気付かせてくれる優れた一冊。気になる人は、ぜひ手に取ってみてください。