『輝ける闇』のあとの虚脱……
「その頃も旅をしていた」(『夏の闇』より引用)
『夏の闇』は、こんな痺れる書き出しで始まります。『輝ける闇』で強烈すぎる体験をした男は、「すりきれかかっていて、接着剤が風化して粘着力を失い、ちょっと指でついただけでたちまち無数の破片となって散乱してしまう」精神状態に陥っています。開高健が躁鬱を抱えていたことは多くの論者が指摘していますが、これまでずっと躁状態の感覚を言葉にしてきた開高は、ここでは鬱のどん底にある自分を徹底的に描いてみせるのです。
食べるか眠るか、あるいは異性と交わるか、それ以外ではソファから立ち上がる気力もないという、退廃の極みにある主人公のもとへ、昔恋人だった「女」(名前も出てきません)がやってきて、主人公は彼女とひたすら会話し交わります。本書で起きることは、ただそれだけです。
- 著者
- 開高 健
- 出版日
海外で波乱万丈の人生を送る「女」は主人公とは逆に生気に溢れ、性を貪りながら明るくしゃべりつづけます。いわゆる「いい女」。輝くような魅力を放つ「女」に主人公は魅了されます。それでも主人公は、彼女にきちんとのめり込むことすらできません。
「『おねがいが一つある』
『なあに?』
『ママゴトでやってほしいんだ』
いってから私は口をつぐみ、タバコに火をつけた。女は私の狼狽に気がついたようではなかった。つきでた高い胸のしたに腕を組み、首を少しかたむけ、夢中のまなざしで堂々と微笑していた」(『夏の闇』より引用)
この幼児的ともいえるワガママさ。主人公は何かが決定していくのが怖いのです。だから、かりそめの遊びにしようとするのです。ズルいですね。それにしても「なあに?」というたった一言から伝わる、「女」の自信と母性はどうでしょう。「女」は怠惰な主人公に根気よく付き合います。
しかし、主人公は見てしまうのです。女の前向きの顔の裏にある孤独な闇を。それをただ見ることしかしない主人公に、女は「あなたは自分すら愛していない」と言います。それでも女を「見る」ことをきっかけに、主人公は自分を苦しめたベトナムの記憶に向き合い始めてゆきます。
本書はエロスと緊張感溢れる恋愛小説であり、闇の底を描く鬱小説でもあり、食べ物と釣りの快楽を描く小説でもあります。戦後文学の最高峰の一つといわれる作品。全ての言葉にぎっしりと複雑なニュアンスが詰まり、濃密な、とても濃密な時間が読者を待っています。ぜひ、心に余裕のあるとき、のめり込んで読んでください。
開高健の作品をお得に読む
開高健が生んだ最強の食エッセイ!思わずノドが鳴る!
『夏の闇』でベトナムに戻ることを決意した開高健ですが、結局、続編『花終る闇』を書き上げることはできませんでした。『夏の闇』以降の彼は、むしろ、明朗快活でバイタリティ溢れるエッセイストとして人気を得ることになります。それは挫折だったのでしょうか、それとも彼なりの前向きな道だったのでしょうか。しかしそんなことはいったん忘れましょう。なぜなら彼のエッセイには、彼が積み重ねてきた旅の経験が、最上の形で詰まっているからです。
- 著者
- 開高 健
- 出版日
- 1981-11-27
『地球はグラスのふちを回る』は、1981年に出版されました。食エッセイの中でも読みやすいといわれ人気が高い本です。酒と食と、ときどき釣り。それに旅で出会った人々の愉快エピソードがてんこ盛り。「闇三部作」ではあんなにシリアスで重たかった開高節が、ここでは大笑いしながら飛び跳ねるダンスのようです。これは、越前ガニを賞賛した一文。
「それはさながら海の宝石箱である。丹念にほぐしていくと、赤くてモチモチしたのや、白くてベロベロしたのや、暗赤色の卵や、緑いろの“味噌”や、なおあれがあり、なおこれがある。これをどんぶり鉢でやってごらんなさい。モチモチやベロベロをひとくちやるたびに辛口をひとくちやるのである。脆美、繊鋭、飽満、精緻」(『地球はグラスのふちを回る』より引用)
いやあ、楽しそうに書いてますね。全編こんな調子で、出て来る食べ物、出て来る食べ物、みんな「食べてみたい!」と思わせます。そして、もうひとつ、凡百の美食エッセイにはない、開高ならではの特長があります。
それは、高級なものもゲテ物もいっさい区別なく食べる、ということです。高級なものの価値を認め讃美を尽くしながら、怪しげなドロドロした物が大好きなのです。極貧で育ち、ベトナムやヨーロッパで地を這いずってきて、「深さは純粋よりも混濁に手助けしてもらわないとでてこないのじゃないか」(『夏の闇』より引用)と語った開高は、内臓を手づかみで食べ、ヤバそうなものを漬け込んだウォッカを一気飲みできるグルメなのです。
旅のおともに持っていくには最高の1冊、ぜひお試しあれ。ただし、読んでいると唾が溜まることだけが欠点といえるでしょう。
生きるために食うこと……
時代は戦後、場所は大阪です。その大阪の「新世界」という場末の歓楽街にある狭い路地、「ジャンジャン横丁」を、さまざまなゴミを担いで塵芥山のような男が歩いています。彼は、戸籍もなく、名もなく、家も仕事もない、よってお金もなく、食べ物にもありつけないそんな存在です。あだ名は「フクスケ」。
飢餓状態に陥りながらも食べ物を探し横丁をふらつくフクスケは、一人の女に呼び止められます。「兄さんなにが食べたい」。この女の一言が、フクスケを壮大なエネルギーの源へと導いていくのです。
- 著者
- 開高 健
- 出版日
- 1971-07-02
フクスケは「アパッチ族」という組織がある部落につれて行かれます。浮浪者や犯罪者が大手を振って生活できる最後の砦です。その部落を起点に生活を営む男、女、老人、子供……。戦後の時代環境も多分にありますが、ここに描かれている人間たちは最底辺の存在です。
生きるために、食うために考え出した「アパッチ族」の仕事は、日本国の財産である兵器工場の廃墟に眠っている、お宝の発掘。ありていに言えば泥棒です。
国家権力の網目を掻い潜り、命がけの発掘作業に集中する彼らの姿は、どことなく可笑しく、親しみを感じてしまいます。
読み進むうちに、登場人物の個性や人間性に親しみを覚えてくるのは、開高健の人間に対する偏見の無さなのでしょうか。
生きるために食う、食うために働く。
彼らが発散する、その原始的な欲求からくるエネルギーの力強さに圧倒されます
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