『ホムンクルス』は、「ビッグコミックスピリッツ」で連載されていた、山本英夫の作品です。前頭部に穴を開ける手術「トレパネーション」を受けた主人公は、他人の深層心理が「異形の姿」で見えるように……。その能力で、自分や他人の精神と向き合うサスペンス・ホラー漫画となっています。

物語の舞台は、日本の東京。新宿西口の一角には、高所得者の集う超一流ホテルがあり、道を挟んだ反対側には、ホームレスのテントが立ち並ぶ公園がありました。
主人公・名越進(なこしすすむ)は、ホテルと公園の間にある道路で、車上生活(カーホームレス)をしています。元エリートサラリーマンの彼は、社会の成功者と底辺、その中間でどちらつかずのまま生きていました。
医学生の伊藤学(いとうまなぶ)は、そんな名越に目を付けます。そして、高額な報酬と引き換えに、日本では未発達の医療行為、「トレパネーション」の人体実験の話を持ちかけるのです。
- 著者
- 山本 英夫
- 出版日
- 2003-07-30
名越は、トレパネーションの手術以降、見える世界が変わることに……。左目で人間を見ると、その人間の深層心理に応じた「異形の姿」が見えるようになるのです。
伊藤が「ホムンクルス」と呼ぶその異形を巡って、名越は心に闇を抱えた人々と関わり、彼らのトラウマに直面していくことになります。
本作は、人間の深層心理を視覚化するアイデアがとにかく秀逸。ホムンクルスの姿形から、人間の内面に踏み込んでいく展開がとても魅力的です。
山本英夫(やまもとひでお)は、1968年6月23日生まれ、埼玉県出身の漫画家です。
1988年に、「週刊ヤングマガジン」のちばてつや賞「ヤング部門期待賞」を入賞。過去には、『島耕作』シリーズで有名な、弘兼憲史(ひろかねけんし)などのアシスタントを務めています。
1989年、鷹匠政彦(たかじょうまさひこ)・原作の『SHEEP』でデビューしました。
代表作は、殺し屋とヤクザの抗争を描いた『殺し屋1』など。(『殺し屋1』については<漫画『殺し屋1』のハードすぎる魅力をネタバレ考察!>をご覧ください。)作品のいくつかは、映画やVシネマとして映像化されています。
- 著者
- 山本 英夫
- 出版日
人間の欲望や社会の暗部をモチーフにすることが多く、過激な内容が目立つ作家です。
とくに『おカマ白書』は、有害図書に指定されています。続刊の発売停止や回収騒動が起こるほど、刺激的な漫画でした。過剰なほど迫力のある展開が、山本英夫の魅力といえるでしょう。
また、作品のために探偵学校に入学したり、ホームレス生活を実体験したりするなど、作中のリアリティに注ぐ情熱も凄まじいです。
山本英夫のおすすめ作品を集めた<山本英夫のおすすめ漫画5選!代表作『のぞき屋』以外にも名作多数!>もあわせてご覧ください。
サスペンス・ホラー漫画に登場するキャラクターは、物語の性質上、奇妙でミステリアスなもの。本作でもっともミステリアスなのは、主人公の名越進です。
彼は、なぜか新宿の公園でカーホームレスの生活を送っています。愛車への執着心は尋常ではなく、寝泊まりも車内です。かなりの虚言癖で、付近のホームレスには名前すら明かしていません。
序盤では、外資系銀行のエリートだったことしかわからず、なぜほとんど無一文でカーホームレス生活しているのかが謎となっています。後に、名越の素性が物語の主眼になるのですが、徐々に判明していく過程は、サイコホラーのように感じられるでしょう。
また、主人公に次ぐ重要人物、伊藤学もミステリアス。
一般的な医学生の印象とは違い、金髪に鼻ピアスといった風貌で、「悪趣味なアクセサリー」が特徴です。しかし、軽薄な口調とは裏腹に、高学歴らしい難解な発言をすることも。
彼が知的好奇心を満たすために始めた実験、トレパネーション手術からすべてが始まりました。物語では、伊藤の内面もグロテスクなまでに描かれます。
