日本が世界に誇るゲイ・エロティック・アーティスト、田亀源五郎がはじめて一般紙に連載した漫画『弟の夫』の最終巻、第4巻がとうとう発売されました。主人公・弥一のもとに弟の夫がやってきてからお別れする日までに何があったのか、つぶさに見てみましょう。

- 著者
- 田亀 源五郎
- 出版日
- 2015-05-25
2018年3月にNHK BSプレミアムで実写ドラマ化される『弟の夫』はそのタイトルから分かるように、同性婚やゲイ(男性同性愛者)というセクシュアリティについて取り上げた作品です。作者である田亀源五郎がゲイ当事者であることもあって、連載開始当初はその部分ばかりがセンセーショナルに取り上げられましたが、実はこの作品はそればかりを語るものではありませんでした。
差別にさらされることがない人には分かりづらい、日常に潜む差別の存在や、多くの人が考える「普通」と「普通」から外れた人が受ける扱い、多様性とそれを受け容れることの必要性、他人と違うことは間違いではないということ……そういったことが、日常がゆっくりと描かれる中に、決して説教がましくないかたちで溶け込んでいます。
愛のかたち、家族のかたち、自分とは異なるものを受容するということ、それらをやわらかく問う『弟の夫』の世界を、考察していきます。
出典:『弟の夫』4巻
主人公・折口弥一は2年ほど前に妻と離婚し、現在は自分の手だけで娘の夏菜を育てています。家族には両親と双子の弟・涼二がいましたが、両親は高校生の頃に事故で亡くなり、弟は10年前に家を出てしまって、残っているのは弥一だけです。涼二は、家を出た後カナダに渡り、そこで結婚したのちに亡くなりました。
そして、カナダから涼二の結婚相手が弥一のもとを訪れます。マイクという髭面の巨漢です。涼二はゲイ(男性同性愛者)で、同性婚が可能なカナダでマイクと結婚していたのでした。弥一の弟は何らかの理由で亡くなり、それを機に「弟の夫」が涼二の故郷にやってきたのです。
はじめて顔を合わせたとき、マイクは自分の夫と弥一があまりに似ているので思わず弥一を抱き締めてしまいます。はじめて会う異国の巨漢に突然抱きつかれては驚くのは当然ですが、弥一は内心に怒鳴りつけてしまいます。
出典:『弟の夫』1巻
「てめ…このやろ…何だ! 放せホモ!」(『弟の夫』1巻から引用)
明らさまに口には出さないまでも、マイクという人格を見ることなく「ホモ」という侮蔑する言葉で嫌悪感を吐き出してしまっています。このときの弥一にとって、マイクは弟の家族でも自分の縁者でもなく、それどころか一人の人でさえなかったのです。
弟と男性同士で結婚した外国人の大男。それは弥一から見て「得体の知れないもの」であったのでしょう。扱いに困った弥一は当初、言葉を交わすことさえままなりませんでした。しかし娘の夏菜は、自分の父に弟がいたことをはじめて知ったと同時に、男性同士での結婚が可能であるということも知りました。「そんなことできるの?!」と驚き、「日本じゃできないけどよその国ではできることもある」という弥一の説明に疑問を呈します。
「こっちでよくてあっちでダメなんて、そんなの変!」(『弟の夫』1巻から引用)
夏菜には同性婚や同性愛への偏見がありません。マイクという髭の大男が父と同じ顔をした父の弟と結婚していたと聞いても、驚きはありましたが戸惑いはなく、嫌悪感もありません。一方、弥一は自分では偏見も差別心もないつもりでいたのかもしれませんが、実は偏見の塊です。そしてこれは、弥一という作中人物でありながら現実にいる多くの日本人の姿でもあるのです。
マイクが住むカナダでは天ぷらが寿司になっているという料理があると聞いて、弥一はこのようにひとりごちます。
「男同士で結婚するなんてことが、俺にとっては寿司のテンプラみたいなもんだ。今はまだ、味も喰い方も判らない」
「やっぱり……スシのテンプラなんて、ロクでもない味がしそうな気がする」
(以上『弟の夫』1巻から引用)
このような、決して幸せとは言えない出会いからですが、父と、娘と、父の弟の夫との、不思議な同居生活がはじまりました。
夏菜はマイクを「叔父さん」としてすぐに受けいれてしまい、とてもよく懐きました。学校の友達にも話し、離婚ののち別居している母、つまり弥一の元妻である夏樹と会ったときにもマイクの話をたくさんします。学校から帰ればすぐにマイクを探すほど、マイクのことが大好きです。弥一は、マイクを嫌ったり憎んだりしている訳ではないものの、歩み寄れずにいます。それは、「よく分からない」からです。
