素晴らしき暴挙『新釈 走れメロス 他4篇』
『走れメロス』や『山月記』といった、日本文学史に燦然と輝く名作を、森見登美彦が新しく生まれ変わらせた傑作です。
「芽野史郎は激怒した。必ずかの邪知暴虐の長官を凹ませねばならぬと決意した。」
(『新釈 走れメロス 他四篇』より引用)
という文章から始まる表題作では、大学生である主人公が、学内で絶大な権力を振るう「自転車にこやか整理軍」長官に楯突き、罰として学園祭のステージ上でブリーフ1丁で踊ることを強制されますが、姉の結婚式に出席するため、友人の芹名を身代わりにして駆け出します。
長官は身代わりになった芹名へ言います。
「彼が戻って来ればあんたは自由の身だ。友情とやらを信じることだね」
「あいつは戻らんぜ」
「そんなわけあるもんが。約束したんだ。姉さんの結婚式が済めば、帰ってくるさ」
「あいつに姉はいないよ」
(『新釈 走れメロス 他四篇』より引用)
そうです、芽野はとんでもないクズ野郎だったのです。
- 著者
- 森見 登美彦
- 出版日
- 2009-10-15
ここから、原作では美しき友情物語であった『走れメロス』は、友人を売って逃げ出した芽野を自転車にこやか整理軍が追うという展開になっていきます。
走れメロスという傑作をここまで無茶苦茶な設定で書き直す勇気。下手をすれば作品への冒涜と捉えかねられる危険もありますが、森見登美彦の類まれなる文章力はここでも遺憾なく発揮され、爆笑必至の文学作品が出来上がっています。
結局、自転車にこやか整理軍に捕えられてしまった芽野は芹名に言います。
「芹名、俺を殴れ。ちょっと手加減して殴ってくれ。俺は途中で一度、約束を守った方がコトが丸く収まっていいな、なんぞと軟弱なことを考えた。君が俺を殴ってくれなければ、俺は君と一緒に踊る資格さえないのだ」
(『新釈 走れメロス 他四篇』より引用)
世の中にはこんな友情もある、という事を教えてくれるお話なのかもしれません。もちろん他の4篇も、森見登美彦の新たな解釈によって素晴らしい作品になっています。
狸がこんなにも愛おしいなんて『有頂天家族』
森見登美彦は「家族愛」というテーマを、狸を代弁者として表現させてしまう作家です。
『有頂天家族』とは狸の名家「下鴨一家」のこと。京都を舞台に彼らの活躍を描いた森見登美彦作品です。かつては父母と4人の息子で暮らしていましたが、ある時父親は人間どもに美味しい狸鍋にされてしまいます。
次男はそれをきっかけに覇気をなくし、今ではお寺の古井戸の底で蛙に化け、狸への戻り方を忘れてしまっています。残る3兄弟も問題児ばかり。長男はプレッシャーに極端に弱く、3男は面白主義の阿呆で、4男は未熟な泣き虫。
敵対する夷川一家との抗争や、狸の師匠である天狗の赤玉先生の傍若無人っぷりなどに振り回される一家ですが、彼らの絆は本物です。
かつて狸界のリーダーであった父親のことを思いながら兄弟は自嘲します。
「母上の言ったように、器の大きい子どもたちに育ったけれども、うち3匹は役立たずだぜ」
「さらに言えば、1匹は蛙だ」
(『有頂天家族』より引用)
そこに母親がすかさず
「蛙でもなんでもかまわないよ。あなたたちがこの世にいるだけで、私はじゅうぶん」
「それに、あなたたちは皆、立派な狸だものね。お母さんにはわかっているよ」
(『有頂天家族』より引用)
と言います。
森見登美彦は、どれほど物語が幻想的であっても、こうした何気ない場面で普遍的な母親の愛情を表現しているのです。
- 著者
- 森見 登美彦
- 出版日
- 2010-08-05
また、かつて父親が長男に語った言葉も鋭いものです。
「いずれおまえも、俺の跡を継ぐことになるだろう。(中略)狸界にはいけすかん狸もいるし、おまえはまた頭の硬いところがあるから、喧嘩をすることも多いだろう。(中略)いつか狸界の半分を敵に廻しても、かたわらを見ろ、おまえには3匹の弟がいる。これはたいへん心強いことだ。それがおまえの切り札となる日が必ず来る」
(『有頂天家族』より引用)
両親の子を思う心というのは、狸だろうが人間だろうが共通なのでしょう。
この小説はアニメ化もされていますし、読み進めていくうちに、狸が大騒動の中で一喜一憂する姿が自然と頭に浮かんできて、敵味方含め、彼らのことがとても愛おしくなってくる森見登美彦の1冊です。
正義の味方、ぽんぽこ仮面!『聖なる怠け者の冒険』
タイトル通り、主人公が怠け者です。物語が半分も進まないうちに、偶然発見した居心地のよい座布団の山の中で眠ってしまうのです。その後しばらく登場しないのですが、主人公が居眠りで話から離脱するなんてことが許されて良いのでしょうか?
しかしここで突然、森見登美彦は読者に語りかけるのです。主人公だから頑張らなくてはならないなんて、一体誰が決めたのだ、と。
主人公が怠ける一方で、正義の味方ぽんぽこ仮面が一生懸命頑張ります。ぽんぽこ仮面はこれまで街中の困っている人間を助けてきたヒーローなのです。
物語序盤では早速川を流される犬を助けます。が、ひょんなことからぽんぽこ仮面は、これまで彼が助けてきた人間に捕えられそうになります。彼は必死に逃げ回ります。
主人公なのに怠け者。正義の味方なのに逃亡者。
『有頂天家族』における狸で家族愛を表現いたことに通ずる、いかにも森見登美彦らしい捻くれ方です。
- 著者
- 森見登美彦
- 出版日
- 2016-09-07
それにしても主人公の怠け者っぷりは筋金入りです。休日はいかにのんびり過ごすかを考え、趣味は「将来お嫁さんをもらったら実現したいことリスト」を作成すること。
先輩に怠けっぷりを指摘され、「転がる石に苔はつかない」という言葉を紹介されると、「もっと苔をつけて、やはらかくなります」と返すほど。
物語が進むにつれてもちろん主人公が活躍する場面も与えられるのですが、そこでも怠け者らしさを前面に押し出した活躍っぷりでまさに面目躍如。ここまで徹頭徹尾怠け者を貫けるのは立派な才能でしょう。
この小説はある土曜日、たった1日の物語ですが、物語の最後に登場人物が言います。
「うかうかしてたら、あっという間に月曜日がやってくるんだぞ。あの月曜日がやってくれば、我々は寸暇を惜しんで働くことになるんだ。やるべきことは山ほどある」
(『聖なる怠け者の冒険』より引用)
小説の登場人物にも仕事が待っていて、私たちと同じように、月曜日のことを考えると憂鬱になるのです。
しかし、その言葉に対し、ぽんぽこ仮面が言うのです。
「たしかにいずれ必ず月曜日は来る。しかし明日は日曜日ですよ、みなさん。
イヤになるぐらい怠けるがいい」
(『聖なる怠け者の冒険』より引用)
めちゃくちゃ頑張ったぽんぽこ仮面だからこそ、この一言にとても説得力がありますし、読者に対するぽんぽこ仮面からのエールのようにも思えます。森見登美彦の本作を読むのは、ぜひとも土曜日がおすすめです。