石牟礼 道子が心に届ける、簡潔でやさしい言葉たち『はにかみの国』
石牟礼道子の詩を集めた『はにかみの国』。自然界と人間の営みに対する愛情にあふれています。優しく美しい言葉で、読者の心に直接語りかけられているような本作品。しかし、その言葉たちはときに残酷な一面を見せ、深く心をえぐり取られるような気持ちになることも。
- 著者
- 石牟礼 道子
- 出版日
「こなれない胃液は天明の飢饉ゆづりだから ざくろよりかなしい息子をたべられない わかれのときにみえる 故郷の老婆たちの髪の色 くわえてここまでひきずってきた それが命の綱だった頭陀袋」(『はにかみの国』より引用)
また、水俣で育った石牟礼の心には、海の存在がはっきりと根付いているのでしょう。さまざまな詩に海や海の生き物が登場します。最後に収められている童話のような短編集も、海の魚であるベラが物語の中心です。ベラに対する表現方法は印象的。
「ベラの魚というのは、天の虹からしたたり落ちて来たような虹色の小魚です。」(『はにかみの国』より引用)
石牟礼のもつ感受性と優しさを、本書を読むことで感じることができます。喧騒に疲れ、自然の美しさや、思いやりの心を忘れてしまったとき、開いて読みたい作品です。
繰り返されてた悲劇。石牟礼 道子と藤原 新也からのメッセージ『なみだふるはな』
2011年6月13日から15日までの三日間、石牟礼道子と写真家の藤原新也による対談が行われました。水俣病を取材しつづけた石牟礼と、福島の原発被害を写真に撮る藤原。この『なみだふるはな』には、東西二つの土地で起きた、それぞれの悲劇を目撃した二人の会話が記録されています。
- 著者
- ["石牟礼 道子", "藤原 新也"]
- 出版日
- 2012-03-08
1950年代に水俣病が公式に発覚、そしてそれから時は経ち、2011年の福島原発事故。水銀と放射能という味も匂いもない凶器、追い打ちをかけるような政府と企業の対応により傷つけられた人々。石牟礼たちは多くの共通点を持つ出来事だとし、悲劇が繰り返されてしまったことを嘆きます。また、報道のあり方や、被災地での植物たちの異変、水俣病患者の現状についても苦言を呈すのです。
年齢も肩書きも違うふたりは、もちろん考え方も様々です。逆境から希望を生み出す人々の逞しさに、小さな光を見つける藤原。人々の悲しみに寄り添いながらも、作家としての虚しさを感じる石牟礼。数十年にわたり水俣を見てきた石牟礼の言葉を、藤原はしっかりと受け止めます。震災から三か月後という深刻な状況の中で交わされた会話たち。残酷な出来事に怒りを覚えながらも、冷静な意見を述べる彼らの精神の強さに驚かされます。
最初の30ページの間に収められているのは、藤原が撮影した2011年の水俣と福島の美しくのどかな風景写真です。なぜ汚染された海や、崩壊した建物の写真は一枚も載せていないのか。そこには、ふたりからの無言のメッセージが込められているような気がします。
石牟礼道子が描く思いやりの心に胸を打たれる『あやとりの記』
この『あやとりの記』は石牟礼道子による児童文学です。著者自身が幼いころに体験した出来事がもとになっており、彼女の口からたびたび述べられる「狂女」であった祖母も登場します。物語の主人公はみっちんという恥ずかしがり屋の女の子。木や石や電信柱の気配さえも、全身で感じ取るような強い感受性を持っています。
- 著者
- 石牟礼 道子
- 出版日
- 2009-03-20
少女の周りには、不器用で片目のヒロム兄やんや、いつも犬を抱えている犬の仔せっちゃんなど、少し普通とは違った大人たちがいます。少し変わっているからこそ、彼らは良い魂をもっていて「少し神さまになりかけているような人」だとみっちんは考えています。本書には、そんな主人公の目から見たきらきらとした自然の風景や、大人たちへの好奇心が鮮やかに描かれているのです。
物語の中で、せっちゃんが町からやってきた小学生に暴力をふるわれるシーンがあります。物乞いであるせっちゃんは、自分の食料も犬に分け与えるような優しい女性。そのような人が虐げられていることが許せない主人公は、自分より大きい男の子たちに立ち向かいます。神さまの罰があたるぞと、必死で言う少女の姿が何とも健気で、なぜか泣きたくなるほど切ないです。
どうしてこれだけ深く他人を思いやることができるのでしょうか。自然の声を聞き、傷つく人たちのために涙を流すみっちんの姿に、心が洗われるような気持ちです。物語を読み終わったあとも、しばらく余韻が消えません。児童文学とされていますが、大人の方にも読んでいただきたい作品です。