何気ない日常が新たな意味を帯びてくる
木下龍也は2012年に全国短歌大会で大会賞を受賞するなど、新進気鋭の注目されている歌人です。そんな彼の第一歌集『つむじ風、ここにあります』には、街中にある何気ない一コマがうまく写し取られている歌が、数多く収録されています。
- 著者
- 木下龍也
- 出版日
- 2013-05-25
「つむじ風、ここにあります 菓子パンの袋がそっと教えてくれる」(『つむじ風、ここにあります』より引用)
日常にある、なんてことはない身近なものや言葉が、彼の手にかかると、全く新しい意味を帯びてきます。それまでに無表情に見えていた言葉と言葉がつながることで、今までに見えていなかった、そのもの自体が潜めていた面白さ、重大さ、不思議さ、深刻さ、切実さが立ち現われて来るのです。
また「ロボットの涙は油」の章では、イルカやポチ、鶏やホタル、大仏やロボットなどの人(?)生にスポットを当てた、独特ながらもユーモアと切実さをそなえた面白い歌が並んでいます。
飾らない言葉で、身近なものをペーソスやユーモアを交えながら詠うことで、新たな息吹が生まれていく、地に足のついた、静かな力強さのある歌集です。
短歌と日記の融合から生まれる新機軸(もしくは古典回帰)
東直子は、現代短歌の中心的人物でありながら、小説やミュージカル脚本なども手がけ、装丁なども自ら行う、多才な歌人です。歌集『十階――短歌日記2007』は、ふらんす堂のHPで「短歌日記」として毎日掲載されていたものを、歌集に編んだものです。
- 著者
- 東 直子
- 出版日
この本の面白いところは、一日約一歌と共に、その日の簡単な日記が添えられていることです。日記が添えられることで、短歌の解釈の手助けになったり、新たな受けとり方を生みだしたりします。新機軸を生み出す実験的な試みでもあり、『土佐日記』などを考えるのであれば、古典に回帰する試みともいえるでしょう。
「豆まきにつかわれなかった豆たちがてのひらのなかそわそわしめる」(『十階――短歌日記2007』より引用)
日記ということもあり、日常的なものをモチーフにした歌が多いです。コップに入った飲み残しの水、落し物、久しぶりに会う友人、日々の食事、道行く子供たちなどが描かれます。また、以下のように、ぼんやりとしたときの物想いにふけったときのような歌も。
「なくしてもいいものばかりかもしれず物がなだれて我もなだれる」(『十階――短歌日記2007』より引用)
小さなものから大きなものまで、具体的なものから抽象的なものまで、日々移り変わる短歌の展開が面白いです。
時の移り変わりとともに変わる風景、人の心、また逆に変わらないもの。日記形式で毎日綴られるからこそ感じるものが多い、おすすめの1冊です。
言葉と言葉の化学反応に脳の刺激はMAX
穂村弘は、現代短歌界の先頭を走るトップランナーです。彼の歌には、今まで脳の刺激されたことのなかったところが刺激される、不思議な力があります。今回紹介する歌集『シンジケート』は、そんな彼の魅力がたっぷり詰まった作品です。
- 著者
- 穂村 弘
- 出版日
『シンジケート』には、普段並ばないであろう言葉と言葉の組み合わせがこれでもかという具合に出て来ます。かみなりとジンジャエール、シャンパンと熊、卵置き場と涙、ハーブティーと嘘とどらえもん。特に凄まじい首がこれです。
「象に飲ませる林檎の匂いのバリウムが桶いっぱいにゆれる月の夜」(『シンジケート』より引用)
「象」、「林檎」、「バリウム」、「桶」、「月の夜」と、単語をそれぞれみてみると、通常一緒には使われない言葉が一同に会しています。
短歌に31字という制約がある中で、言葉と言葉の新たな組み合わせにより、無限の世界が表出されていきます。
淡々と言葉が並ぶ言葉の広がりが、脳を揺さぶります。新たな言葉の世界へ飛び込んでみませんか?