短篇の名手レイモンド・カーヴァーの魅力
レイモンド・カーヴァーは1938年アメリカオレゴン州生まれの小説家です。家は裕福でなく、父親はアルコール依存症の傾向がありました。大衆本や雑誌などを読むうち、作家を志すようになります。
高校卒業後結婚し、翌々年には二人目の子が生まれます。職を転々とし、夜は働きながらニューヨーク州立大学の創作科で学び、やっと大学で客員講師の職を得るに至りました。
1976年には、初めて大手の出版社から『頼むから静かにしてくれ』を刊行しますが、当初売れ行きも芳しくなく、家計は厳しいままでした。その頃アルコール障害で入退院を繰り返すことになり、妻と別居、詩人のテス・ギャラガーと知り合い交際を始めました。
1988年、テスと結婚しますが、レイモンド・カーヴァーは同年がんにより50歳で死去します。
若い頃は苦労したようで、仕事と子育てに追われ、自分の時間などほとんどない生活だったようです。そんな中で何とか書き綴ったのは、実際の日常に即した、誰にでも起こり得るようなリアリティでした。カーヴァーの一度目の結婚は破たんに至り、子供との関係にも悩みがありました。だからこそ書けたとも言える、家庭の中で起きる日常や、些細な事柄などをクローズアップする作品が豊富です。
初めて大手から出版する作品は、当時の編集者によって大幅に削除がなされ、タイトルまで変えられていました。完成稿を受け取った時、カーヴァーはかなりショックを受けたようです。その後編集者との信頼関係は崩れていきます。
しかし今では研究者らの手によって、オリジナルの原稿が読めるようになりました。春樹訳であれば巻末に解題がありますので、作品のより深い読み解きやカーヴァー自身についてよく知る助けとなります。カーヴァーを日本に広める先鞭を着けた村上春樹の功績は偉大です。
カーヴァーの作品は、これといって親切なオチなどない作品がほとんどです。妻のテスはそれを、カフカの『変身』の救いのなさのよう、とも言っています。その作風は短く、鋭く、重く、そしてシンプルです。カーヴァーは一篇読むだけで十分な余韻を残しますので、細切れの時間で読むのにはむしろ適しているでしょう。
シンプルなのに長い余韻
飾らない文体で急な展開こそあまりないのに、くせになるような味わいの短篇17篇が収められています。
- 著者
- レイモンド カーヴァー
- 出版日
表題作「ビギナーズ」は、主人公の夫婦宅を、その友人夫婦が訪ねます。やがて、「本当の愛とは一体どういうものか」という話題に移ります。
その友人夫婦は、実は再婚どうしです。では前の結婚でそれぞれが感じていた愛は、果たして愛ではなかったと本当に言えるのか。妻の前夫は愛を得ようとして二度の自殺を図りましたが、そんな行為は愛ではないのだろうか。
そして、友人は離婚で負った深い心の傷について、そして友人の妻は自身の辛い堕胎経験について語ります。
一見すると、問題なく順風満帆なように見えるカップルでも、実際は、お互いの知らないそれぞれの思いを抱えているものです。あくまで日常のとある場面が粛々と進むだけなのですが、人間の健気さや愛おしさが描かれています。
夫婦の実際が何たるかについて、決して理想通りにはいかないけれど、それでもより良い道を探ろうとするような場面の描写が見事です。日々を懸命に生きる誰しもが物語の主人公であると主張しているように感じられます。
日常の一コマを切り取るその生々しさ
デビュー短篇集からⅠに13篇、Ⅱに9篇収録されています。38歳にして初めて大手出版社から出した本でした。しかしレイモンド・カーヴァーのスタイルは既に確立されています。
- 著者
- レイモンド カーヴァー
- 出版日
冒頭の作品「でぶ」は非常にミニマリスト的です。給仕をしている主人公のレストランに、ある太った男がやってきて、食事をして、何気ない会話を交わし、店を出ます。
ただそれだけの話なのです。
しかしこのような何気ないことの積み重なりが、生きることそのものです。人生の大半は何気ないことで構成されています。そういうことを日々感じながら生きている人にとっては、胸の締め付けられるような感覚を覚えるはずです。
この主人公も、その何気ない接客をした日は、それまでとは違う「何か」を感じながら一日を終えます。こんなふうに「何か」を感じることは、大抵、日常の何気ないことを通してなのです。
私もいっぺん太ってみたいと言った主人公に対し、この客は「選べるものなら太らないでいたい」「しかし選ぶことはできんのです」と言います。読み込もうと思えば、このような台詞の断片から、人生の何たるかを書いているのでは、といった推察をすることも可能です。しかし、そういったことまでいちいち指し示さないことは、カーヴァー作品の最大の魅力と言えるでしょう。