1.バンドデシネの名門「ユマノイド」の作品が読みやすくなった
何故いま翻訳マンガをオススメするのか。そのもっとも大きな理由は、実は世界的なマンガ大国であるフランスのマンガ(当地ではバンドデシネ、BDと呼ばれます)のそのまた名門レーベルである「ユマノイド」の作品が、日本で読みやすくなったからです。
9月4日、電子書籍販売サイト「イーブックジャパン」において、ユマノイドの作品が1巻500円から購入できるようになりました(紙のバージョンとはページ数が違いますが)。
http://www.ebookjapan.jp/ebj/special/st/humanoids.asp
高い、重い、場所をとる、と敬遠されることの多かった翻訳コミック。大判で権利料や翻訳料が上乗せされ、本国では分冊なのを合本しているため日本では2000円~4000円くらい払わないと手に入れられなかったのです。そのため、「高い」という印象を持たれてしまったのでしょう。
しかし今回、電子版ということで重さから解放され、場所をとらなくなったうえに、ちょっとずつ読めるようになったのです。正直、これは画期的だと思います。日本のマンガと同じような価格帯になることで、手に取ってくれる人が増えて、その魅力に触れる人が増えてくれたら、こんなに嬉しいことはありません。
さて、そこで、皆様にオススメしたい翻訳マンガ、その最初の1冊はこちらです。
- 著者
- ピエール・ワゼム
- 出版日
- 2014-10-12
パッと見たところ、どんなお話か見当もつかないと思いますが、あらすじを説明しようとしてもわかりやすくはありません。でも、ちょっと考えさせられるような映画や文学が好きな人には強くオススメできる1冊なのです。(映画『マトリックス リローデッド』で「アーキテクト」の話がよくわからなかった、という人にはオススメできません)。電子版で読み始めて、全部読んでから紙のほうも買ってしまうかもしれません。それでも6000円。ちょっと贅沢な良いご飯を食べたと思えば、安いくらいです。
あらすじは、ざっとこんな感じです。
役所に届け出をしない不法業者として煙突掃除をしている父と、その手伝いをしている娘が主人公。娘の名前は「アディダス」。アディダスは突然気を失って昏倒してしまうという原因不明の病を患っており、その症状は進行中です。父親が入っていくことのできない煙突の細いところをアディダスは手伝っているのですが、もしその最中に彼女の発作が出て昏倒してしまったら?父親はそのことを心配していますが、ヘタレなのでどうにもできません。実は似たような経緯でアディダスの母も帰らぬ人になっていたのです。やがて、父親の心配は現実になります。煙突の深いところに入って行ったアディダスがとうとう帰ってこなくなってしまったのです……。
あ、なんかツマんなさそう、と思ったでしょう。でもここに今書いた「あらすじ」は、本作の導入に過ぎません。もうちょっとお付き合いください。こんなヘタレ親父とそのかわいそうな病気持ちの娘による切ない親子愛の物語……なんていう導入からは予想もつかない展開がこのあとに待っています。
アディダスは昏睡しているときに、青黒い身体の巨大な何者かの姿を目撃します。この「何者か」というのは、表紙に描かれているヤツですね。失踪したアディダスは、煙突の深部で、なんとこの怪物と出会ってしまいます。一方、アディダスを助け出そうと役所に相談に行った父親は、不法業者であることがバレて、謎の「穴」を掘る現場に強制連行されてしまいます。アディダスは煙突の中で昏倒し、死んでしまったのでしょうか。父と娘はふたたび出会うことはあるのでしょうか。
……と、ここまで書いてもまだ起承転結の承くらいの部分です。
敢えて無粋を承知で解釈を加えてしまうならば、アディダスが昏睡しているときに立ち入る世界、もしくは煙突の深部にある世界は、夢や無意識あるいは深層心理の領域です。アディダスの父が政府に無理やりに連行されて掘らされている「穴」は、この領域へと侵攻するためのもの。大の大人が、何の希望も無いまま自分の無意識をコントロールするために意識を掘り進む、というモチーフが身につまされる人もいるんじゃないでしょうか。
さて、やがて物語の只中で、この「穴」は怪物たちの領域に到達し、政府と怪物たちの戦闘が始まります。意識の表層と深層を行ったり来たりしながら、アディダスたちは事態をどうやって収拾するのでしょう。本作は見事な結末を用意しています。煤と煙に満ちた導入部から、鮮やかなエンディングまで、何度でも読み返したくなる傑作です。ぜひこの機会にお試しください。
2.ジブリやスターウォーズの源流がわかる
