面倒くさいが憎めない男とその周囲の人の情を描いた
尾崎紅葉の小説は古文と現代文が混ざったような独自の文体が多いのですが、『多情多恨』は言文一致(げんぶんいっち)、つまり話し言葉に近い文体を用いています。尾崎紅葉ファンだったらもしかすると物足りなく感じるかもしれませんが、現代人にとっては読みやすくわかりやすい文章です。
作品によって文体を大きく変えたのは、時代に即したものを模索する紅葉のチャレンジ精神からなのか、それとも作品に最も適した文体を模索した結果なのか、はたまたその両方であったのか。この『多情多恨』は『金色夜叉』や『伽羅枕』のように、波乱に満ちた人生を描いたものではないので、言文一致体の方が、読者が作品に入り込みやすいと思ったのかもしれません。
物語の主人公は、最愛の妻を亡くした鷲見柳之助という、極端に人の好き嫌いが激しい男です。妻が好きすぎて好きすぎて、それを失った現実を受け入れられない柳之助は、泣きじゃくってばかりの毎日。周囲がそれにほとほと困りながらも世話を焼いてあげるさまが滑稽です。
- 著者
- 尾崎 紅葉
- 出版日
- 2003-04-16
柳之助は元々人嫌いで、亡き妻と友人である葉山以外に好きな人などいないという、ひどく変わった人物です。奥さんの死後、家が荒れ放題になってしまったのを見かねて、義母の計らいで手伝いに来てくれた義理の妹も、(本人に直接は言いませんが)嫌いだという理由でとうとう追い返してしまいます。
非情な恩知らずというのではなく、全くの子どもなのです。他人がいると窮屈でならないし、世話を焼かれるとたまらなく鬱陶しい。その分、亡き妻と葉山にはただならぬほど懐き慕っている。本当に情けなく面倒くさい男なのですが、友人葉山がほうっておけずに世話をしてしまうのもわからなくもない純朴さがあります。
いつまでも家に引きこもりがちな柳之助を見かねた葉山は、自分の家で一緒に住まないかと誘います。柳之助は、葉山は大好きですが実は葉山の妻のことは大嫌い。そして妻の方も柳之助が嫌い。それでも柳之助は独りでいるのに耐えかねて、一緒に住み始めます。
妻の死から立ちなおれずいつまでもクヨクヨメソメソしている柳之助が、周囲の情に影響されながら少しずつ変わっていく様子や、当初は柳之助が大嫌いだった葉山の妻が、だんだん柳之助を健気でいじらしく思えてくる様子が、こまごまとした気の利いたエピソードの中で巧みに描かれています。大変読みやすい作品なので、尾崎紅葉を初めて読む方におすすめです。
若き尾崎紅葉の出世作
尾崎紅葉が21歳の時に書いた作品『二人比丘尼色懺悔』は、紅葉の出世作として有名です。2人の尼が、自らの過去を懺悔しあう物語です。語り手がいるにも関わらず小説の中は3人称という文体は、当時としては新しい手法であったようです。
「文章は在来の雅俗折衷おかしからず。言文一致このもしからずで。色々気を揉みぬいた末。鳳か鶏か―虎か猫か。我にも判断のならぬかゝる一風異様の文体を創造せり。あまりお手柄な話にあらずといへど。これでも作者の苦労はいかばかり。それをすこしは汲分て。御評判を願ふ」(『二人比丘尼色懺悔』より引用)
紅葉は前置きにこう書いています。要するに「いろいろ悩んだ結果独自の文体を作り出しました、あんまり褒められるものではないけれど、苦労したからちょっとそれを汲んで、感想を聞かせてね」みたいなことでしょうか。でもそこには謙虚さというより「でも絶対イケてるから!」みたいな自信が垣間見える気もしますね。
- 著者
- 尾崎 紅葉
- 出版日
