3位:キップをなくして、生きることを学び、死の意味を実感として知る
キップをなくしたら改札から出られないんだよ……。小学生の主人公イタルが、キップをなくして「駅の子」になるところから物語は始まり、JR東京駅の片隅に、イタルのようなキップをなくした「駅の子」たちが、こっそりと住んでいるという不思議な設定で、話は進行していきます。
ここだけ読んでしまうと、なんだか怖い話のように思えるのですが、実はそうではなく、そういう設定の中で、子供たちが自分たちの役目を果たしながら、自立していく姿を描く、冒険ファンタジーのような内容です。
- 著者
- 池澤 夏樹
- 出版日
- 2009-06-25
「駅の子」たちの大切な仕事は、通学する子供たちを守ることです。この仕事を通して、子供たちは人として成長していきます。普段、学校へ通っている立場の子供たちは「守られる存在」。親や先生たちは、無償で手を差し伸べてくれるので、子供たちは受け身の存在といえるでしょう。「駅の子」たちは、大切な仕事に取り組み、行動しながら、積極的に「相手を思いやる心」を実感として学びとっていきます。
そして、この話のもう一つのテーマが「死」です。
死ぬということは、どういうことなのか。これをきちんと子供たちに説明できる大人はいないのではないでしょうか。身体を構成している細胞が活動を停止し……というような回答をしたところで、そんな生物学的な答えがほしいわけでは決してありません。
しかし、大人も戸惑ってしまうのは、当然といえば当然なのです。なぜならこれは、説明する種類の問いではなく、生きていく中で、自分なりに体得していくしかない感覚といえるからでしょう。池澤夏樹は、もう一人の主人公ともいうべきミンちゃんを登場させ、この問いに対しての回答を示していきます。
イタルの「なんでご飯食べないの?」という問いに対して、ミンちゃんは「私、死んでるの」と答えます。この、サラッと交わされる会話の中に、生と死の関係が絶妙に表現されています。「死」は遠い存在ではなく、隣り合わせで常にあるものということを、懸命にミンちゃんのために行動することを通して、イタルは実感として知り、受け入れていくのです。
この『キップをなくして』という物語は、生きること、死ぬこととはどういうことかを考えさせられる文章がたくさん詰まっているのですが、最初から大人の穿った見方で読もうとするのではなく、単純に子供が冒険を楽しむような気持ちで、肩ひじ張らずに読むことをおすすめします。
2位:人はどのようにして成長していくのかを描いたファンタジー
今も精霊が生きていると信じられている珊瑚礁の島。そこで暮らす14歳のティオが、個性的な人々と出会い、様々なことを経験する中で、人間として成長していく姿を描き出した作品です。
代表的な「星が透けて見える大きな身体」をはじめ、10の短編で構成されています。池澤夏樹が得意とする、理知的な要素を感性で包みこんだ文章によって、読者を引き込んでいく魅力にあふれているのです。
- 著者
- 池澤 夏樹
- 出版日
- 1996-08-06
人間の愛情や憎しみ、喜びや苦しみという感情。生きること、死ぬこととは。これらを語るとき、論理的に語れば語るほど、相手に伝わらないという経験をしたことはないでしょうか。
池澤夏樹は、論理的思考と感性的思考を合わせ持ち、それがゆえに、自分の思いを相手に伝えるとき、どのような手法が効果的なのかを何度も考えてきたのではないでしょうか。特に、その伝える相手が子どもだった時、伝えることの難しさに直面し悩んでいる姿が容易に想像できます。
この『南の島のティオ』という作品は、文章を通して伝えるにはどうすればよいのかを、池澤夏樹が実践したひとつの形なのではないかと感じます。児童文学という位置づけをされながらも、子どもがこの本を手に取った時、やはり難しいと感じるでしょう。ただ、小学校高学年以上になり、感受性も豊かになってくる年ごろには、文面の意味が分からなくても、心の奥底に響く何かを得る瞬間が多くあるのではないかと思わせる作品です。
教科書にも掲載されたことのある、「星が透けて見える大きな身体」という短編は、原因不明の病気にかかり入院している「あこちゃん」を救うために、ティオとヨランダが、天の使いの「星が透けて見える大きな身体」に、直談判をしに行くというものです。論理で相手を納得させなければならないと聞かされていたにも関わらず、ティオは腹を立ててしまい、感情的になってしまいます。もうだめかと思った瞬間、後ろから進み出たヨランダが「あこちゃんを返してください」と大きな声で言うと、その透明で大きな木のような怪物は消えてしまうという内容です。
論理や感情ではどうにもならないと悟った時、心の底から思いを伝えるしかないことを知る……これは「祈り」に通じる、大切な心構えともいうべきものを表現しているような気がします。
おそらく、『南の島のティオ』に収録された一つ一つの短編から受け取るものは、一人一人違うものでしょう。それは、歩んできた人生、経験してきたことによって、文章に触れた時に生まれてくるものが違うからなのです。
この作品は、そういう要素がたくさん詰まった、優れた短編集になっています。
1位:池澤夏樹の代表作。静かに響く哲学的な問い
第1位は、芥川賞を受賞した『スティル・ライフ』です。
この作品を手にして、読み進めていくうちに感じることは、書かれていることを理解しすぎようとすると、雲の上をふわふわと歩いているような感覚に囚われるということです。
解説や感想を述べようとすると、それをしてしまうことで、池澤夏樹の意図を壊してしまうのではないかということを強く感じます。
ふわっとして、淡々と話が進み、言ってみれば「何も起こらない」小説。作者があえてこの形をとったのには、奥深い意図があってのことなのでしょう。
- 著者
- 池澤 夏樹
- 出版日
何かを伝えようとして、言葉という具体的な形にした瞬間、伝えようとしていたことが半分も伝わらないものになってしまっていた……。そんな経験をしたことはないでしょうか。
これは、感性が豊かなものほど強く感じるジレンマではないかとも思います。解説や感想を述べないほうがいい場合があるのは、これが理由です。
文章に触れた人それぞれが、人生や経験を通して得てきたものを重ね合わせ、様々な受け止め方をする。ここに、この作品の醍醐味があるような気がするので、そう感じさせる文章を、いくつかご紹介します。
「この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。たとえば、星を見るとかして」(『スティル・ライフ』より引用)
「音もなく限りなく降ってくる雪を見ているうちに、雪が降ってくるのではないことに気付いた。その知覚は一瞬にしてぼくの意識を捉えた。目の前で何かが輝いたように、ぼくははっとした。雪が降るのではない。雪片に満たされた宇宙を、ぼくを乗せたこの世界の方が上へ上へと昇っているのだ。静かに、滑らかに、着実に、世界は上昇を続けていた」(『スティル・ライフ』より引用)
「うん、いわばぼくは透明人間になった。人間関係のネットワークの中に立って、その一つの結び目として機能して、それに見合う報酬を得るということをやめてしまった」(『スティル・ライフ』より引用)
素直に読み、感じ、そしてそこから何か得る……。池澤夏樹の『スティル・ライフ』で、純粋に文章に触れる時間を、じっくり堪能してみてはいかがでしょうか。