弥一はゲイというものを、そして実は弟・涼二のことも、よく知りはしなかったのです。マイクとのふれ合いの中でそのことに気づき、自分の中にある偏見にも気づいていきます。転機の一つは、夏菜のマイクへの質問とマイクの答えでした。
「マイクとリョージさん、どっちが旦那さんでどっちが奥さんだったの?」
「奥さんいません。どっちもハズバンド」
「奥さん女の人でしょ? ダンナサン男の人でしょ? 私とリョージ、どっちも男の人でしょ?」
「だから私のハズバンドはリョージ、リョージのハズバンドは私」
(以上『弟の夫』1巻から引用)
弥一自身もマイクと涼二の夫々(男性同士で結婚したカップルをこのように呼びます)はどちらが夫でどちらが妻なのかということを、無意識のうちに考えていました。そしてこれはどちらが男役でどちらが女役なのか――つまりセックスのときの役割はどうなのか、ということを意味しています。
男女の夫婦が相手なら、他人のセックスのときの役割分担など考えもしないだろうに、マイクと涼二のことになると考えてしまったのは、結婚やカップルを「男女のものである」と信じてしまっていて、彼等をこの図式に強引に当てはめてしまっていたからだ。そのことに気づいたとき、弥一はもう一つのことにも気づくのです。
出典:『弟の夫』1巻
「俺…何も判っていなかったんだな…」(『弟の夫』1巻から引用)
「自分は何も判っていない」、これに気づくことが「理解」というものへの出発点です。ここから弥一とマイクとの距離は近づいていきます。近所の人にマイクのことを訊ねられて「弟の夫です」とは言えずに「弟の『友人』です」と答えてしまうという、自分でも納得できないことをしてしまいながらも、夏菜が一足跳びに入り込んだ「互いに寄り添える距離」まで、弥一もゆっくりと進みはじめるのです。
自分の中の差別や偏見に気づくと、周囲のそれにも気づけるようになります。同性愛者だけにとどまらず、一人親の家庭、離婚した人、タトゥーを入れた人。「常識」や「普通」の名の下に爪弾きにされてしまう存在は決して少なくありません。自分が、そして家族が、それらの当事者となる可能性は誰にもあります。弥一が夢で夏菜がガールフレンドを連れてきて同性婚をすることになる未来を見たように。
元妻の夏樹と夏菜と、マイクとともに温泉旅行に行ったときには、弥一はマイクと同じ風呂に入り、同じ部屋で眠りました。抱きつかれて口に出さないまでも「放せホモ!」と罵倒した相手と一緒に、何ら意識することなく同じ湯船に浸かるまでに、弥一の偏見は解けたのです。そして間柄や関係に明確な名がつけられなくても、弥一と、夏樹と、夏菜と、マイクは、もはや「家族」と呼び得るものとなったのでした。
その後、夏菜にマイクとの交流があることを見咎めた夏菜の担任教諭と弥一は対峙することになります。担任・横山は、夏菜が学校で同性婚の話をしていたことを望ましくないことと咎めます。「そういう話は小学生には早い」と。弥一はこれに異を感じます。その上、「お宅は余所のご家庭とは少し事情が違うから心配だ」などと言われ、憤ります。
しかしそれを抑えて、冷静に、反駁するのです。
「うちはひとり親だからといって、特に余所のご家庭と比べて心配をかけるようなことはありませんので」
「もしあの子に変わった所があっても、私はそれを、他人と違うからという理由でやめさせたくはありません」
「そして先生の仰る、うちに滞在している外国人というのは、私の弟の配偶者であの子の叔父です」
「あの子が友だちに大好きな叔父の話をするのを止める理由は私には何もありません!」
(以上『弟の夫』4巻から引用)
マイクと出会って間もない頃には言えなかった、マイクは「弟の夫(配偶者)」であるということを、堂々と言える弥一が、そこにはいました。その経験をしてはじめて、弥一はマイクが持参した「弥一が知らない」涼二の写真を見ることができるようになったのです。
