実存の発見〜カール・ヤスパース〜
実存主義思想の礎を築いたキルケゴールやニーチェの後を継ぐように登場したのが、ドイツの哲学者であり精神科医でもあるカール・ヤスパースです。
ヤスパースは特にキルケゴールの影響を強く受け、自身の思想に発展させていきました。ヤスパース実存哲学の基礎たる主張である「限界状況の中において超越者との遭遇(の可能性)が隠されているが、自己の存在と超越者への遭遇の試みは挫折する。しかし、この挫折を一種の暗号として解読することで超越者との遭遇を証言することになる」という考え方にもキルケゴールの影響が見て取れます。
そんなヤスパースの著作から実存主義を理解するための一冊として『哲学入門』が挙げられます。
- 著者
- ヤスパース
- 出版日
- 1954-12-28
この『哲学入門』は、ヤスパースが1949年に行った全12回のラジオ講義を元に書き起こされたもので、研究者や大学の哲学学徒に対してではなく、一般の人々を対象に放送された哲学講義ですので読み解くのに前提として高度な専門知識を必要としない書き振りとなっているので、ヤスパース入門書としてもオススメです。
『哲学入門』の中でヤスパースは、実存主義の観点から見た「哲学とは何か?」について語っています。特に11講・12講の「初めて哲学を学ぶ人のために」では、なぜ哲学をするのかそしてなぜ哲学を学ぶのかという人を哲学に向かわせるモチベーションについてのヤスパースの鋭い洞察がなされています。
ですので、ヤスパースを初めて読む方や初学者の方はこの11講・12講を読んでから1講に戻るという読み方でもいいかもしれません。
そして3講から9講にかけて哲学全体の話をしつつも、包括者や限界状況などヤスパース自身の実存哲学の説明が中心となっていきます。ここでは『哲学入門』でも触れられているヤスパース実存哲学についてのいくつかの重要概念について軽く触れておきたいと思います。
ヤスパースの実存哲学を理解する上で押さえておきたい重要概念が「限界状況」「包括者」「実存的交わり」の3つです。
まず限界状況についてですが、これは常にヤスパースの実存哲学の起点となります。限界状況とはまさに読んで字のごとく私たち人間の限界の状況、言い換えれば私たち人間を有限な存在(=限界がある存在)とする状況そのもののことです。例えば人間の命は永遠ではなく、誰しも必ずいつかは死なねばなりませんから「死」とは限界状況の一つであると言えます。
しかし、死や苦悩といった限界状況に常に直面し、これらのことを四六時中考えていてはとてもじゃありませんが人は生きてはいけません。ですから多くの人は普段日常やひと時の享楽に耽って限界状況のことを忘れようとするのです。(この享楽に耽る様子はキルケゴールの美的実存の段階に似ていますね)
しかし、それでは実存としての目覚めは得られないとヤスパースは批判します。それは決して楽なことではありませんが私たちは限界状況に直面することによって実存の目覚めを体験したり、超越者との出会いを果たすのです。
ヤスパースが限界状況に直面することで果たされる物事として重要視したものに「超越者・包括者との出会い」と「実存的交わり」があります。ヤスパースによればこの2つの経験こそが私たちを1個の実存として成熟させる重要な契機であると言います。
ヤスパースのいう超越者・包括者とは、言うなれば神のような存在です。ただしキルケゴールのようにキリスト教などの明確な信仰上の神ではなく、観念的な、有限性のある人間を超えた存在として考えられます。ヤスパースによれば私たちは限界状況に直面し、自己の有限性を自覚した時に初めて有限性を超える超越者・包括者と出会うのです。
ただし、この超越者・包括者は常に「暗号」の形をとって私たちの前に現れる、とヤスパースは考えます。超越者そのものが私たちの目の前に現実に現れるのではなく、彼が現れた痕跡が暗号となって私たちの前に現れるのです。実存の役割は。この超越者からもたらされた暗号を限界状況に直面することで生じる数々の挫折を通じて解読していくことだ、とヤスパースは言います。
そして、ヤスパースがもう一つ重要視したのが「実存的交わり」です。実存的交わりとは実存同士の関わり、関係性のことを意味します。
実存する「私」は決して一人で存在しているのではなく、様々な人や物との関わりの中で実存しています。多くの自分と同じように実存している他者や様々な状況と関わり、交わりながら生きることでかけがえのない本来的な自己を確立することができるのだ、とヤスパースは説きます。
ちなみにこのような交わりをヤスパースは「愛の闘争」や「愛しながらの戦い」といった言葉で表現しました。
キルケゴールやニーチェの思想を踏襲しながら、それらを体系化し現代へと繋がる実存哲学へと体系化していったヤスパースの功績は実存主義の中でも今なお存在感を放つものだと言えるでしょう。
実存は本質に先立つ!実存主義の拡がり〜サルトル〜
ここまで、キルケゴール、ニーチェ、ヤスパースと実存哲学の礎を築いてきた哲学者達を紹介してきましたが、実存主義の名を世に知らしめた哲学者といえばジャン・ポール・サルトルを置いて他にはいないでしょう。
サルトルの名言として知られる「実存は本質に先立つ」という言葉から実存主義について興味を抱いた人も多いのではないでしょうか。
- 著者
- J‐P. サルトル
