正岡子規は「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」など有名な作品が多く、名前は聞いたことがあるという人が多いのではないでしょうか。明治時代を代表する俳人で、多くの人に影響を与えた人物でもあります。そんな子規にまつわる本を5冊集めました。

1:自分の目の位置をとても気にしていた?
正岡子規の残っている写真と言えば横顔が有名ですが、それは子規自身が自分の両目が離れているのを気にしていて、それを隠すために横顔を撮らせていたのだそうです。
2:英語が大嫌い!カンニングまでして乗り越えた英語の試験
英語がとても不得意で、ある大学予備門の英語の試験の時、judicatureという言葉の意味が分からないので隣の人に聞いたところ、「ホーカン」と教えられました。でも太鼓持ちという意味の「幇間」と思い、そう書きました。しかし後で「法官」だとわかり答えは間違っていたのですが、結局は無事合格したのだそうです。
3:実は子規の自宅は火事で焼失していた
まだ幼い3歳ごろの時、自宅が火災に遭い、母屋を全焼させてしまいました。そのあと正岡家は同じところに家屋を再建し、その際焼け残った以前の家屋の木材も再利用して作ったそうです。そして明治16年、上京するまで彼はそこに住んでいました。
4:女の子の行事・遊びを好んだ
子規はあまり男の子が好むような遊びはやらず、いじめられっ子で、家で本を読むのが好きな、おとなしい性格だったそうです。中でもひな祭りはとても楽しみにしていたそうで、彼自身も「一年の内にてもっとも楽しく嬉しき遊びなりき」と、「わが幼時の美感」という随筆の中で書かれています。
また、叔父から、かるたをプレゼントされたことがあり、それをとても気に入って、相手がいないときでも一人でかるた遊びをしたのだそうです。
5:無類の大食いだった
彼の日記には、給料の半分が食費に消えてしまったとの記載があるほど、とても大食いでした。病気になって療養している時もたくさん食べ続け、食べ過ぎで苦しいと日記に記述した時もあったそうです。
6:たくさんのペンネームを持っていた
正岡子規は新しい文章を書く度に新しいペンネームを考えていたそうで、その数は100個以上にものぼります。
その中には「ひねくれ者」という意味で「川を枕にして石で口をすすぐ」が元になった「漱石」という言葉をペンネームに使ったことがあり、その言葉を気に入った、親友の夏目金之助がペンネームとして譲り受け、夏目漱石という名前になりました。
7:名前にもいろいろと紆余曲折があった
子規の本名は父の常尚にちなんで常規と名づけられました。幼名は處之介(ところのすけ)で、父の知り合いがつけてくれたのですが、あまり評判が良くありませんでした。
そこで子規の祖父が、周りから「ところてん」と呼ばれて馬鹿にされないようにと、升(のぼる)という名前にしたのです。その後家族からは、のぼさんと親しみを込めて呼ばれるようになりました。
8:思わぬ災難を与えた左利き
彼は左利きでしたが、学校にて左手に箸を持ってお昼の弁当を食べていると、先生に叱られたり、友達にからかわれたりということがあったそうで、そのため弁当を食べないで家に帰ったこともあったそうです。
9:「俳句」という言葉を作った
江戸時代にはまだ「俳句」という言葉はなく、「俳諧」の一番初めの句「発句」が今の俳句を意味していました。
正岡子規はそれを「俳諧」の「発句」ということで「俳句」と名づけ、2万以上の作品を残し、「俳句」の第一人者として確立しました。また「短歌」という言葉も彼が考えたものです。
本書では短かった子規の生涯を、「少年時代」「学生時代」「記者時代」「病床時代」「仰臥時代」に分けています。順を追って子規の作品を見ていくことで、子規の思いがどのように変わり、歌がどう洗練されていったかということが伝わってきます。
- 著者
- 坪内 稔典
- 出版日
- 2010-12-18
俳句、短歌に及ぼした影響はもちろん大きいのですが、本書ではそれ以上に子規の人間関係について楽しく読み取ることができます。夏目漱石との友情や、弟子である高浜虚子、河東碧梧桐との関係、家族の話など、どれも興味深いものです。家族については子規は文句を言うことも多かったので、若尾瀾水に「その人格冷血」などと言われることもありました。
- 著者
- ドナルド キーン
- 出版日
子規と漱石、二人とも文学者であり、プライドが高くて傷つきやすい繊細な人物でした。しかし根本的に全く異なる性格。そんな二人が親友としてやっていけたのは面白いことです。お互いに刺激しあいながら、後世に残るものを作り上げ、他の人にも大きな影響を与えていったのだろうことが分かります。
- 著者
- 伊集院 静
- 出版日
- 2013-11-22
1、2巻は、3人が勉強に打ち込んでいく青春群像劇の雰囲気です。それぞれ性格が違う3人に加え、夏目漱石ら他のメンバーも登場し、すがすがしく読み進められます。そして日本のためにそれぞれの役割を果たそうとする姿に感銘を受けるのです。
- 著者
- 司馬 遼太郎
- 出版日
- 1999-01-10
真面目な手紙だったり、ふざけたり、洒落ていたりとさすが文豪だと思える手紙が並びます。はじめの頃は読んでいてニヤリとするものも多く、楽しく読めることでしょう。ケンカをしているものもあり、本当の友情を育んでいたのだと感じます。
- 著者
- 出版日
- 2002-10-16
いかがでしたでしょうか。子規は短い人生でしたが、周りに人が集まる魅力的な人物で、中身の濃い人生を送りました。病に冒されても創作し続ける精神は、なかなか真似できないものですね。子規の生きざまからは、多くのことを学べることでしょう。