久坂玄瑞は2015年大河ドラマ『花燃ゆ』の主人公杉文の最初の夫でした。今回は名前は知っていても、なかなか実像は知られていない、玄瑞にまつわる書籍をご紹介します。

1:長州藩きっての医者家族
久坂は長州藩(山口県)の生まれです。彼の父は藩医、兄も医者であり蘭学者というインテリ家系でした。彼も(特に兄の)影響を受け、医者を志すことになります。
2:「三千世界~」の作者説
「三千世界の烏を殺し」で知られるかの有名な俗曲の作者は高杉晋作であると言われていますが、実は久坂玄瑞が書いたという説もあります。しかし、公には作者不詳とされているので、結局どちらが作ったかははっきりとわかっていません。
3:松田松蔭が持ちかけた縁談を一度断っている
久坂は後に松下村塾に入り、吉田松陰に従事することになります。松蔭は久坂をとても高く評価し、自分の妹である文(ふみ)と結婚させようとしました。しかし彼は、一度その縁談を断ります。その理由は「器量がよくない」からだそうで……。久坂は仲介人に「器量で妻を選ぶとは何事か」と詰め寄られてしまったそうです。
4:久坂玄瑞と文の夫婦生活は、事実上半年程度だった
久坂は結婚当時、攘夷志士たちの中心人物として活躍していました。それゆえ、文と同じ屋根の下で生活していた時期はとても短かったそうです。実質、同棲生活を送っていたのはたったの半年だったと言われています。
しかし久坂は妻を想い、度々手紙を送っていたそうです。文との手紙は結婚した翌年から久坂が自害するひと月半前まで続いていました。ただ、中には宛名のない手紙もあり、愛人がいたという話もあります。
5: 久坂玄瑞の子孫はどこで生まれたのか
久坂は、妻・文との間は子供を作っていません。ですが、彼が京都に赴いたときに親しくなった芸鼓と子供を作っていました。そして生まれた子供・秀次郎が久坂家を継いでゆくことになりました。
6:久坂玄瑞は自分の死期を悟っていた
久坂が没する前年、彼は新年に知己であった医者を尋ねています。その際に出されたお雑煮をものすごい勢いで食べたそうです。医者の娘が理由を尋ねたところ彼は、「近いうちに死ぬと思うから、今一生分の餅を食べておくのだ」と言ったそうです。彼はなんと30個ものお餅を完食しました。
7:久坂玄瑞の死因は?亡骸はどこに?
彼は25歳で禁門の変(蛤御門の変)で自害。その方法は、共に最後まで残った攘夷志士と刺しあったと言われています。さらに、久坂の遺体は実際に確認されていません。自害したときにいた鷹司邸宅が炎上したため、焼け跡から遺体を見つけられなかったのでしょう。
20代で亡くなった玄瑞ですから、話としては青春物語という印象を受けるでしょう。若くして家族を失ってしまった悲しみや、年の離れた兄へのコンプレックスが玄瑞の根底に流れています。医師にならざるを得ないことへの反発も読み取れ、大人になる手前の屈折した感情に人間味を感じます。
- 著者
- 古川 薫
- 出版日
- 2014-09-02
吉田松陰死後、残された弟子たちは彼の思想を引き継ごうと熱く決心します。その熱さから、すでに幕末という激動を感じることでしょう。ますます激しさを増していく時代の変動に翻弄される玄瑞。自分の意志だけではどうにもならなくなっていくのです。高杉晋作など時代の主要人物も多く登場してきて、面白く読み進められます。
- 著者
- 富樫 倫太郎
- 出版日
- 2015-06-18
本書からは、玄瑞の魅力が伝わってきます。時代を見つめ判断する能力、そしてそれを行動に移すことができる実行力など、松陰も認めたその素晴らしい才能がしっかりと描かれます。幕末志士の一人として、国を愛し国のために生きました。
- 著者
- 立石 優
- 出版日
- 2015-01-07
2巻の途中までは松陰が主人公であり、彼の思想が書かれます。松陰と出会う前に書簡のやり取りを行い、そこですでに松陰に才能を見抜かれていた玄瑞は、晋作と切磋琢磨しながら才能を磨いていました。しかし安政の大獄で松陰は処刑され、その思想を引き継ぐ玄瑞と晋作へと話は移っていくのです。二人は共に尊攘派を引っ張っていきますが、3巻で蛤御門の変が起き、ここで玄瑞は自害してしまいます。
- 著者
- 司馬 遼太郎
- 出版日
- 2003-03-10
久坂玄瑞について、少しでも興味が湧いてきたり好きになってくれたりすると嬉しいです。実はとても重要人物だった玄瑞。歴史を動かした人物はやはりすごかったのだと思わせてくれる作品ばかりなので、ぜひ読んでみてくださいね。