マイクが持参した、マイクと結婚してともに生きた涼二は、弥一が見たこともないほどに楽しそうな、いい表情をしていました。そして見たマイクと涼二の結婚式の写真――弥一は実に自然に「素敵な式だね」と言いました。おそらくマイクが来宅した日の「男同士で結婚できるなんてのが変なんだよ!」と内心に言っていた弥一なら、決して言えなかった言葉です。明らかに、弥一は変わったのです。それはマイクのことを、涼二のことを、ゲイというセクシュアリティの存在を、以前よりも理解したということでもありましょう。
ここでマイクから告白がありました。涼二は結婚式の日に、兄と向き合ってこなかったことを悔いていて、いつかマイクと一緒に日本に行って、弥一に「これが俺の結婚相手だ」と紹介する、そのように言っていた。だから日本に来たのだと。弥一と家族になるために来たのだと。弥一は答えます。すでに家族だ、と。
日本に来た目的を果たしたマイクは、間もなく帰国のしたくをします。マイクが家を後にしようとするそのとき、弥一が呼び止めて、言うのです。
「さよならのハグ…していいかな?」(『弟の夫』4巻から引用)
玄関で、弥一はマイクと抱き合います。幾日か前に抱きつかれて内心に悪罵を投げつけたその相手と、はじめて会ったその場所で、自ら望んで抱き合ったのです。
マイクが弥一の家に来てから帰国するまでの期間は、丁度3週間です。たった3週間のうちに、弥一のものの見方捉え方は随分変わりました。誰を好きになるかは人によってさまざまで、異性を好きになる人もいれば同性を好きになる人もいます。家族のかたちもさまざまで、父と母と子がいる家庭もあれば、父と子の家庭もあり、母と子の家庭もあり、父と父と子の家庭や母と母と子の家庭もあるでしょう。さまざまな人、さまざまなかたちがあって、それが許容される多様性というものを認めることができる可能性を、弥一は手に入れたのです。
家族である夏菜にさえ伝えることがなかった「弟がいた」という事実を、弥一はマイクによってようやく受容できたのかもしれません。涼二という弟がいたこと、彼がマイクとともにカナダで生きたのだということを、マイクと過ごした日々の記憶とともに、弥一はきっと忘れないでしょう。
出典:『弟の夫』4巻
本作の主人公。離婚して約2年になるシングルファーザーで、両親が遺したアパートの管理をしながら娘の夏菜を育てています。高校生の頃に事故で両親を亡くし、弟の涼二も10年前に家を出てしまい、カナダへと渡りました。涼二はカナダで亡くなってしまい、現在は夏菜と親一人子一人の生活をしています。
両親を亡くして間もない頃、涼二からゲイだとカミングアウトを受けましたが、どう反応していいか判らず「ヘエ、そうなんだ」と受け流してしまい、それ以降は何となくその話題を避けて過ごしました。よく話し合うこともできないまま涼二とは離ればなれになってしまいます。
それはゲイというものについて、よく知ることも考えることもしてこなかったということであり、その産物としてゲイへの偏見が弥一の中に生まれました。それが涼二の夫であるマイクをはじめて迎えたときのぎこちない応接態度となって表れます。特に偏見などないつもりでいながら、実は偏見に満ちていたのです。
しかしマイクの態度や人柄、夏菜のマイクに対する、そしてゲイに対するものごとの捉え方や言動に触れ、自らも考えるということをするうちに、持ち続けてきた偏見を手離し、むしろゲイの側に寄り添った考え方ができるようになっていきます。こうした部分を見ると、決して頑迷ではなく、他者の意見や立場を受け容れることができる柔軟性を持ち合わせていることが分かります。
妻の夏樹とは離婚したものの、現在も関係が続いており、互いの行き来があります。夏菜を含めた三人で一緒に撮った写真を自宅に飾っているくらいですから、関係は良好です。結婚前はうまくいっていたし、いまも決して憎み合っている訳ではありません。「でも……結婚は上手くいかなかったんだ」(『弟の夫』2巻から引用)と弥一はマイクに話しています。
作中ではたびたび就寝前や入浴時に考えごとをしたりそれまで考えたことをまとめたりしています。多くのことに対して誰かと討論するよりも一人でじっくり考える方がまとまりやすいタイプなのでしょう。そういった一人の時間が必要で、夏樹とも適当な距離を置いた方がよい関係を保つことができるのかもしれません。
感情のたかぶりや悪感情を感じても直ぐには表に出すことなく、その場に当たり障りのない対応ができる、抑制が効くタイプですが、これはよくも悪くも「日本人的」です。しかし、一旦飲み込んで落ち着いて、整理してから冷静に論じることができるのは長所と言えるでしょう。
