あなたは‟裸の王様”になっていませんよね……?
アンデルセンの童話の中でもこれほど社会的風潮したお話はないのではないでしょうか。現代でも‟裸の王様”と揶揄する表現を使う時がありますが、colobockleが描く『はだかの王様』は、なんとも憎めない可愛らしい王様に描かれてるので読んでいても嫌な気持ちになりませんし、王様の可愛らしい表情にクスッと微笑んでしまいそうになります。
‟愚かなものには絶対見ることが出来ない布”に踊らされる王様や家来たち。そしてそれを聞きつけて集まった町中の人々。王様が裸であることを知りつつも、自分は愚か者と思われたくない気持ちから、王様の姿に賞賛の嵐が湧きます。
ここを読み取るだけでも想像してしまうのが、会社の高い地位の人が自分の都合のいいことだけを信じて本当は間違っていることに気づけない状態。そして周りの部下たちも自分の身を守るため、上司に対して苦言を呈することが出来ない苦々しい状況。大人を取り巻く社会はこんな社会ばかりではないのですが、「ある、ある」とつい頷いてしまう世の風潮に苦笑いを浮かべるしかありません。
- 著者
- ["アンデルセン", "中井 貴恵"]
- 出版日
ところが、そんな王様に対する純真無垢な子供の一言に話の流れが一変します。
「王様は裸じゃないか!」(『はだかの王様』より引用)
子供たちは王様の周りに駆け寄り、次々に王様が裸であることを告げます。そして何も着ていない王様のお腹や背中をつついたり、引っ張ったり、くすぐったりして王様を困らせます。容赦ない子供たちの攻撃に、さすがの王様も、笑い転げ自分が裸であることを認めるのです。その情景を思い浮かべると、つい吹き出してしまう場面ですね。
そんな苦言を呈してくれた子供たちのことを王様はいつまでも大切にしました。いい終わり方ですね。ほっこりします。が、これは子供だから許される行為であって、また話が戻りますが、会社で部下が上司に苦言を呈することとなりますと、最大限の敬意を払いながら上司が悪い気分にならないように言葉を選んでアドバイスをする態勢が必要となってきます。相当、覚悟がいることですよね。
大人の世界は複雑です。あなたの会社や身近な所に、裸の王様は何人いますか?
‟みにくい子”はひとりもいません、可能性を秘めているのです
どんな環境にいても、親や周囲の愛情があれば子供はちゃんと育ってくれるものだと思います。でも、もしその親や周囲の愛情がなければ子供は育たないものなのでしょうか。だとしたら、その子供は一体なにを糧に生きていかなければならないのでしょうか。
『みにくいあひるの子』は、一羽だけ灰色で他のあひるの雛より大きな体をして生まれるところから始まります。見た目が他の雛たちと違うという理由だけで、兄弟や周囲の仲間から壮絶ないじめを受け続けます。そして唯一かばってくれていた母親からもついに突き放されてしまうのです。
親にまで突き放されてしまったら、一体この先どうやって生きていかなければならないのでしょう。ひとりぼっちにされた灰色のあひるの子の気持ちを考えると、胸が張り裂けそうになります。
親からも突き放され、誰からも愛情を受けることがなければ、ひとりで生きていくしかないのかもしれません。それは、辛い覚悟です。でも、何か‟希望”を見つけさえいればどんなに辛くても、1日1日を乗り越えていけるのではないでしょうか。自分に負けないように、逆境に耐え忍ばなければならないのです。それが、‟生きる”という意味なのかもしれません。
- 著者
- ハンス・クリスチャン・アンデルセン
- 出版日
愛情も、生きる喜びも知らない灰色のあひるの子が、唯一生きる希望を見つけた場面がこの場面ではないでしょうか。秋になったある日、灰色のあひるの子は南の空へ優雅に羽ばたいていく白鳥の群れと遭遇します。あひるの子は目を輝かせ、これまでに感じたこともないあたたかく優しい気持ちに包まれながら、いつまでも白鳥の群れを眺めていました。
灰色のあひるの子は、逆境に耐え凌ぎ、最後は見事にあの優美な白鳥の姿に成長しました。でもそれは過酷な日々を潜り抜けた結果です。もしかしたら、途中で命を落としていたかもしれません。それくらいひとりで生きていくということは命がけなのです。
どの子にも未来があり、可能性を秘めています。私達大人はそんな子供たちの成長をそばで見守ってあげる必要があるのではないでしょうか。いつか白鳥となって飛び羽ばたくその日まで。
アンデルセンの描く悲話
美しい表紙の絵に見とれてしまいますが、これほど悲しいお話はないのではないでしょうか。身を切るような寒い大晦日の夜、雪の降りしきる街を、女の子は素足でマッチを売ります。女の子は一日中マッチを売り続けておりましたが、誰も女の子のマッチを買ってくれません。家に帰れば、ひとつも売れなかったことに父親が苛立たせ、女の子をぶつことでしょう。だから、女の子は家に帰る気にもなりませんでした。
『マッチうりの女の子』のモデルは、アンデルセンの母親だそうです。アンデルセンが大人になってからも、町には物乞いや物売りの子供がたくさんいたそうで、アンデルセンの目には貧困に苦しむ子供たちがどのように映ったことでしょう。
アンデルセン自身も、階級制度があった当時では最低のクラスで、貧乏の辛さは痛いほど経験済みです。彼は作品を通して世間に訴えかけたかったのかもしれません。
- 著者
- ハンス・クリスチャン アンデルセン
- 出版日
最後は、亡くなったお婆さんが女の子を抱き上げ天に舞い上がります。
「もう、寒いことも、ひもじいことも、こわいこともありません。そこは、神さまの国だったからです。」(『マッチうりの女の子』より引用)
翌朝、女の子は桃色の頬の口元に笑みを浮かべて亡くなっていました。この女の子にとって‟死”は幸せだったのでしょうか。複雑な気持ちに駆られます。死以外に、幸せがなかったのかもしれません。
アンデルセンの作品は、現実を直視しているものが多いです。偽りのない話にすることによって、物語に深みが増すからでしょう。それと悲しい話や辛い話はそれだけで終わるのではなく、子供たちの心を育ませるきっかけにもなり得ることを知っていたからではないでしょうか。
絵を描いた同じデンマーク出身のスベン・オットーも、子供の時からアンデルセンを愛し続けたひとりです。彼が描く冬のデンマークの街並みを背景に、『マッチうりの女の子』を改めて読んでみてはいかがでしょうか。