不可視化された貧困は文化的な格差という形で現れる
- 著者
- 阿部 共実
- 出版日
- 2014-05-08
勉強ができなくて、身体も小さく、言葉も上手に話せない中学2年生の、ちょっと足りない「ちーちゃん」。その表題からも、表紙のイラストからも、彼女を主人公とした作品のように捉えられがちですが、実はちーちゃんの親友・ナツがこの漫画の主人公です。
ちーちゃんとナツは、同じ団地に住む小さい頃からの幼なじみ。ちーちゃんは毎日楽しく過ごしているようですが、ナツはちーちゃんとのいつも同じ二人遊びに飽きてしまっているようです。頭もよくて、家もお金持ちで、恋人もいて、親から箸の正しい使い方を教えてもらえる同級生に憧れやコンプレックスを持つナツは、少しずつ周囲への疑心暗鬼やちーちゃんに対する鬱陶しさで心をいっぱいにしていきます。経済的な資本が、親からのしつけや友達の多さ、コミュニケーション能力や成績といった非経済的な「文化資本」に影響を与え、ナツの剥奪感や不満感へと至るさまはとてもリアルです。
1980年代以降、貧困が不可視化されていく過程で、男おいどんやドカベンのように「貧困」を日常として描いた作品も減少します。真っ向から貧困を描こうとすれば、生活保護を描いた『健康で文化的な最低限度の生活』(柏木ハルコ)や負債者と貸金業のやりとりを描く『闇金ウシジマくん』(真鍋昌平)のように、どちらかといえば「社会派」という色彩が強くなります。
しかし、一見豊かにみえる社会では、細かな格差が問題視されます。その格差は、確かに経済状態と連動しているのです。ナツは食べるものも住むところもあるという点で「絶対的貧困」ではありませんが、友達との比較において「相対的貧困」を感じています。
ただ、実際にナツの貧困がすべてを決定しているわけではありません。ちーちゃんは新しい友達を作りますし、学力も上がっていきます。リア充で一見嫌な奴に見える級友もそれなりの葛藤を抱えて生きています。「ちょっと足りない」自分を何もかも奪われた存在と捉えるか、何でも付け足せる存在と考えるか。あなたがナツに感情移入できるか否かは、貧困の捉え方にもかかわってくるかもしれません。
少数の権力者が独占する富、多数の庶民たちに押し付けられる貧困
- 著者
- 新井 英樹
- 出版日
老いていく痴呆の母の面倒を介護する中年男性。介護負担が重くのしかかり、仕事も失い、生活保護も受けられない。食卓には河原の草がのぼるようになり、家賃も払えなくなったある日、母子は樹海に向かう――。実際の事件をモデルにしたこの冒頭は、ネット上でも注目を集めたので、気になっていた人も多いかと思います。新井英樹による作品『キーチ!!』の続編です。
「真っ当でいろ」というスローガンのもと世直し活動に励む主人公・染谷輝一が出会ったのは、貧困のあまり母子心中を決意した男・日下、在日米軍によるひき逃げ事故で最愛の息子を喪った女・あや、元工場経営者の近藤……といった多様なメンバーによる集団「劇団波羅蜜多」。実はこの集団は、日本の支配層・権力者の殺人テロを目論む反政府組織でした。あるきっかけから、輝一もまた彼らの活動に関わるようになります。
少数の権力者が富や法、暴力を独占するという世界の現状に対して、さまざまな権利を損なわれた「弱者」たちが抵抗し公正を訴える運動は、近年、特に「オキュパイ・ムーブメント」や、G20やG7サミットといった首脳会議への対抗運動といった形で見られています。貧困に限らず、人権を蹂躙されたり生活環境を汚されたりといった多種多様な人々が「権力者への抵抗」という同一目的のもとで同じ活動に従事するという点が特徴的な活動です。
キーチと劇団波羅蜜多のやろうとしたことは――手法はかなり過激ではありますが――、理念はこうした運動と共通しており、キーチが前作から掲げていた世直しのひとつであると考えられるでしょう。
輝一らが立ち向かう「権力」は、マスコミによる報道や狂牛病、日米関係など幅広い課題とともに語られているため、必ずしも貧困だけが本作品のテーマではありません。しかし、この作品がネット上で話題になったのは、やはりプロローグで描かれたような、政府が日下とその母に押し付けた貧困が人々にも共有されうるものだったためではないでしょうか。
ちなみに、前作『キーチ!!』も非常に社会的なテーマを取り扱っており、キーチの生き方そのものが非常に「社会運動」的でもあります。また機会があれば、ぜひ前作の紹介もできればと思います。おすすめです。
不安定であることが「自由」と考えられていた時代
- 著者
- 西村 しのぶ
- 出版日
- 2005-02-10
少し重い作品が続いてしまったので、最後にライトというか、気楽な作品を紹介して終わりにします。西村しのぶ『一緒に遭難したいひと』は、1990年にスタートした作品で、現在も断続的に刊行が続いています。フリーライターのキリエとバニーガールの絵衣子は、神戸のマンションでルームシェア中。まとまった稼ぎのない彼女たちは、いつもどちらかのボーイフレンドにご飯をごちそうしてもらい、部屋は贈り物のシャネルとアルマーニ、払い下げの電化製品であふれています。
2000年代からこの連載を読み始めた人には、この作品のもつ魅力や面白さが少しわかりづらいかもしれません。キリエや絵衣子の気ままな生活は、フリーターが「自由で気楽」という文脈で語られていたバブル期を背景としています。フリーターは「就職できなかった可哀想な人」ではなく、いつでも正社員になれる時代の柔軟な働き方として1980年代に出現したのです。彼女たちには東京で働くキャリアウーマンの友人「ショーコ」がいますが、特にどちらが上で、どちらが下であるといったこだわりもありません。正社員志向の女性も増えてきた中で、フリーターもまた選択肢の一つとして扱われ始めた時代でした。
これでもかと言わんばかりのハイブランド・DCブランドや長髪長身の男性、肩が特徴的なドレスなど、バブルを体現するようなキリエと絵衣子の気ままな生活は、連載が続き、バブルが崩壊した後も変わらず続いています。絵衣子は社員になりましたが、海外への弾丸旅行をいきなり思いつくなど相変わらずその日暮らしの生活の二人です(もちろん、ファッションやライフスタイルは現代に合った形で展開されていますが……)。
不安定が「柔軟」で「自由」であり、定まらないことが「気楽」で「気軽」とされ、今であれば貧困な立場の人々が、貧困とは称されなかった頃。貧困に苦しみつつも、しかしそうしたライフスタイルを楽しむ彼女たちの生活から過去を垣間見るのも楽しいかもしれません。