単行本第4巻第24話「肉団子鍋」で夏菜の担任教諭・横山と相対して、夏菜が学校でマイクや同性婚の話をすることをよくないと言われ、父子家庭であることで不信を呈されたときには、頭の中で横山に罵声を浴びせたものの、一旦呼吸を整えて、その後、理路整然と自らの考えを述べています。
自宅の掃除や洗濯、炊事などを毎日こなし、仕事の帳面つけをこまめにしている様子から、几帳面な性格であることが窺えます。夏菜が学校へ行く朝は夏菜の髪をとかして結うという仕事もこなします。
「カナチャンのために毎日ゴハンつくって、ソウジしてセンタクして、それ立派なお仕事でしょ?」(『弟の夫』1巻から引用)
マイクがこのように言う通り、弥一は毎日立派な仕事を立派にこなす立派なパパです。夏菜が活発に遊びまわり、たくさんのものに興味を持ち、自由な発想で発言することができる子供に育っているのは、弥一がパパ業をきちんとこなしている証しでもありましょう。
ドラマ版では佐藤隆太が演じます。
ドラマ版では根本真陽が演じます。
出典:『弟の夫』1巻
涼二の夫でカナダ人。カナダでともに暮らしていた涼二を亡くし、彼が望んでいたことを実現するために日本にやって来ました。涼二の実家である弥一の家を訪れ、そのまま滞在することになります。弥一が涼二とあまりによく似ていたため、顔を見た途端に思わず抱きついてしまい、弥一にかなり警戒されてしまいました。
涼二に「日本オタク」とからかわれるほど日本文化が好きで、畳や布団に憧れていたと言います。日本好きの上に夫に日本人を得た影響からか、日本語を上手に喋ります。ところどころ文法に適わない部分や、まだ知らない文化や単語に戸惑う場面はありますが、日常会話はおおむね支障がありません。日本の食べものにも馴染んでいて、「牛野屋」の牛丼を気に入っています。
人当たりがよく穏やかな性格で、夏菜のような子供とも上手にコミュニケーションを取ります。来日してからは夏菜がほぼずっとくっついていましたが、それがストレスにならない程度には子供好きのようです。
大柄な上にスポーツジムでのウエイトトレーニングが習慣となっているらしく、全身の筋肉が大きく発達しています。加えて体毛が濃く髭も豊かで、ゲイ男性の間で人気がある「熊系」と呼ばれるタイプの容姿です。この系統のゲイ男性は好んでウエイトトレーニングをして筋肉を大きく育てる傾向があり、マイクもそのタイプなのかもしれません。
マイクが日本に、弥一のもとにやってきたのは、涼二との約束を果たすためでした。涼二はカミングアウトの後にできた弥一との距離を確かに感じながら、それに対して何をすることもないまま、実家を出てしまいました。マイクとの結婚式の夜、もっと兄と向き合うべきだったと悔いて、「いつか二人で日本に行って、自分の家族として兄に紹介する」と涼二は約束します。しかし、涼二は亡くなってしまいました。
だから一人で来たのだと、マイクは弥一に言いました。来日して2週間が過ぎた頃です。その頃には弥一は他人に対して堂々と「マイクは弟の夫だ」ということを言えるようになっていました。だから弥一も「もう家族だ」と答えます。約束は果たされたのです。これをもって、マイクは帰国することになります。
帰国の際、弥一との別れ際に弥一から「ハグしてもいいか」と申し出があり、それを受けいれました。娘の夏菜に言われても照れてできなかったハグを、弥一が自ら言い出したのです。マイクにとって、おそらく最もうれしいハグだったのではないでしょうか。
ドラマ版では元大関の把瑠都が演じます。
マイクと知り合ったのは出会い系アプリを通してということが、第2巻第9話「帰る」の一場面で分かります。ゲイのためのコミュニケーションアプリというものが現実世界にも何種類か存在しますから、おそらくそういうもので知り合ったかと考えられます。そういったアプリはだいたい「好みのタイプ」を設定してマッチングするという機能があるものなので、それを通してマイクと出会ったということは、涼二はもともと熊系の男性が好みのタイプだったのだと推測できます。
ドラマ版では中村ゆりが演じます。
出典:『弟の夫』2巻
