「ガンガンONLINE」で連載中の本作は、時勢に合ったテーマを取り上げた新しい漫画として、今、静かに話題と注目を集めています。この記事ではそんな『性別「モナリザ」の君へ。』の1巻をご紹介します。 スマホアプリで無料で読むこともできます!

本作は、2018年5月からスクウェア・エニックスのwebコミック配信サイト「ガンガンONLINE」で連載が始まった、webコミックです。
単行本では既刊4巻(2020年6月現在)。作者は吉村旋(よしむら つむじ※吉は土の下の横画が長い。単行本の表紙参考)。
- 著者
- 吉村旋
- 出版日
- 2018-09-21
吉村にとって「ガンガンONLINE」では『UNKNOWN』『Classi9』に続く3作目となる作品。そんな本作は、性別というとてもナイーブなテーマに挑んだ意欲作です。
本作の世界では、人間は性別がない状態で生まれ、12歳くらいでそれぞれ性分化が起きます。幼馴染みのしおり、りつはすっかり性分化してしまったというのに、主人公・ひなせは、18歳になっても性別がないままなのです。
多感な年頃の18歳。男性となったしおりが恋をした相手は、なんとひなせでした。そして、しおりはこう言うのです。
好きだよひなせ
おれがお前を女にする
(『性別「モナリザ」の君へ。』1巻から引用)
女性となったりつにも、好きな人ができました。そして彼女が好意を寄せる相手も、ひなせだったのです。
私がひなせを男にする!
だから…私と付き合って欲しい…ですっ
(『性別「モナリザ」の君へ。』1巻から引用)
12歳になってしばらくの間は、他の人たちのように――しおりやりつのように、性別を持つことを期待していたひなせも、18歳になる頃には何も期待しなくなっていました。
性が分化しないことで離れていった人たちもいましたが、しおりとりつは今も以前と同じように、ひなせと仲よくしています。少なくとも、ひなせはそう思っていました。
しかし、しおりにもりつにも、身体的な変化と同様に心理的な変化があったのです。一方、ひなせには性的欲求というものが一切なく、恋愛感情もありません。それゆえ、恋愛に対する理解もあまりない状態でした。
「好き」という感情のために、ひなせに女性になってほしいしおり。また同様の想いから、ひなせに男性になってほしいりつ。そして、特にどちらとは言わないが、ただ性別を持つことを望んでいるらしいひなせ。
3人の幼馴染みの、少し不思議で不安定な関係。そして、ひなせの将来はどうなっていくのでしょうか。
第1巻では、主人公・ひなせの性別への諦めと焦燥感。そして、ひなせが同い年の幼馴染みのしおりとりつから自分へ向けられた想いへの当惑といった、ひなせの複雑な胸中が描かれています。それから、ひなせの性分化に関して診察・研究している主治医であり、しおりの兄であるあずさにはある思惑があって……。
本項では主人公のひなせと、ひなせに関わる3人の男女をご紹介しましょう。
本作の主人公。18歳。12歳頃から顕れるはずの性分化がいまだになく、性別がありません。一般的な同年代の男性の体型だと思われるしおりよりは小柄で、一般的な同年代の女性の体型と思われるりつより少し大きいくらいの背丈。
しかし、身体には女性らしい丸みはほぼなく、学校の制服は男子と同じ型のものを着用。体育の授業は学期ごとに、男子の授業と女子の授業を交互に参加しています。
しおりの兄であるあずさを主治医に、性分化の様子を定期受診しています。「準モナリザ症候群」という仮の病名がつけられましたが、これは作中にのみ存在する架空の病名です。
現実にも「モナリザ症候群」という、交感神経がうまく働かないために肥満に至るという疾病があるのですが、これと作中の「準モナリザ症候群」とは関係がありません。
男性でもない、女性でもない……そのせいなのか、性的欲求も恋愛感情もなく、誰に対しても友達以上の好意を持つことができません。そんななか、幼馴染みのしおりとりつの2人から同時に告白され、ひなせは戸惑い……。
その後、診察時にホルモン値のわずかな上昇がありましたが、2人の告白の影響なのか、身体の性分化に繋がるのか、まだわかりません。思春期という微妙な時期の、さらに微妙な瞬間に存在する人物なのです。
ひなせの幼馴染みで美大志望の高校3年生。短髪・長身のさわやか系少年。時折、ひなせに絵のモデルを頼んでいる様子。ひなせのことが好きで、放課後の教室で告白しました。「俺がお前を女にする」という性別に囚われた言い方をしましたが、その後これを悔いる様子はありません。
さらに自分の告白によって、ひなせが女性に分化するのではないか、という希望を持ってみたり、ほぼ同時期にひなせに告白したりつに対して「俺とお前しだいで、ひなせが男になるか女になるか決まるかも」と発言するなど、特に性別にこだわりが強い様子が見られます。
