古井由吉は多くの賞を受賞し、十分な評価を受けています。今ではすべての賞は辞退していますが、現役で作品を書き続けています。人間の深い感情を、言葉による表現でまるでそばにいるかのように、匂いや感覚まで感じさせてくれます。

『妻隠』は、あるアパートに5年ほど住んでいる一組の夫婦の話です。二人は、学生時代1年付き合って結婚する訳ですが、恋愛小説の始まりのような、情熱的なものがあるわけでもなく、流れに任せて夫婦生活を営んできました。ある時、妻・礼子には、夫であるはずの寿夫が、全く知らない男のように見えて愕然とします。
- 著者
- 古井 由吉
- 出版日
『杳子』を読まれた方は、この作品で、古井由吉の世界観が、単なる内向性文学ではないことに気づかれるかもしれません。生と死が対岸にあるものとして考えられておらず、死は生の中にあることが見られるからです。作中では、二人だけの濃密な空間を、全く他者を交えることなく、男と女として表現されています。特に、佐枝の日常から逸脱した、心の在り様や、そこへいたる過程の描き方が濃厚で、これぞ文学といえるかもしれません。
- 著者
- 古井 由吉
- 出版日
2人目の女性は、友人の通夜で出会った萱島國子。國子は、以前杉尾に乱暴されたという妄想を持っていたのでした。思わぬ三角関係が進んでいく中で、今度は精神病棟にいる杉尾の友人石山が國子へ度々電話をかけるようになり……。それぞれに深まっていく謎の真相ははたして解明されるのでしょうか。
- 著者
- 古井 由吉
- 出版日
- 2003-05-10
『中山坂』は、ある女が見知らぬ老人の代わりに、馬券を買うことになる話です。女は、総武線の電車で寝過ごして、すぐさま駅に飛び降ります。そこは、下総中山駅でした。そこで、女は坂道を登りながら、一人の老人と出会います。老人と女は、近くの店に入りますが、店の人から、老人が癌で余命幾ばくもないことを聞かされ、女は頼まれた馬券を買いに走ります。
- 著者
- 古井 由吉
- 出版日
- 2012-05-09
往生という言葉に導かれて、古井由吉が思う、生と死、虚と実、それを余すところなく、言語を駆使して表現した作品といえるでしょう。人が往生するということは、どのようなことを表すのか、複数の切り口で語りかけているような作品です。
- 著者
- 古井 由吉
- 出版日
- 2015-07-11
以上、受賞作をご紹介させていただきましたが、あらためて、古井由吉は、文学を生み出す言語の使い手のようです。しかし彼の文章は、言葉を巧みに使いこなすという次元ではなく、生と死や夢と現実との境界を、美しく表現することに、重きを置いています。文学とは、深く内向に刻まれた言葉を紡ぐことだったと、思い出させてくれる作品群です。