1:自分と同じ姿を見つけられるかもしれない『ムーミン谷の仲間たち』
トーベ・ヤンソン作・絵の『ムーミンシリーズ全8巻』の6作目にあたり、9つからなる短編集です。物語は、ムーミン谷で起こる出来事が綴られており、個性的な9名がそれぞれ主人公です。彼らは他の誰とも違っていても、ムーミン谷では受け入れてくれる居場所があります。
この作品は、ムーミン谷に住む様々な登場人物を細やかに描いています。みんながみんな個性的で、お互いにそれを認め合い尊重しています。決して他の誰かを傷つけようと思うことはありません。「失敗しちゃったかな。」と思っても自分なりの方法で接していきます。
例えば、6つ目の、目に見えない女の子ニンニは、おばさんからひどくいじめられて、すっかり姿が見えなくなっています。
ムーミンの家に連れてこられ、預けられますが、みんなは、ニンニにどう関わって良いか悩みます。ムーミンママ、パパ、ムーミン、ミィ…それぞれがニンニの姿が見えるようなる方法を考えて接していくのです。
やっと足先だけが見えてきて、上手くいったと思っても言い方が違うと、また怯えて消えてしまいます。けれども、彼らは根気よく自分なりの方法で、ニンニのためと思うことをしていきます。
- 著者
- トーベ・ヤンソン
- 出版日
- 2011-07-15
さて、この作品に出てくる生き物たちはいったい何ものなのかはよく分かりません。しかし、彼らの言うことや、していることは私たち人間とそっくりです。
また、それぞれの話で人間の喜怒哀楽を豊かに表現しています。特に、負の感情では妬みや悲しみや孤独などがあり、読んでいてドキッとさせられます。けれど、暖かい家族のふれ合いや純粋な友情からくる思いやりには、ほっとした気持ちにもさせられます。
「みんな」は一人ずつで、おのおの違う性格を持っています。だから、同じ気持ちでいても表現の仕方は違っています。
私たちも、同じことを感じてもまったく別の言葉を使うことがあります。そんな時、もしかしたら「自分はひとりぼっちだ」と感じるかもしれません。けれど、この本を読めば、きっと、どこか自分に重なる部分があるのではないでしょうか。
ひとりぼっちだと感じたとき、そっと手に取ってみたい一冊です。
2:子どものころのできごとや、大事にしていたものを忘れない『飛ぶ教室』
作者のケストナーは、冒頭で子どもの時に大事にしていたお人形を失くした時の涙と、大人になって友人を亡くした時の涙は同じものと考えるべきだと伝えています。
空を飛ぶ教室というからには、このお話はファンタジーなのではないか思い込んでしまいそうですが、しかし、実際はクリスマスの出し物で、劇の中でのお話なのです。将来の学校が、飛行機に乗ってイタリアのベスビオ火山へ、ギゼーのピラミッドへ、そして北極へと飛んで行く劇をするお話なのです。エンディングはクリスマスらしく飛行機の故障とトラブルで天国へいくというものです。
物語は、1933年に書かれました。ですから、ナチス統治下のお話になります。つまり、ドイツのギムナジウム(高等中学校)でのお話です。その劇の練習をしている間に、登場人物である中学生の男の子たちの人間関係や、先生たちとのやりとりが描かれているのです。
興味深いのは、少年たちが全く違う境遇をもっていることです。両親を亡くしたヨーニー、ボクサーを目指しているマチアス、貴族出身のフォン、美少年のテオドル…。そんな彼らが、劇を作り上げていく中で、同等に駆け引きや喧嘩をしたり、労わり合ったりしてゆくのです。
- 著者
- エーリヒ ケストナー
- 出版日
- 2006-10-17
少年たちは大人顔負けの口ぶりで、講釈をし、激しく彼らの時代を駆け抜けていきます。勉強や規則や、上級生下級生の関係。正義だとか勇気だとか、友情だとか、そういったものが一番大事だった子どもの時代。大人になって忘れてしまった大事なものが、そこにありありと存在します。
しかし、ケストナーが物語の根底で、語っているものはそれだけではありません。「思いやり」が一貫として描かれています。友だち同士の、両親への、先生への思いやり。それはケストナーが、人が人であるために、重要なものであるということを伝えようとしています。
思いやりは純粋なものです。ちょっと疲れてしまったときに、この本を手にしてみると気持ちが晴れ晴れとして、もやもやしたものが消えてしまうかもしれません。
3:時間とは、生きるということそのもの『モモ』
この作品はミヒャエル・エンデの2作目の作品です。俳優をしていたエンデは、子どものために物語を書くようになりました。 『モモ』は世界中で翻訳されましたが、日本ではドイツの次に多く出版されています。『はてしない物語』も映画になり、エンデの作品を知る人は少なくないでしょう。
お話は、どこからともなくやってきた風変わりな女の子モモが、ある街にやってきたところから始まります。その町の人々はみな、貧しくはあっても心が豊かで想像力があり、親切で思いやり深い人々でした。
ところがある日、時間貯蓄銀行を名乗る灰色の男たちがやってきます。そして、人々に時間の節約を勧め、心を豊かにする時間を奪っていきます。街の人々はみな、毎日、せかせかと急いで追われるように生きるだけ。何のために生きているのかさえ、考える時間も無くなるのです。
モモの大好きな友だちも全員、灰色の男たちの罠にはまってしまいます。モモは友だちを助けるために、カシオペイアという不思議なカメに導かれ、時間をつかさどるマイスター・ホラに会いに行きます。
灰色の男たちに包囲されてしまった二人は、マイスター・ホラが眠りに付き、時間を供給するのを止めます。そして、ホラは、モモにそれは美しい1時間分の時間の花を渡します。時間の花は、その人のいのちそのものです。
モモは大事な人々を助けるため、ひいては人間すべてを助けるために、たった一人で(カシオペイアも一緒ですが)灰色の男たちと戦うのです。
- 著者
- ミヒャエル・エンデ
- 出版日
- 2005-06-16
とてもどきどきするお話で、子どもはもちろんですが、大人さえも引き込むスリルがあります。しかし、ファンタジーであるはずのお話が、まるで、現代の世界のありようを描いているかのようで、はっとさせられるのです。
今、私たちは忙しく、時間を無駄にすることを避けています。また、自然に触れたり、空想する時間を持とうとしていないかもしれません。
モモは心を自由にすることができます。話をじっと聴いて受け止めてくれます。これは愛です。モモは時間をかけて誠実に考えて返事をします。誰もが、モモと話したがります。子どもたちはモモと遊ぶととても楽しくて、作られたおもちゃなど必要ありません。
エンデは、私たちに警鐘を鳴らし痛烈な時代批判をし、人間が生きるのに本当に必要なものは何かを問いかけています。
さあ、いまからすぐ、私たちもモモのところへ行きましょう。