ひなせの幼馴染みの少女。肩より長い髪を少し編み込んで、ひとつに束ねています。昼食は自作と思しきお弁当派。
ひなせのことが好きで、タッチの差でしおりよりも先に告白します。しおり同様「私がひなせを男にする」という言い方をしますが、のちに「『男にする』って何よ…」と悔恨を見せました。ひなせに対してもあらためて、「私が好きになったのはひなせ自身だから、もしずっと今のままでも」と告げています。
幼い頃は、快足で活発。「きっと将来は男の子」と大人に言われたり、かわいいものを身につけようとすると同級生から「りっちゃんかっこいいんだから、こっちの方が似合う」と男の子っぽいものを勧められたりしていました。しかし、彼女自身はかわいいものを身につけたいと思っていたのです。
ひなせはそのとき、「りつだってかわいいものが似合う」とかわいいものを勧めました。まだ、りつも性が未分化だったの頃の話です。性別に関わらず、自分の気持ちをひなせが慮ってくれたそのとき、はじめて女の子になりたいと思ったのだと彼女は回顧しています。
ひなせが通院する大学病院の医師で、細い縁の眼鏡をかけた青年。しおりの兄。
「近所でも有名な秀才」で「気さくで話しやすい、非の打ちどころがない人」とひなせが評しています。性分化しないことで特別扱いされがちだったひなせに、医者になる前から分け隔てなく接していたとして、ひなせが好印象を持っている人物です。
蝶が好きで、病院の診察室に蝶の飼育ケースを置いて女性職員から不評を買います。しかし、こういった行動も、「ハンサムだが変わり者」という定評があるため、厳しく咎められることはない様子。
弟・しおりが、ひなせの検査データを見られるように仕組んだり、「ひなせがポーランドの無性別者を越えて最年長者になった」と告げながら、ポーランドのその人がすでに亡くなったこと、無性別者が20歳を過ぎるまで生きた例がないことを黙っているなど、何かを目論んでいる様子が見られます。
本作のストーリーは、主人公であるひなせの境遇を知らせるシーンからはじまり、続いて「モナ・リザ」という絵画についての、授業の場面へと移ります。
「モナ・リザ」は誰もが1度は目にしたことがある、有名な作品。16世紀にレオナルド・ダ・ヴィンチによって描かれた肖像画です。
「モナ」とは「夫人」という意味、「リザ」は人名。「モナ・リザ」とは「リザ夫人」という意味です。モデルとなったのはリザ・デル・ジョコンドという人物で、フランスやイタリアでは「モナ・リザ」ではなく「ジョコンド夫人」と呼ばれています。
肖像として描かれている人物は、女性であると考えられてきました。しかし、作中で教師が述べているように、同性愛者であったダ・ヴィンチの愛人でもあった、弟子の男性サライが肖像のモデルではないかという説や、ダ・ヴィンチ自身の自画像を左右反転させると「モナ・リザ」の肖像と一致するという発見もあるのです。
また、「モナ・リザ」の左半身と右半身で、性別が異なるという説もあります。
左右非対称のこの絵画は、向かって右半身(本人の左半身)が男性、その反対側は女性を表しているとの説もあり、顔を見ると向かって右側は顎が張った男性的な輪郭、向かって左はすっきりとした女性的な輪郭を持っています。
さらに、向かって右手はごつごつとした指を持った男性の手、向かって左手はふっくらとしてまるみを帯びた女性の手が描かれています。
このことからダ・ヴィンチは「モナ・リザ」にアンドロギュノスの美を描こうとしたのではないかといわれている、と作中に述べられています。
アンドロギュノスとは、日本語で「両性具有」を表しますが、ただ男女両性の性器を持つ人体という意味ではありません。原初の人間は男女に分かれていなかったという神話は、世界各地に残っているのです。
これを作中では「神が人間を男女に分ける以前の、幸福な統一体」と呼び、ダ・ヴィンチが「完璧さと中立性という理想を体現した美」として愛していたのだと伝えています。
両性を持つものが「幸福な」統一体であるなら、「性を持たない」自分は何なのか。ひなせは疑問に思います。
「性」とは何か。「性を持たない」とはどういうことか。生まれながらに男女いずれかの性を持ち、それを当然として生きていた人は、およそ考えたことがない課題でしょう。
しかし「性」とは何であるのかということは、すべての人が考えるべきテーマです。なぜなら「性」は「生」、生きることそのものだから。そして「性を持たない」人は架空のものではなく、読者が住む現実の世界にも存在します。