この作品は、「奇遇の巻」「戦場の巻」「怨言の巻」「自害の巻」の四つの巻で構成されています。「奇遇の巻」では山中の庵で偶然出会った二人の比丘尼(若葉と芳野)が互いの身の上話をします。「戦場の巻」では戦場での若武者(この物語における二人の恋相手)の活躍。「怨言の巻」では若武者と芳野の物語、「自害の巻」では若武者と若葉の別れ、そして若武者の自害という構成です。
上記でおやと思った方もいるかもしれませんが、二人はそうとしらず実は同じ相手を思慕していたのです。若葉は夫と死別して出家したと言い、芳野は夫が戦場で討ち死にして出家したと語るうち、二人の話す若武者が同一人物であったことが明らかになっていきます。
最初からは明らかにしないこのからくりを「奇遇」というタイトルで暗示するところがテクニシャンですね。物語を始める前に、紅葉は文体以外にもいくつか前置きをしていますが、「此小説は涙を主眼とす」(『二人比丘尼色懺悔』より引用)ともあります。これがどんな話なのか、ちょっと布石を打ったんでしょうか。しかしこの布石が、その後物語を読み進める際にじわじわ効いてくる気もします。
まだ若干20歳を過ぎたばかりでこの読ませ方、読者の心理を読んだ上での物語構成。そして時代としても、西洋文化が入ってきて、文明人を目指して難しい政治的なものに目が向けられる中で、人々にウケそうな人間味のあるストーリーを狙って書いたような節もあります。無茶苦茶、頭のいい人だったんでしょうね。紅葉の才能に脱帽したくなります。
尾崎紅葉の描く、金に物言わす成金男と妾たちの泥沼劇
尾崎紅葉は『源氏物語』の影響を強く受けたと言われています。『源氏物語』といえば、恋多き平安のプレイボーイ光源氏が主人公ですが、『三人妻』は貧乏な生まれから一代で財産を築いた成金商売人・葛城余五郎と三人の妾の物語です。
元々この話、紅葉自身が語るところによると『読売』の雑報からヒントを得たと言います。ある豪商の葬式で3人の妾が殉死の意味で髪の毛を棺に入れたという話で、全く素性も性格も異なる女が同じ男の妾となっていたら、嫉妬や衝突もあったろうし、面白い小説の題材になりそうだと感じたのだそうです。
物語は前編と後篇に分かれており、前編は、余五郎が目を付けた3人の女性を時に裏工作までして手に入れる過程、後篇は余五郎とともに過ごす3人の妾の関わり合いを描いています。3人の女性はそれぞれ境遇も性格も異なり、余五郎の元へ来た理由も、余五郎への気持ちも様々です。もちろん、みんな仲良く心穏やかに、という訳にはいきません。泥沼加減は、ちょっと前の昼メロドラマ並みです。
また『3人妻』というタイトルのわりには、3人は妻ではなく妾であり、本妻はちゃんと別にいます。ですから厳密に言えば4人妻なんですが、本妻は他の女性たちとは距離を置いているというか、全く別の立ち位置にいる感じです。3人の妾に対して嫉妬心は見せず、妾たちの性格について余五郎と他人事のように話す本妻と、妾たちとの関係も興味深いものがあります。
- 著者
- 尾崎 紅葉
- 出版日
- 2003-04-16
紅葉の小説の中には、さまざまな性格の女性が登場しますが、どの作品でもそれぞれの個性を巧みに表現していますね。若い紅葉がこれほど女性の心理を緻密に表現できるのは、やはり才能の為せる技でしょうか。一歩引いたところから客観的に見ているというか、作中の登場人物の心境を的確な言葉でスパッと表現している感じが面白いです。
決して裕福な生まれではなく、読売新聞社で雇われ人として小説を書いていた紅葉にとって、葛城余五郎のような田舎から成り上がった拝金主義者は嫌悪の対象であったと推測されます。しかしながらただ単にそれを痛烈に批判するだけでは、面白い物語にはならない。その周囲の人間に焦点を当てることで読者の興味や共感をそそる小説を書きあげた紅葉は、決して自分の思想や感情に溺れない、徹底的に読み手重視のプロ作家だったのでしょうね。