生活を芸術化する魔術師、谷崎潤一郎
谷崎潤一郎は明治末期から日本の混乱期に活躍した作家です。初期作品は耽美主義の一派とされ、過剰な快楽を求める女性愛やマゾヒズム、サディズムなどのスキャンダラスな内容が作品の代表作として取り上げられることも少なくありません。
谷崎が文壇デビューした頃は、自然主義文学が中心で、彼や永井荷風のような耽美主義は文壇に新風を送りこんだといわれていました。文体や形式における芸術性の高さは国内外を問わず高い評価を受けています。また、いつの時代になっても古さを感じさせない先進的な作品が多いのも特徴的です。
谷崎の女性遍歴は激しく、離婚、再婚を繰り返して、生涯3人妻と持つことになりました。また、大学に通う頃から精神が不安定な状態になる時もあったそうです。そんな彼の描く作品はすべて濃い世界観を作り出しています。一度ハマると抜け出せない谷崎ワールドをご堪能ください。
5位:下町の男芸者の恋『幇間』
三平と呼ばれる主人公は、幇間と呼ばれる芸者のお座敷でお客の機嫌や笑いをとり、芸者を助けて場を盛り上げるいわゆる、男芸者を生業としていました。そしてそんな芸者衆の中の梅吉という娘に好意を頂きます。その梅吉にある日催眠術遊びで催眠術をかけられたふりをして、道化のように馬鹿にされたことをきっかけに、湧きあがる快楽に気づいてしまいます。
そして三平はその催眠術をかけられたような言動によって梅吉の気を引こうとしました。しかし、梅吉以外の雇い主にも大いに面白がられるようになり、その遊戯は日増しにエスカレートしていきます。それでもはずかしめに合えば合うほど、三平は湧き出る快楽の悦びを知っていくのです。
- 著者
- 谷崎 潤一郎
- 出版日
- 2010-09-17
この『幇間』は主人公がマゾヒズムという性癖に目覚める濃い内容の作品ですが、小説の冒頭部分は谷崎の自然主義文学ともいえる、ありのままの下町の風景描写から始まります。
「八百松やおまつから言問ことゝいの艇庫ていこの辺へ暖かそうな霞がかゝり、対岸の小松宮御別邸を始め、橋場、今戸、花川戸の街々まで、もや/\とした藍色の光りの中に眠って、其の後には公園の十二階が、水蒸気の多い、咽せ返るような紺青の空に、朦朧と立って居ます。」(『幇間』より引用)
谷崎作品と言えば、マゾヒズムや妖艶な女性の表現につい目がいきがちですが、当時文壇に影響を与えた、古典回帰を思わせる日本の伝統美を表現した文章もこの作品の魅力です。
主人公の立場を現代に置き換えてみると、コメディアンのようなものではないでしょうか。いかに笑ってもらって、いかに気に入ってもらえるかという意味合いでは、幇間も同じ立場の職業。更に主人公は私生活でもいかに梅吉に気に入ってもらえるかという演技までしており、まさに相手の感情、欲望ありきで動く、受け身の人物なのです。
作品の終盤で梅吉と一晩を過ごせることになるのですが、結局彼は一晩中、催眠術をかけられたふりをすることになり、なにも無いまま朝を迎えます。主人公がマゾヒズムになっていく過程に、マゾヒズムの気がなくともどこか共感できる本作。それは誰かを深く愛し、虜として意中の相手に縛られるという本質的なテーマを描いているからではないでしょうか。そして好きな人への執着は誰にでもマゾヒズムになる可能性があると思わせられる作品です。
4位:谷崎潤一郎のホラー小説『恐怖』
大阪に汽車で向かう旅の途中に襲い掛かる、激しい頭痛や吐き気。主人公はその恐怖にお酒の力をかりながら汽車の乗車を続けます。
この症状は当時鉄道病と呼ばれ、汽車から降りれば、段々と楽になり、乗車すると段々と悪くなるという汽車に乗る限り、どうにもならない病でした。主人公はお酒を飲んだりしながら、独り言を言ったりしてなんとか気を紛らす努力を続け、目的地の大阪へ到着しそうなところで作品が終わります。
- 著者
- 谷崎 潤一郎
- 出版日
- 1998-05-18
この作品のおすすめする魅力は、終盤の主人公と友人K、Aとのやり取りにあります。
「『いよ/\己は死ぬのかな。』と、私は心の中で呟いた。断頭台へ載せられる死刑囚の気持も、此れと同じに違いないと思った。『Aさんどうです、Tさんは検査に合格しますか知ら。』K氏がこんな質問をする。『そうですなあ。あなたは取られそうですなあ。何しろむくむく太って居て、立派な体格ですからなあ。』」(『恐怖』引用)
主人公は鉄道病に苦しみ、酒を飲むことで気を紛らわしていますが、周囲の友人KやAには、単なる電車嫌いなので酒を飲んでいると説明しています。主人公は、このあと体調が悪すぎて死を予感しますが、友人KとAにはたくましい体躯から徴兵されるでしょうねと言われてしまいます。周囲から見ると主人公が鉄道病の恐怖と戦っている様は見てとれず、健康そのものと判断できるほどなのです。
この作品に描かれている恐怖は、主人公を襲う不快さに逃げ場がないということ。物理って木にも汽車に乗っている間続き、精神的にも打ち明けていないことで拠り所がないのです。じわじわと体が衰弱していく様は読むものにもじっとりと嫌な汗をかかせるような不穏さがあります。