喫茶店を訪れる穏やかな夫婦の背景には国家を巻き込んだ大恋愛が!
タイトルの『墓地展望亭』というのはパリにある喫茶店の名前です(実際には≪Belle-vue de Tombeauベル・ビュウ・ド・トンボウ≫というフランス語)。墓地を臨む形で立っているこの喫茶店の常連客に、目を引く一組の夫婦がいました。
夫の方は三十代半ばの日本人。妻の方は二十歳そこそこのスラブ人と思える実に美しい女性です。二人は毎月八日に墓地に墓参りをし、喫茶店のテラスで休んでいくことを通例としていました。語り手の青年はある日この二人がいつも花束を置く墓に興味をそそられ、その墓碑銘をのぞいてみます。
「リストリア国の女王たるべかりしエレアーナ皇女殿下の墓。――一九三四年三月八日、巴里市外サント・ドミニック修道院に於て逝去あらせらる。
神よ、皇女殿下の魂の上に特別の御恩寵を給わらんことを、切に願いまつる。」
(『墓地展望亭』より引用)
実はこの二人の背景にはロマンティックな大冒険が隠れていたのです。
- 著者
- 久生 十蘭
- 出版日
- 2016-01-16
ラストでこの『墓地展望亭』というタイトルがしっくりおさまる構造になっていることがわかります。さすが、小説の魔術師。ちゃんとこの不思議な響きには意味があるのです。
久生十蘭はいろいろな小説を書いていますが、このような一風変わった恋愛小説にも傑作が多いです。十蘭の恋愛物がお気に召した方は代表作の『湖畔』の方にもぜひ目を通していただきたいです。
極寒の島で起った火災事故の真相……衝撃の結末は必見
『海豹島』はグロテスクな犯罪小説であり、一方で歪んだ恋愛小説であり、北方の島を舞台にした冒険小説でもあります。
「海豹島(かいひょうとう)」というのはオホーツク海に浮かぶ孤島で実際に存在するそうです。ここはオットセイの繁殖場であり、発情期の際にはメスを取り合ってオス同士が血みどろの争いを繰り広げるのでした。
- 著者
- 久生十蘭
- 出版日
- 2015-12-31
主人公にして語り手の「私」は樺太庁農林部水産課の技師で、オットセイ獲事業の主任。オットセイ狩猟所の完成を見届けるため、海豹島に渡ります。しかしそこで「私」を待っていたのは火災によってほとんどの技師が焼死したという事実でした。、警察に事件のことを知らせるべく部下を送り返し、火災の生き残りである狭山良吉という剥皮夫と二人で島に残る「私」。
しかし藁沓(わらぐつ)の数と死体の数が合わないことから「私」の中にある疑問が生まれます。この島には、記録されていないもう一人の人間がいたのではないか?しかし、その一人はどこへ消えたのでしょう。この疑問はやがて火災事故そのものの信憑性さえ揺るがしていきます。本当に技師達は火災で死んだのでしょうか。
極寒の島という「密室」でじわじわと恐ろしい方へ展開するストーリーがたまりません。真相に主人公が近づくたびにホラー小説の様相さえ示してきます。また、いろいろなところに伏線がはってあるので、何気ない部分が「ここはラストへの伏線だったのか」と驚かされることになります。最大のキーポイントは「記録に残らないもう一人」の行方です。この一人の行方が分かる結末は衝撃的です。
平安時代、最低のDV父がいた!彼に巻き込まれた家族の悲劇
『無月物語』は酷い小説です。駄作という意味ではありません。ここに書かれている藤原泰文という男の所業があまりに酷すぎるという意味です。
- 著者
- 久生十蘭
- 出版日
- 2015-12-31
物語は平安を舞台にしています。後白河法王の院政時代におきた尊属殺人について扱っています。殺されたのは中納言藤原泰文。殺人を行ったのは妻の公子と泰文の末娘の花世。どちらも非常に美しい女性です。
二人の処刑の場面からストーリーは始まります。そして情状酌量の余地が多分にあったこの事件の詳細が語られるのです。そこには殺された藤原泰文の人でなしっぷりが容赦なく書かれています。
持参金目的で妻を娶った泰文。金は全部自分のものにしてしまうこの男にとって、子供はただただ金がかかるだけの無用の長物。彼の鬼畜さを表すセリフの一つにこんなものがあります。
「あれはうちの墓地だが、童めらが一人残らずあそこへ入ったら、おれはここに坐ってゆっくり見物してやるのだ。そのための堂よ」
(『無月物語』より引用)
彼は自分の子が死ぬのを心待ちにして寺を建てる男なのです。
延々と繰り返される理不尽な虐待とネグレクトに耐え切れなくなった妻と娘の殺人には多くの読者が同情するでしょう。しかしこの物語のすごいところはこういった暗い話でありながら、さらっとよめてしまう飄々とした語り口。泰文の常軌を逸した行動も、あまりにあっけらかんと書かれているため逆に笑えてしまうのが恐ろしいのです。
そして、ラスト。泰文の殺害シーンですがあまりに彼の今までのエピソードがひどすぎるため、すかっとしたカタルシスが読者に生まれてしまう不思議。実に恐るべき小説です。