- 出版日
サルトルは戦後実存主義哲学者の代表的な人物の一人として知られています。サルトルが活躍した第二次世界大戦後の西洋社会は、長かった戦争がようやく終わって平和が取り戻された時期ではありましたが、戦争の爪痕は深く人々は経済の不況と漠然とした不安に苛まれていました。
戦争によってこれまで正義とされていた価値観がことごとく破壊され、これから何を信じて生きてゆけばよいのか途方にくれていた当時の人々にとって、自らの実存を自らの行動によって成熟させていこうと説くサルトルの実存主義的思想は当時の人々に広く受け入れられたのです。
特に太平洋戦争が終戦した直後に行われた「実存主義とは何か」と題した講演には会場の外まで人が溢れるほどの盛況で、当時の新聞などでは「文化的事件」と書かれるほどのセンセーションを巻き起こしました。
ところで、サルトルの「実存は本質に先立つ」という言葉はあまりに有名ですが、サルトルはこの言葉から何を伝えんとしているのでしょうか。サルトルの実存哲学を理解する上でこの名言は一つの定式のようなものですので、この言葉について少し説明したいと思います。
「実存」というのは、とりあえず現実に今この世界に存在していることを指す言葉でした。一方でその対立概念である「本質」は目には見えないそのもの自体が持つ性質を指します。そしてサルトルは、人間とそれ以外の存在とでは実存と本質のあり方が異なることを主張するのです。
例えば人間以外のもの、特にカナヅチのような道具はカナヅチの作り方やカナヅチの使い方を知らずには作り出すことができません。このカナヅチの作り方や使い方がいわばカナヅチの「本質」です。
カナヅチを作る鉄工は、あらかじめこのカナヅチの本質を心得てカナヅチを作り出すわけですから、このとき「本質は実存に先立つ」わけです。しかし人間の場合はそうではないとサルトルは言います。
サルトルにとって人間とはむしろカナヅチなどとは全く逆の「実存が本質に先立つ」存在なのです。なぜでしょうか。サルトルは、人間は何はともあれまずはただ実存し、そこから自分の力によって自分の本質を作り出していくことができると言います。
もしも、あらかじめ私たち一人一人の本質があらかじめ決められているのであれば、私たちのいかなる行動や努力も無意味なものとなってしまいます。(いくら努力しようとあらかじめ決められた本質までしか到達できないのですから)それは中世の身分制度のように、農民の子に生まれた者はいくら優れた能力を持っていても農民にしかなれなかったという不毛さに似ています。
サルトルはそれを否定し、私たちは誕生した時点ではあらゆる本質を持たないただの実存であり、そこから世界へと自らを投げ入れていくことによって本質を獲得していくのだと主張するのです。
このサルトルの実存哲学は、戦後の不安定な時代を生きる人々に熱烈に受け入れられた一方で、人間の思考や行動、身体というものは世界中のあらゆる「構造」(社会制度・言語・記号・権力など)に規定されているとする「構造主義」の台頭によって時代遅れのものとして徐々に批判を浴びるようになりました。
しかしながら、キルケゴールから脈々と受け継がれた、まず実存しそこから自己を何らかの高みへと昇華させていくことを目指したサルトルの実存哲学は当時の人々だけではなく今尚多くの人に生きる勇気と希望を与えていると言えるでしょう。
実存主義を学びたい人へ〜『実存主義』〜
ここまで、キルケゴールからサルトルに至るまで実存主義の歴史のマイルストーンとなる人物の思想を紹介してきましたが、これから実存主義・実存哲学について学びたいと考える人のガイドブックとなるような一冊をご紹介します。
- 著者
- 松浪 信三郎
- 出版日
- 1962-06-23
1962年に岩波書店から出版されたその名もズバリ『実存主義』。著者はサルトルの代表作『存在と無』を訳したことでも知られる哲学者の松浪信三郎です。
この本では実存主義の代表的な哲学者や文学者が広く紹介されており、例えば今回紹介したキルケゴールやニーチェはもちろん文学において実存主義的な作品を発表したドストエフスキーなども名を連ねています。
著者の松浪信三郎は実存哲学をキルケゴールのような最終的に神を志向するキリスト教的実存主義とサルトルのように自己の本質を追い求める試みに神の存在を必要としない無神論的実存主義の二つに区分しました。そしてそれぞれを代表する哲学者らの思想を解説しながら、時代も国もかなりの幅を持つ実存哲学を系統立てて整理しているので、実存哲学のアウトラインを理解するのには最適な一冊であると言えるでしょう。
まずはこの一冊から読み進めて、気になった考え方の哲学者の著作や関連書籍にチャレンジしてみるという読書法もオススメです。
とはいえこの『実存主義』自体が1962年に出版された古典的名著であるため、現在の私たちからすると少し固い、難しい表現も随所に見られますが、日本人によって書かれた日本語で読める実存主義についての著作としては名著中の名著であると言えますので、ぜひチャレンジして見てください。
著者の松浪自身があとがきに残した「実存主義は、ひとりひとりの人間に、人間存在の独自のあり方として自由を発見させようという試みである。」という言葉はこれから実存主義を学ぶ私たちにとって、実存主義を理解するための大きなヒントになることでしょう。