最も過酷な挑戦 稲盛和夫はどのように動いたのか
『独占に挑む』、この物語は稲盛和夫の視点に立って、渋沢和樹がビジネス小説風に書き下ろした一冊です。舞台は、稲盛が挑んだ新規の電話通信部。当時は電電公社という計り知れない程のマンモス企業が通信社会を一社独占をしていた時代です。そこに、蟻とも形容できる極小企業が巨大なマンモスに交戦を仕掛けます。フィクションとしても大変面白いストーリー構成ですが、何より興味深いのがこの物語が実話だという事でしょう。
- 著者
- 渋沢 和樹
- 出版日
- 2012-09-04
稲盛側の抱える社員は19人、対してマンモス企業は32万。
「なぜ僕は敢えてそんな大きなリスクを取り、電話の事業に乗り出さなければならないと考えているのか。一言で言えば、日本の電話を安くしたいと思っているんです」
(『独占に挑む』より引用)
この著書では、稲盛が普段からフィロソフィーとして実践する彼の想いが随所に登場します。そして「想いは叶う」という彼の信念と共に、稲盛の思想は社内を動かし、果ては大きな社会を変革していく。
『独占に挑む』は、稲盛和夫を題した他の書籍よりもかなり深部に食い込んだ内容となっています。しかも本人ではなく、第三者の視点で書いた物語。だからこそ、読む者と稲盛和夫という男との間に遠い存在を感じさせません。そこには稲盛自身が経験した苦悩とストレス、そして最後に訪れる喜びと新たな野望に満ち満ちているのです。
彼の自叙伝や経営実学書を読むのもまたためになるのですが、彼の残した軌跡を、彼が直に感じた想いや言葉と共に読み進めていくのも一興かと思います。
人間としての倫理観を育む大人の道徳の書
経営者としての立場から社会構造の弊害や腐敗に鋭く切り込んだ、稲盛和夫の強い想いが込められた一冊。
「戦後、われわれは自由と民主主義を獲得する事ができた。自由で平等な社会はたしかに素晴らしいものであった。しかし反面、自由は放縦に、平等は傲慢に結びつくこともある。」
(『日本への直言』より引用)
「どのような社会であろうと、人間は自らの行動や思考をコントロールし規制するための規範を、わが内に持っていなければならない。」
(『日本への直言』より引用)
- 著者
- 稲盛 和夫
- 出版日
稲盛和夫は情熱的で実直でありながら、その言動の節々に宗教的概念が見受けられる、というのは有名な批評ではないでしょうか。今作でも、その宗教的概念はありありと表現されています。しかし、そこには日々イメージされる悪い概念の宗教観とは別次元の、高尚な人間像を体現しています。それは、清々しいとも形容できる宗教理念でしょう。
彼の半生で培われた清らかな宗教観は、稲盛流経営術でも垣間見られます。彼の成功はこの徹底した宗教観にこそあるのではないでしょうか。
その事は必ずしも経営だけに当てはまる事では無く、人生全般に活用されて初めて意味のあるものだと私は思います。この書では、経営の何たるかではなく、人間としていかにあるべきかをとうとうと語って聞かせてくれるのです。
稲盛和夫の宗教間の根本に流れるのは
「人間は(中略)好き嫌いまたは損得によって物事を決めていく、(中略)利己的に動くのである。この場合には、他者を大事にするとか、他者を愛するという、利他的な行動は生まれにくい。」
(『日本への直言』より引用)
という思想です。そして、利他を念頭に置かない、利己的な人間が集まって構成される社会構造に警鐘を鳴らしています。この社会構造のまま時代が進めば、間違いなく日本は駄目になるであろうと。
何かを成し遂げたい、行いたいと思い立った時には強い倫理観が生まれます。しかし残念ながら、その倫理観は日々醸成され、豊かに育っていくものではなく、慢性と堕落に溺れ、後々は「自分さえ良ければ」という怠惰な精神に侵されていくのです。これを維持し、更に発展させていくには相当強固な精神力と忍耐が必要とされます。そして、稲盛和夫は自分自身に言い聞かせるように、読む者にもそれを教えてくれようとしているのではないでしょうか。
この書の面白い部分は、単純に稲盛の思想をつらつらと語るだけにあらず、野村証券や住専などの現実の不正問題に焦点を当てながら本質に迫ろうとしている点にあるでしょう。つまり、人の生き方に経済という視点を加え、現実的な観点から物事の良し悪しを測っていこうとします。『日本への直言』は、成功を収めた男の思想に触れることが出来るだけでなく、現実的な経済の知識も得ることが可能なのです。
経営と社会、両者二つの哲学を極めた2人の問答集
経営者としての稲盛和夫と、哲学者の梅原猛が、それぞれの思想を近代文明というテーマで語り尽くす本です。文書の構成は、稲盛が発し梅原が答え、反対に梅原が発しそれに稲盛が答えるという問答形式で進んでいきます。
ここに一経営者としての稲盛和夫の顔はありません。あるのは地球に存在する一人の人間、稲盛和夫のみです。
- 著者
- ["稲盛 和夫", "梅原 猛"]
- 出版日
- 2011-12-03
物語の順路は、アフリカやヨーロッパの古代文明から始まり、アメリカの発展、そしてアジアの台頭、果ては神や宗教の精神論へと流れていきます。
「アメリカ人は(中略)汗水たらし苦労して製品をつくりあげ、経済発展をはかるのはバカバカしい、と中国や東南アジア、旧東欧諸国などの勤勉な国の人たちにモノづくりを任せ、自分たちは設計や販売だけ担当しようとしている。(中略)カネを動かしてカネを儲けるのがいちばん」
(『近代文明はなぜ限界なのか』より引用)
上記の文章は、中盤の稲盛和夫の言葉より抜粋しましたが、この人の正義感が強く表れている一文ではないでしょうか。稲盛の経営哲学には儲けよりも人間として正しい事、つまり限りなくユーザーの視点に立ったビジネス観が根底にあります。それは彼の商売道であるばかりでなく、人生観にも繋がります。彼にとって、倫理よりもお金儲けに必死になる人たちは決して許せる存在では無いのでしょう。
そして、道徳を忘れ自分の欲に堕落した人々の結末は決して幸福では無い、という考えを併せ持ちます。
文明というと物凄くスケールの大きい話にも感じますが、結局の所、彼の目指すものは「人の幸せ」にこそあります。当然そこには自分の幸せも含まれているのでしょう。しかし、自分の他に他者をも幸せにする、つまり利他の精神を持って、そして人々が互いに幸せになる事、それこそ稲盛和夫の考える「人の幸せ」なのです。
経営の哲学を極めた男と、人生の哲学を極めた男が対峙する人類文明論。極みに達した男同士の熱い論説は、人の考え方や価値観を一変させる大きな力を有しているのだと思います。