『性別「モナリザ」の君へ。』は、まだ始まったばかりの物語ですが、主人公・ひなせとともに、読者である私たちもまた「性」について、「性を持たない」ということについて、考えていかねばならないのではないでしょうか。
- 著者
- 吉村旋
- 出版日
- 2018-09-21
本作には、タイトルページに続いて、作中世界の「性」について語る部分があります。
この世界においてヒトは幼少期を性別のない身体のまま過ごす
そして12歳を迎えるころ、自分自身がどちらの性になりたいか
その天秤のふれたほうに次第に身体が変化していき
やがて男か女になる
(『性別「モナリザ」の君へ。』1巻から引用)
この部分が、本作の世界と読者が住む現実の世界との間にあるもっとも大きな違いであり、作中でもっとも大切な部分です。
上記の引用部分のとおり、性別がないものとして生まれたヒトは、やがて男女いずれかに分化します。しかし、ひなせは性の分化がないまま、つまり性別がないまま、18歳の春を迎えました。
このような性分化があるということは、読者である私たちと作中の人たちの身体の構造が異なるのかと考えてしまいますが、どうやら違いはないようです。性ホルモンの体内濃度によって、身体にその性の特徴が出るなどは私たちと変わりがありません。ただし、性の分化には本人の意志もいくらか関わるようです。
男性に成長したしおりが、ひなせへの告白で「俺がお前を女にする」と、女性に成長したりつが同じくひなせに「私がひなせを女にする」と言っていることから、作中世界においての多数派が異性愛者であることがわかります。
しおりは「男性である自分が好きになった相手(ひなせ)は女性であるべき」、りつは「女性である自分が好きになった相手(ひなせ)は男性であるべき」と、異性愛を基準として考えていたからです。
しかし後に、りつは「私が好きになったのはひなせ自身だから」と発言したことから、性別に関わらず好きである、ということを言おうとしていたと読み取れます。
また、成長の過程で男女いずれかに性分化するのが「普通」であって、この世界では性を持たないひなせのような人も、両性を併せ持つ「幸福な統一体」の人も「めずらしい」「特殊なもの」として扱われがちであるようです。
単行本Paint.1「18の春」で、ひなせがモノローグに、次の3点を挙げていることから、それがわかります。
『性別「モナリザ」の君へ。』の世界の人々も、現実の世界と同じように、生物学的性(身体の性別)と性的指向(どの性別の人を好きになるか)について、個々に異なる問題を抱えているのだということが窺えます。
これに加えて、ひなせは生物学的性という意味でも、性自認(自分が思う自分自身の性)においても、まだ性がありません。
今後ひなせは、男女いずれかの性を持つことになるのか、あるいは性を持たないことを望むのか、何らかの方法で両性を手に入れるのか。男性をパートナーとするのか、女性をパートナーとするのか。もしかしたら、パートナーは一切必要ないままかもしれません。
自分の性と他者の性。人と人との関係において、それらが影響する部分も決して少なくありません。『性別「モナリザ」の君へ。』の世界でひなせの性によって周りとの関係性はどうなっていくのか、見守っていきましょう。
ひなせは現在18歳の高校3年生。2人の幼馴染みがいます。幼い頃は性差はなく共に育ちましたが、12歳の頃には幼馴染みたち――しおりとりつは、それぞれ男性と女性に分化。しかし、ひなせはいまだ性の分化に至りません。
幼い頃からひなせのそばにいた2人は、やがて、それぞれにひなせに恋心を抱きます。
それぞれの言動から、しおりはひなせに女性になってほしい。りつはひなせの性別にはこだわらないといった立場をとっているようです。
幼馴染み2人はひなせをこのように見ています。
では、ひなせとの関わりが深いもう1人の存在・高山あずさ医師はどうでしょうか。どうも単純に「医者と患者」というだけの関係ではなさそうです。
あずさからひなせへのアプローチは、医療の面だけではありません。しおりの兄ということで、幼い頃からひなせとの関わりがあります。現在の関係性はというと、医者と患者として、幼少時からの知人として、その境界は曖昧です。
一方、ひなせはあずさが白衣を着ているときは「先生」、そうでないときは「あずささん」と呼び分けています。彼の曖昧さとはかなり対照的に感じられるでしょう。
あずさの言動には謎めいた部分が多く、しおりの兄として、医師あるいは研究者として、何か内に秘めている様子が窺えます。それが、ひなせにとってよくないことが起こるのではないかと予感してしまうのは、作者の思惑によるものなのでしょうか。
