描かれる、陰鬱な人間心理『鼻』
夏目漱石からも絶賛され、現代に通用するテーマを扱う作品です。不幸なことを経験したり、不幸な目にあった人を笑ったりした経験はありませんか? 本作は、それらの経験を思い出しながら読むと、より深く堪能できるでしょう。
- 著者
- 芥川 龍之介
- 出版日
- 2007-06-23
僧侶である禅智内供は、非常に鼻が大きいことで有名でした。そのせいで人に笑われることが多かったので、内心では傷ついていたのですが、気にしない風を装っていました。ある日、内供は医者の助言に従って、鼻を短くする方法を試します。結果、鼻は短くなりましたが、今度は短くなった鼻を笑う者が増えたのです。笑う者は日ごとに増え、最後には、鼻が長かった頃よりも笑われるようになり……。
本作の「なぜ」は人々が内供の短くなった鼻を、なぜか前にも増して笑うようになった点にあります。ここに描き出される陰鬱で醜くもある人間心理こそが、本作の魅力でしょう。
想像してみてください。笑い者にされていた人間が、その笑いの種を取り除いた後の人々の反応を。人はその人を素直に祝福するでしょうか。それとも、理由をつけて彼を笑い続けるのでしょうか。芥川の出した答えは後者だったようです。あなたはどう考えますか?
芥川龍之介による童話『杜子春』
中国の古典を童話化した作品です。童話といっても、大人が読んでも面白い作品となっています。童話という分類は、この話が教訓じみたものを含んでいるからでしょう。しかし本作では、教訓以外の深さを見つけられるはずです。
- 著者
- 芥川 龍之介
- 出版日
- 1968-11-19
杜子春という青年は、親の遺産で遊び呆けた結果、乞食同然になります。そんな彼を哀れに思った老人の指示に従うと、彼はたちまち大金持ちになりました。老人は仙人だったのです。やがて彼は、自身の財産によって手の裏を返す人間に絶望。仙人に仙術を教えてもらうことを懇願します。そこで老人は杜子春を自身の住む山に連れて行き、声を出してはならないという試練を与えるのです。どんなことがあっても決して声を出さなかった杜子春でしたが……。
本作では、人間らしい生活とはなにか、そこにある幸せとはなにかを問うています。金持ちでも仙人でも幸せになるとは限らない、というのが芥川の答えだったのでしょう。苦難の人生を歩んできた著者にとっては、普通の生活こそ最も幸せな生活だったのではないでしょうか。
芥川龍之介、晩年の作品『河童』
著者晩年の作品。当時の世相を考えながら読むと様々な疑問が生まれます。また本作は、芥川が自殺した意図を考える上でも重要な作品とされていて、その文章に滲み出る人間や社会への絶望が、自殺の理由を読者に知らせてくれるようです。
- 著者
- 芥川 竜之介
- 出版日
- 2003-10-17
精神病患者の第23号は、河童の国に行ったことを誰にでも話していました。彼は河童の国に迷い込み、そこで様々なことを経験したのだといいます。彼がとりわけ驚いたことには、雌が雄を追いかけること、出産時には胎児に対して生まれたいかを問いかけ、生まれたくなければ合法的な中絶がなされること、そして働けなくなった河童は食肉として加工されてしまうことなどがありました。そのような価値観の中で生活してきた第23号は、友人の死をきっかけに、人の世界に戻ってきます。しかし人間世界では彼は異常者であり、精神病患者として扱われていたのでした……。
本作で問われる、異常と正常。河童社会は人間にとっては異常でしょう。一方、河童にとって人間は「遅れた」存在なのです。河童の価値観に染まった第23号は、正気であっても人間世界においては「異常」なのでしょう。そしてこの第23号は、「なぜ」を問い続ける内に、社会と自身の認識との違いに気が付いた、芥川本人であるかもしれません。
人間と付き合うのに疲れたという方は、ぜひこの機会に河童の世界を覗いてみませんか?