小説は終わっても、暮らすという物語は続く
仕事を持ち、起きている時間の半分以上を職場で過ごすような毎日。ふと「これでいいのかな」と立ち止まる瞬間があるかもしれません。
ナガセは、ある日世界一周クルージングの費用と、自分が1年工場で働く手取り給料が同額であることに気付いてしまうのです。芥川賞受賞作『ポトスライムの舟』はここから始まります。
物語は、主人公ナガセと友人のヨシカ、主婦のりつ子と大人びた幼稚園児の娘恵奈、工場勤務の岡田さんなどがからみ進んでいき、登場人物たちは、少しずつ傷つけられ、人生の方向転換を迫られています。津村記久子は、その姿を感情的にならずに淡々と描くのです。
- 著者
- 津村 記久子
- 出版日
- 2011-04-15
こう書いてくるとただ人生を考える堅苦しいお話なのかと思われてしまうかもしれませんが、そこはさすが津村記久子です。ナガセも、腕に「今が一番の働き盛り」と刺青を入れることを真剣に考えるようなちょっと変わった人物として描かれています。ポトスのおいしい食べ方を真剣に考え、岡田さんに相談するなど、ところどころでクスリと笑える部分があります。
わかりやすく大きなことをしなくてもいい、暮らすということは小さな行動の連続なのだということを感じさせられます。小説が終わっても続いていくナガセたちの未来を感じることができるはずです。
そして本を閉じて実際の生活に戻る時、心の奥がほんのり温かく、気持ちも少しだけ上向きになっていることに気付くでしょう。
登場人物たちのその後を描いた『ポースケ』という作品もあります。『ポトスライムの舟』が気に入った方は、こちらもおすすめです。
不恰好で愛すべき高校生たち
赤く染めた髪に阪神カラーのゴムの歯列矯正器。アザミは派手な姿で私たちの前に登場します。
音楽以外のことに疎く、問題児扱いされたこともあるアザミと、成績もよく決断も早い友人のチユキ。野間文芸新人賞を受賞した『ミュージック・ブレス・ユー!!』は2人の女子高生の卒業までの日々を描いています。
対照的に思える二人ですが、パンク好きという共通点があります。また、周囲の誰かが傷つけられた時に義憤を感じるというところも同じです。普通なら見逃してしまうような言葉で傷つけられた人も、見過ごすことができません。それゆえに、前年の文化祭である事件を起こしてしまいます。
二人のやり方は、決してスマートとは言えません。むしろ的外れでたどたどしく、不恰好といってもよいほどです。「もっとうまくやればいいのに」と言いたくなる場面もしばしばあります。
- 著者
- 津村 記久子
- 出版日
- 2011-06-23
そしてその真剣さは、彼女たち自身に対しても向けられています。例えば友人を事故で亡くしたメール友達のアニーに、書く言葉がみつからないアザミ。
「だいじょうぶなわけはないけれど、それでもだいじょうぶかと訊きたいと思った。文面ではなく、たどたどしくつっかえるであろう自分の声で。そうするためには、いったい何をしたらいいのだろう。」(『ミュージック・ブレス・ユー!!』より引用)
アザミは自らの無力さを痛感しながらも、逃げることなく答えのない問いかけを続けます。彼女が魅力的なのは、そこから逃げたいと思っている自分を認めているところです。認めながらも、自分はどうすればいいのかをぐるぐると考え続けているアザミ。そんな彼女は、あまりに不器用で真面目すぎて、せつなくなるほどです。
外見や成績などはいわゆる優等生ではないアザミですが、懸命な姿に、そっと肩を叩きたくなります。そして「自分の好きなものだけを抱えて、自分のスピードで歩くのも悪くないかもしれない」と思わされてしまうのです。
作者の津村記久子自身も、音楽が好きでどっぷりはまっていた時期があり、津村記久子の著作のエッセイには、ライブに行った話などもよく出てきます。パンク好きの方は、ところどころに差し挟まれるアザミと、男版アザミともいえるトノムラとのディープな会話も楽しめるでしょう。
津村記久子が描く、動き出す日常
豪雨警報が出された夕方、埋め立て洲にあるオフィスから『とにかくうちに帰ります』の物語は始まります。さまざまな理由で、最終バスに乗り遅れたOLのハラをはじめとする4人が本土にたどり着くまでを描いた作品です。
会話文が津村ワールド全開で「この状況で、引っかかるのはそこかい!」と言いたくなってしまうところばかり。そもそも、彼らがバスに乗り遅れた理由やどうしても帰りたい理由が「え?そこ?」というものであったりするのです。
思いもかけず非日常に直面した彼らは、とりとめもないことを話し、歩き続ける中で「帰ったらすること」を想います。
- 著者
- 津村 記久子
- 出版日
- 2015-09-27
帰ったらしみじみ泣いて、そして眠ろう。久しぶりに親に電話をかけよう。息子を引き取る為に保育所を探そう。携帯電話を替えよう。普段は意識せずにしていること。しようと思いつつ後回しにしていたこと。
それら自体は些細なことですが、彼らは豪雨前の「日常」からほんの少しだけ動き出します。笑ってしまうくらい小さな変化です。しかし人生が小さな選択の連続なのだとすれば、彼らの人生は大きく動き出したことになるのかもしれません。
読んでいる私たちも、忙しさにかまけてしそびれていたことをしてみようか、と思わされる作品となっています。