トレパネーションとは、頭部の皮膚を切開し、頭蓋骨に穴を開けるという、治療行為の一種です。本作でフィーチャーされるまでは、日本ではほとんど知られていませんでした。
この治療自体は、古代ギリシャから伝わってきたもの。1990年代に入ると、頭蓋骨に穴を開けると脳にかかる圧力が下がり、結果として脳機能がアップしたと発表されたのです。現実では否定的な意見があり、効果のほどは不確かなものでしょう。
伊藤が名越の頭皮を切開し、ドリルで頭蓋骨に穴を開けるシーンは、非常に印象的です。頭蓋骨だけでなく、物語の表現方法に、風穴を空けたようにも思えます。
名越はトレパネーション手術を経て、人間が無意識下に抱える「トラウマ」をビジュアル化した、「ホムンクルス」を見る能力に目覚めます。
ホムンクルスの形態は多種多様で、作中に出てくるキャラクターはすべて異なる姿形をしているのです。
たとえば、ヤクザの組長は強面の外見に反して、「等身大のオモチャのロボット」に身を包んだ少年として描かれます。また、援助交際をしていた女子高生は、名越の目に「人間の形をした砂」として映りました。
これらはすべて、彼らが過去に体験したトラウマが原因になっています。トラウマは精神的衝撃によって作られるものなので、それをビジュアル化したホムンクルスも凄まじく不気味です。ホムンクルス自体が読者のトラウマとなって、時に「怖い」とさえ感じるでしょう。
名越は、奇妙なホムンクルスを持つ人々と関わって、トラウマを取り除き、ホムンクルスを消し去っていきます。
トラウマを癒やす(?)名越は、一種のセラピストのようですが、本作はそう単純ではありません。他人のホムンクルスを消すと、その一部がなぜか名越の体に出現するようになるのです。
果たしてホムンクルスとはなんなのか?その正体は、物語の行く末と同じくらい興味深く、読んでいるとどんどん引き込まれてしまうでしょう。
伊藤は、トレパネーションの実験とは「プラシーボ効果」によるもの、つまり思い込みによって、人の反応を見る研究だったことを明かしました。名越に見えるホムンクルスも幻にすぎないと……。
しかし、名越は実際に、ホムンクルスの本人すら忘れている過去を言い当てることができました。
伊藤は、実験終了を宣言して穴を塞ごうとしますが、動揺してうまくいきません。そして、名越はあえて右目を縫わせて、さらにディープなホムンクルスの世界へと入り込んでいきます。
前半は、他人のトラウマを解消する展開がメインでしたが、後半はがらりと変化します。ホムンクルスは他人の深層心理ではなく、他人の姿に、名越自身の心も反映されていることがわかっていくのです。
- 著者
- 山本 英夫
- 出版日
- 2011-04-28
名越はかつて、自分自身の存在に実感が持てない男でした。そこから段々と現実感が喪失し、精神を病んでいくことに……。彼は整形し、嘘にまみれて現在の自分になったのです。
つぎつぎと暴かれる名越の心の闇が、読者の精神までも抉(えぐ)っていきます。自我を保つために、自分の精子を食べるシーンなどは、トラウマ必至でしょう。
終盤では「ななみ」という、名越と同様に自己のない女性と出会います。彼は、ななみにもトレパネーション手術を施し、身も心も一体化しようとします。
その結果、名越の身にとんでもないことが起こるのです。ある意味では、彼にとって幸福な世界が実現されるのですが、かなりおぞましい結末に……。
さらに単行本には、連載の最終回では描かれなかった「本当のラスト」も収録されています。名越がホムンクルスと関わることで辿り着いた終着点で、彼が何をしてどう変わったのか。
衝撃のラストは、ぜひ実際に手に取って確かめてみてください。
本作は、人間の心の闇に焦点を当てたもの。トラウマがひとつのテーマなので、すっきりはしませんが、ほかでは味わえない独特の面白さが魅力です。