ひなせ、しおり、りつ。この幼馴染み3人の間のことであれば、「性別」という複雑な要素を含んではいますが、基礎の部分は恋愛漫画によく見られる三角関係といえます。
しかし、そこにあずさというイレギュラーな要素が存在するために、『性別「モナリザ」の君へ。』のストーリーは、今後の展開の予想が難しくなっているのです。
- 著者
- 吉村旋
- 出版日
- 2018-09-21
セクシュアリティ、すなわち性のあり方についてお話しする前に、それらを表す言葉を確認しておきましょう。「SOGI」(ソジ)という言葉を耳にしたことはあるでしょうか。SOGIとは「Sexual Orientation and Gender Identity」、つまり「性的指向と性自認」。すべての人が持つセクシュアリティの要素です。
性的指向とは、どの性の人を好きになるか、性自認とは、自分がどの性として自分自身を認識しているかを表します。これらは、あくまで2つの要素であって、一方が決まれば他方も決まるというものではありません。
たとえば性自認が男性、つまり「自分は男性である」と認識している人が好きになる相手は、必ずしも女性とは限らない――性的指向が異性に向いているとは限らないということです。
男性が好きになるのが男性であっても、両性を備えた人あっても、あるいは性のない人であっても、いずれもおかしなことではないのです。
しおりやりつは、自身を異性愛者と仮定して、しおりは自分の性自認が男性だからひなせを女性に、りつは女性だからひなせを男性にすると言いましたが、果たして2人の性的指向は異性に向いているのでしょうか。
異性愛が当然とされている世界で育つと、たとえ本当は違っても「自分もきっと異性愛者なのだ」と思い込んで、長い時間を過ごしてしまうことがあります。
それは本作の冒頭で、ひなせが「12歳になってもしばらくは、自分もそのうちほかの人たちのように性別を持つようになるのだと思っていた」とモノローグに言ったのと同じことです。しかし、実際は異なっていました。
しおりの性自認は男性、彼自身が示す彼の性的指向は、女性(異性)です。りつの性自認は女性、性的指向は男性かと思われましたが、後に男性であるか否かに関わらずひなせが好きだと言っていましたから、これは確定ではありません。
彼女の性的指向は、もしかしたら男性だけでなく、同性や無性にも向いているかもしれないのです。
一方、ひなせはどうでしょうか。現在のひなせ自身は「自分には性がない」という認識をしているようですが、男性と女性のうちどちらでありたい、どちらになりたいという意識もないようです。このことから、性自認は無性であるといえます。
性的指向については単行本第1巻Paint.5「選択」の後半部分で、主治医であるあずさがカウンセリングをとおして、ひなせについて次のように言っています。
今までのカウンセリングで
ひなせくんに性的欲求が一切ない事はわかっている
それに伴って恋愛感情も芽生えてはおらず
それへの理解もあまり持ち合わせていない
(『性別「モナリザ」の君へ。』1巻から引用)
ひなせは性的欲求・恋愛感情をそもそも持たない者であるということです。性的指向はどこにも向いていない。これは何らおかしなことではありません。このような人は、私たち読者が住む世界ではアセクシュアルと呼ばれます。現実の世界にも存在しているのです。
あずさは現在のひなせが、しおりかりつか、いずれかを選ぶということは、今日のディナーをステーキにするかシチューにするかを迷うことと大差ないと言っています。そして、フォークかスプーンか、食器の選択を求められているのだと。
確かに、フォークでシチューは食べづらいでしょうし、スプーンでステーキは難しそうです。しかし、ひなせ自身がその食器で食べたいと思うならシチューにフォーク、ステーキにスプーンも、間違った選択ではありません。また、あずさが考えるように、食器を「持たない」という選択肢もあります。
さらにいえば、スプーンとフォークの両方を使う、あるいは全然違うところから箸を出してきて使うという選択もできるでしょう。大切なことは、傍目から見てどれだけ風変わりであろうと、どれを選択しても決して間違いではないということなのです。
性に関することについて、私たち読者が住む現実の世界では、性自認は男女2通りのみであり、異性愛が当然という誤解がまかりとおっています。
しかし実際は、人の数だけ性があるのです。私たちが住む現実とは少し違った世界ではありますが、ひなせが自らの性についてどのような選択をするのか。普遍的な問題を考える『性別「モナリザ」の君へ。』の、これからの展開が注目されます。
セクシュアリティと個の生き方を問うストーリーから、これからも目が離せません!