3位:大人が失った「何か」に気付かせてくれる、不思議な少年。『こうちゃん』
「あなたはこうちゃんにあったことがありますか。こうちゃんってどこの子かって。そんなことだれひとりとしてしりません」(『こうちゃん』より引用)
主人公「わたし」は読者に対し、「こうちゃん」について語りだします。気づくと「わたし」のそばにいるこうちゃん。こうちゃんがどこから来て、いったい何者なのか――多くの疑問を読者に与えながら、物語は進んでいきます。
こうちゃんは不思議な少年です。美しい自然の中で、繊細なこうちゃんは楽しそうに笑ったり、時に「わたし」にすがって泣いたりします。気が付くとわたしのそばにいるこうちゃんに、「わたし」も読者もどんどん惹きつけられていきます。
- 著者
- 須賀 敦子
- 出版日
- 2004-03-11
「こうちゃん、灰いろの空から降ってくる粉雪のような、音たてて炉にもえる明るい火のような、そんなすなおなことばを、もうわたしたちはわすれてしまったのでしょうか」(『こうちゃん』より引用)
こうちゃんが自然の些細な変化に目を向け、喜んだり悲しんだりする様子は、日常の忙しさに気を取られ、見失っていた大切な「何か」に気付かせてくれます。そんなこうちゃんの無邪気さが、「わたし」をはじめ、多くの人々の気持ちにぬくもりを与えます。
サン=テグジュペリの『星の王子さま』に出てくる王子さまに少し似ていますが、こうちゃんはよりミステリアスで不思議な存在です。大人のむずかしい言葉では表現できない繊細な気持ちが、物語の描写からひしひしとつたわってきます。『こうちゃん』が読者に何を伝えたかったのか、私たちが失った「何か」とは何なのか――20分ほどで読めてしまうほどの童謡ですが、大人でも何度も読み返したくなるような味わい深い須賀敦子の作品です。
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2位:世に逆らって生きる2人の女性の人生をたどる名作『ユルスナールの靴』
『ユルスナールの靴』は、須賀敦子が20世紀のフランスを代表する作家、マルグリット・ユルスナールに魅了され、ユルスナールの人生や、彼女の作品、その作品に出てくる人物と須賀自身の人生を何重にも重ね合わせ、ヨーロッパへの思いを語る作品です。時代や場所を超えた多くの人々の人生が交錯しながら、流れるように進んでいくこのエッセイ。どの人の人生も違和感なく、心地よくしみわたるように入ってくるのは、須賀敦子の高い文章力だからこそ生まれた名作だと感じます。
「きっちりと足に合った靴さえあれば、自分はどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、自分は生きてきたような気がする」(『ユルスナールの靴』より引用)
- 著者
- 須賀 敦子
- 出版日
- 2007-11-02
冒頭は、幼いころどうせ成長するからといって、1つ大きいサイズの靴を履かされていた須賀敦子の違和感を表した言葉からはじまります。そして、どこかちぐはぐな印象の靴を履いているユルスナールの写真を見たことで、少しずつユルスナールの波乱万丈な人生に迫っていきます。
須賀敦子もユルスナールも、女性が職業をもって社会で生きることが難しい時代に生まれ、「女らしい」生き方にとらわれずに自分の信じた道を歩む決意をしています。そのため格調高く上品な文章の中にも、あふれ出る情熱や力強さを感じられます。時代を超えた世界旅行気分を味わいながら、須賀敦子やユルスナールの熱い思いにふれてみてはいかがでしょうか。
1位:いかにして須賀敦子が生まれたのか。苦悩の時代を美しく描いた傑作『ヴェネツィアの宿』
第1位の『ヴェネツィアの宿』は、イタリア文学者としての道を選ぶ前の須賀敦子の人生が描かれています。他の4作品では、外国語が堪能で、海外の文化や人々になじみ、充実した海外生活を送る須賀が描かれていますが、この作品ではまだイタリア語が全く分からない、未熟な須賀が主人公です。イタリア文学者である須賀敦子がいかにして生まれたのか、この作品を通じて知ることが出来ます。
この作品では須賀の家族のエピソードと、留学生生活が主なテーマです。冒頭の短編「ヴェネツィアの宿」では、ヴェネツィアに訪れた須賀敦子が、少女時代の父との思い出を回想していきます。父は妻と幼い子供を置いて、視察という名目でヨーロッパに遊びに行くような自分勝手な性格。さらに贅沢好きでしつけに厳しい父ですが、須賀が友人の話や留学生活の貧しい話を楽しそうに聞いてくれました。そんな父を尊敬していた須賀ですが、父が家族には言えない重大な秘密を抱えていることを知ってしまいます……。
- 著者
- 須賀 敦子
- 出版日
須賀敦子自身や父、母それぞれの家族対する複雑な思いが、品のある文章を通じてひしひしと伝わってきます。大学進学時も留学へ行く際も反対した両親ですが、それでも須賀自身の選択を尊重し、応援する様子には胸が熱くなります。最終編の「オリエント・エクスプレス」は、不器用な父の愛が伝わるラストの場面に、思わず目頭が熱くなってしまうでしょう。
また須賀敦子の留学生時代では、自分が何をしたいのか、なぜヨーロッパへ来たのかはっきり分からず、「何者でもない」自分に大きな不安を感じていました。そんな将来への心配を抱えた須賀に、シスターは以下のように勇気づけます。
「ヨーロッパにいることで、きっとあなたのなかの日本は育ちつづけると思う。あなたが自分のカードをごまかしさえしなければ」(『ヴェネツィアの宿』より引用)
須賀敦子は挫折や苦労を経験しながら、少しずつ自分のやりたいことを見つけていきます。そして後に須賀は、自分の背景にある日本を知ってもらうため、日本文学の翻訳活動を始めるようになります。このように試行錯誤しながら自分の道を見つけていくのは、須賀敦子も私たち読者も同じなのだと思え、どこかワクワクします。女性が働くことが珍しかった時代、須賀はどう自分の道を決めていったのか――須賀のルーツが生き生きと感じ取れる傑作です。
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