複数の顔を持つ作家・なかにし礼
『天使の誘惑』『今日でお別れ』『北酒場』『時には娼婦のように』など日本の歌謡曲シーンに多数のヒット曲を生み出した作詞家なかにし礼。1998年からは小説家としても活動し、2000年には『長崎ぶらぶら節』で直木賞を受賞しました。
活躍はそれだけに留まらず、テレビやラジオ番組でコメンテーターをつとめるなど、その多彩な才能を活かした複数の顔を持つ人物です。
1938年に、満州国牡丹江省牡丹江市に生まれた彼は幼い頃に戦争を経験しており、終戦後の満州引き揚げ時にはその命を危険に晒されました。彼は当時の混乱の様子を実体験にもとづいて執筆し、『赤い月』で小説化しています。
ほか実兄との関係を描いた『兄弟』など自伝的な著作も発表し、有名作詞家の半生を描いたものとして世間の注目を集めました。
また2012年、食道癌に侵され闘病生活を余儀なくされますが、手術や放射線治療を行わず、インターネットで見つけた陽子線療法で癌の克服に成功しています。2015年に再発するも、これも克服。
著書『生きる力 心でがんに克つ』『生きるということ』ではがんと向き合いながら自らの戦争体験にもとづいた、平和に対する意見を綴り、戦争反対を訴えかけています。
多数の顔を持ち、活躍を続けるなかにし礼。今回は小説家としての彼の魅力に迫る5作品をランキング形式でご紹介します。
5位:なかにし礼初の自伝的小説『兄弟』
本書はなかにし礼が実兄との関係を題材とし、自らの体験にもとづいて執筆した自伝的小説です。
直木賞候補となり、1999年にはテレビ朝日の開局40周年スペシャルとしてドラマ化を果たされるなど、デビュー作にして代表作となりました。戦後破滅的な生活を送る兄との関係に苦しみながら、作詞家としての才能を開花させていくなかにし礼本人の姿が描かれています。
彼の兄は太平洋戦争中に学徒出陣で陸軍に入隊しており、特攻隊に配属された経験があります。終戦を迎え帰国した彼は戦後投資に失敗して破滅的な生活に陥り、多額の借金を背負うことに……。夢の実現に向かう最中にいた弟は兄に振り回されることとなり、やがて憎しみを抱きます。
- 著者
- なかにし 礼
- 出版日
「兄が死んだ。姉から電話でそのことを知らされた時、私は思わず小さな声で「万歳!」と叫んだ。十六年待った。長い十六年だった。」(『兄弟』より引用)
物語は兄の死を知った弟が、その電話口で思わず喜んでしまうシーンから始まります。
終戦後に帰国したなかにし礼の兄は、弟が必死に歌詞を書いて稼いだ金を使い込み、事業に失敗しては多額の借金を作って一家を苦しめました。弟はそんな兄の借金を肩代わりし、仕事に追われる日々。
弟は自身の人生に影を落とし続ける兄を憎みますが、尊敬していた過去の兄の面影を手放すことができず、また兄弟の実母を献身的に介護してくれる兄嫁の存在もあってなかなか兄を突き放すことができません。
母の死後、弟は兄との決別を決意し、以後作詞家としていっそう仕事に没頭していきます。本書にはそこに至るまでの日々と、兄の死を迎えてからの弟の心の動きが情感あふれる文体で綴られており、読者を引き込みます。
有名作詞家の、影の物語。一家の壮絶な体験を記録した作品ではありますが、そこには彼の創作活動に大きな影響を与えた、兄への執着を感じずにはいられません。なかにし礼入門として、ぜひ読んでいただきたい1冊です。
4位:生きるすべを説く『生きる力 心でがんに克つ』
なかにし礼は2012年、食道癌と診断されたことで一時活動を休止しています。発病を知らされた際、医者には抗がん剤や放射線治療、手術でのがん細胞切除といった治療法を提案されますが、心臓に疾患を持つ彼は一考し、もっと良い治療法はないかと模索しながら闘病の日々を過ごしました。
本書にはがんが宣告されてから完治するまでの出来事が事細かに記されています。
なかにし礼は何度もセカンドオピニオンを受け、妻とともにがんを切らないで治す方法を探し続けました。その末に二人はインターネットで見つけた最新先進医療「陽子線治療」にたどり着きます。
- 著者
- なかにし 礼
- 出版日
- 2015-01-15
本書はなかにし礼の日記を中心に構成された1冊です。そこには彼の闘病の日々における出来事だけでなく、日々がんについて考えたこと、現代医療について思ったこと、また、思い出したこと――幼少時に満州引き揚げを体験した時の記憶や、そこから派生した戦争や平和についての切実な思いが綴られており、著者の気持ちが伝わってくる内容となっています。
また当時の状況や気持ちをヘッセやカフカ、カミュなどといった外国文学の文豪の言葉を使って説明していることも、本書を読み解く上で重要なポイントです。彼の言葉は著名な文豪の言葉とシンクロして、よりいっそうの重みを持ち、読者の胸に迫ります。
本書は一般的な「芸能人の闘病記録」では、決してありません。以上に挙げたように、彼は日記全体を通して自分の戦争体験や読書体験にもとづいた、生きることへの強い思いを読者に伝えようとしているのです。自分を信じ、諦めることなくがんを克服したなかにし礼。彼を知る上では外すことのできない、非常に重要な1冊です。