メビウス、という作家の名前を知っている人は多いんじゃないでしょうか。『AKIRA』の大友克洋や、ジブリの宮崎駿が影響を受けたと明言する、バンドデシネの世界の最重要人物。2012年に逝去した際に、一部で話題になったのも記憶に新しいです。
メビウスは先述のレーベル「ユマノイド」を設立し、当時まだ子供向けと言われていたマンガ表現を大人向けの鑑賞に足るものへと引き上げようとした人物でもあります。1970年代、ロックンロールに代表されるカウンターカルチャーが、ドラッグやオカルトと結びつき、第二次大戦後のベビーブームによって台頭しつつあった若者世代によって爆発していた時代です。
ユマノイドは「メタル・ユルラン」というSF・ファンタジー・ホラーを描くマンガ誌を刊行。これは英語に翻訳され、アメリカでは「ヘビーメタル」という名前で刊行されました。若かりし日にアメリカンコミックスを読んで育ったメビウスたちの作った雑誌が、アメリカで翻訳されて刊行されたのです。あたかもアメリカのロックンロールを聴いて育ったビートルズが、ブリティッシュインベイジョンとしてアメリカに進出していった構図をなぞるようです。
- 著者
- フィリップ・ドリュイエ
- 出版日
- 2014-04-23
この『ローン・スローン』は、メビウスとともに「ユマノイド」を立ち上げた作家フィリップ・ドリュイエによる作品。1972年にこんな超絶な世界を描いていたとは!という圧倒的な熱量、驚異的なサイケデリック・イメージには打ちひしがれるに違いありません。
40年以上前にこのような表現があったということを知ることで、その後に登場してきた膨大なSF/ファンタジー/ホラーの視覚表現(それは映画やアニメやマンガなど様々なジャンルにまたがります)をより深く味わえるようになるはずです。特にSFとサイケデリックカルチャーの結びつきについては最近、あまりにも忘れ去られているので、ここらへんでぜひ思い出してもらいたいものです。
3.文学でも画集でもない領域が開ける
マンガとは何なのか、という問いはなかなかに難しいものです。コマがあって、そのなかで誰かが何かをやっている。では、絵で物語が描かれている場合はどうなるんでしょうか。写真でもマンガは描けるのか?石でマンガを「描く」というのに挑戦する登場人物が出てくるマンガもありましたね。
単に物語とひとくちに言っても、出来事が展開していくのを淡々と綴るものから、登場人物や視点人物の心理的な葛藤を描くものまで、様々な種類があります。人間は言葉を話し、言葉で思考していると思われるため、言葉で描かれる物語つまり文学での実験こそ最も高尚であるという考えは比較的広く共有されています。本を読むという行為がスカしたカッコつけに思われたりするのは、こういった事情があるからでしょう。ではそこで読んでいるのがマンガだとしたら?途端にそれはリラックスした怠け者の態度だと感じられることでしょう。
また、そこで読んでいるのが画集だとしたら?絵画も文学と並んで高尚だと思われる分野です。でも絵画的要素も文学的要素もあるはずのマンガは、何故か程度が一段低いものとして考えられているのは不思議なことです。何が高尚で何が低俗なのかといった考え方じたいがくだらないというのはさておき、特にユマノイド以降のバンドデシネは、芸術としてのクオリティを強く志向します。上掲の『ローン・スローン』でも、特に初期は作者が美術的な構図の洗練と挑戦を果敢に行っていることがわかります。
- 著者
- アレックス・バルビエ
- 出版日
この『市長の手紙』は、誰が書いているのかわからない奇妙な手紙ということになっています。「市」を管理しなければならない「市長」に対して、最近は「狼男」が蛮行を働いている、と告発する内容のようなのですが、互いに矛盾していたり、「狼男」自身が書いていたりと、何が真実で何が嘘なのかわからないようになっています。あたかも「オオカミ少年」の少年がいないバージョンとでもいいましょうか。とても不気味なのですが、水彩の透明感の高い色使いが不思議なリアリティがあって独特の魅力があります。その不気味さはデビッド・リンチ監督の作品のようでもあります。
ひとつひとつのコマが文字通り一幅の絵画として鑑賞し得るクオリティでありながら、この謎めいた「物語」によって一連の流れを与えられていることで、いっそう不気味で強い魅力を帯びることになっています。「書簡」という形式は、小説においても古典的なものですが、この鮮やかさと水彩の滲みによる演出は文字では決して描けないでしょう。
この作品のヤバさは、作者名と作品名である「Alex Barbier Lettres au maire de v」で画像検索していただければ、その片鱗を垣間見ることができるでしょう。