この物語には現実世界の幾つかの問題が取り上げられています。タトゥーに対する認識、一人親の家庭に対する思い込み、家族のあるべきとされる姿など、いずれも真摯に考えなければならない課題です。しかし、やはり物語の核となる問題は、ゲイとそうでない者との間にある溝でしょう。ゲイの側から飛び越えて向こう側へ渡ろうといくらがんばっても、向こう側にいる者からそれを拒まれてしまう溝です。
『弟の夫』はこれを、ゲイではない者・非当事者である弥一を主人公に据えて、ゲイ当事者が置かれている現状や直面している問題について、弥一の経験を通して読者にも同じ視点・同じ気づきが得られるように構成されています。
そもそも弥一は男性同士で愛し合うこと、結婚することを異常なことだと捉えていました。だからこそ第1巻第1話「黒船がやってきた!」でマイクが思わず抱きついてしまったときに、声に出さないまでも悪罵を投げかけてしまったのです。この場面だけでも、現在の日本人の多くがゲイに対して犯している過ちがたくさん含まれています。
抱きつかれた弥一が内心ながら思わず吐いた言葉は「放せ、ホモ!」でした。まず「ホモ」という言葉が蔑称であることを、おそらく弥一は知りません。知っていながらこの言葉を使ったのであれば、マイクという人物に対して初対面だというのに大変な悪感情を持っていることになります。「思わず言ってしまった」というレベルの話には収まりません。
また、マイクをそのように呼んだ弥一ですが、この発言には「ホモ(ゲイ)は自分より下等なものである」という意識が表れていると捉えることができます。そうでなければ悪感情を抱いたときにとっさに相手の呼称として使うことはないはずです。「この野郎」ではなく「このホモ」と言ってしまうところに、ゲイは「野郎」と蔑まれる「人」ですらない、という意識すら感じ取れます。
そして、ゲイに対して異常なまでの警戒心を抱いています。ゲイもそうでない人も、同じ人間です。マイクのような大柄な男性に突然抱きつかれたらびっくりしてしまうのは当たり前かもしれませんが、それ以上の動揺を弥一は見せています。ゲイのことを「望まない性的接触をしてくるもの」と捉えているかのようにも感じられます。それはもちろん大きな誤解であり弥一の思い込みであり、ゲイをよく分かっていない人にありがちな間違いです。
「知らない」ということ。よく知りもしないのに(あるいはよく知らないから)、蔑む対象として認識しているということ。ゲイと言えば常に男性に対して性的な意識を向けていると思い込んでいるということ。多くのゲイでない人たちが犯している過ち――偏見などないと言いながら無意識に抱いている偏見とその表出が、この場面には端的に表現されています。
第2巻第11話「悪い人」ではユキちゃんの母親の不審な態度に、弥一は考え込みます。
「それはとても酷いことだと思う。同性愛者だというだけで、まるで性犯罪者か何かのように子供から遠ざけるべきだと思う人がいるとしたら」
「性的なことだから子供を遠ざける? それも変だ」
「人はセックスをする。俺と夏樹…ユキちゃんのパパとママだって」
「なのに相手が同性だとそれだけで性的な存在で子供に有害?」
「それって、変だ」
(以上『弟の夫』2巻から引用)
「ゲイだというだけで、学校でいじめられる子供、家を追い出される子供、そういうことあります」
「日本にもそういうことありますか?」
「え? いや、あんまり聞いたことないけど…どう…なんだろう…」
「リョージも言ってました。日本、あんまりそういう差別、聞かないと」
「そう……だったらいいね…」
(『弟の夫』2巻から引用)
「その話題に触れない配慮。誰への? 何のための?」
「その配慮を、マイクも涼二も喜ぶだろうか…」
(『弟の夫』3巻から引用)
「でも…わざわざ隠すようなことなんですね」
「こういう隠しごとが隠しごとを生むこと、それが嫌でカミングアウトしたのに」
(『弟の夫』第3巻から引用)
- 著者
- 田亀 源五郎
- 出版日
- 2017-07-12
いくつもの問題を提起し、いくつかの家族の姿、人のあり方を提案した『弟の夫』。作中で過ぎた時間は短く、巻数も少ない物語ですが、中身は濃密です。読むことで得られる気づきや考えなければならない課題は、たくさんありました。この物語を通して、多くの人がそれぞれに考える機会を持ってくださることを願います。