菅原道真は、太宰府天満宮に祀られており、「天神様」「学問の神様」として有名です。太宰府に左遷される前の業績やなぜ神格化したのかなど、道真についてのすべてが分かるおすすめ本を集めましたので、ぜひ読んでみてください。

「東風ふかば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
まずは先述したこちらの歌から。「春になって東風が吹くようになったら、主人である私がいなくなっても、春を忘れないで梅の花を咲かておくれ」という意味です。
道真が福岡の大宰府へ左遷されることになり、京の都を去る時に詠みました。その梅が、京から一晩にして道真の住む屋敷の庭へ飛んできたという「飛梅伝説」というものもあり、太宰府天満宮には神木として祀られています。
「このたびは 幣も取りあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに」
こちらは百人一首に収録されている歌です。「今回の旅は急なことだったので、道祖神にお供えする幣(ぬさ)の準備もできませんでした。手向山の紅葉をささげるので、御心のままにお受け取りください」という意味です。
道真のことをかってくれていた朱雀院の御幸の時に詠まれ、この旅には彼自身も同行しています。急な旅だったので、道中の道祖神にお供えするものを用意できなかったけれど、代わりに紅く色づいた葉をささげるという情景が想像できる美しい歌です。
「美しや紅の色なる梅の花あこが顔にもつけたくぞある」
こちらは、なんと道真が5歳の時に詠んだものだといわれています。「梅の紅い色はなんて美しいんだろう。僕の顔にもつけてみたいなあ」という意味です。
「あこ」というのは道真の幼名のこと。庭の梅を見て詠んだと伝えられていますが、彼が本当に梅の花を愛でていたことがわかります。この経験が後の「東風ふかば~」の歌に繋がるのかもしれませんね。
1:学芸に秀でていたが、武術にも長けており、文武両道だった
若い頃から弓道や剣術、乗馬にも才気を発揮しており、若い頃の住まいである都良香邸では「矢を射れば百発百中だった」といわれていました。
学問のみならず、武芸にも秀でる文武両道な人物だったのです。
2:子だくさんで、子孫には『更級日記』の作者、菅原孝標女がいる
菅原道真は子宝に恵まれた人物でした。
『北野天神御伝』には、彼の子供は23人以上いたと記されており、菅原一族には学問、文学、学芸の才に恵まれた人物が多くいます。
なかでも6世孫の菅原孝標女は『更級日記』を執筆したことで有名で、近年の研究で『浜松中納言物語』『夜半の寝覚』の作者ともいわれています。
3:彫刻家としても才能があった
彼が彫刻した仏像が各地に多く残されており、重要文化財などに指定されています。
作品としては、十一面千手観音像や、高さが1m70cm以上もある千手観音像などが知られています。
また志明院には、宇多天皇の勅命(天皇の命令)で、「一刀三礼」という一刀彫るごとにお辞儀をして彫刻をする方法で彫刻した、眼力不動明王の像があるのです。
4:日本にお茶を飲む習慣を取り入れた
彼は別名「茶聖菅公」と称されており、京都の北野天満宮では現在でも茶会が催されています。
彼は天皇の勅命を受けてお茶の調査、研究をし、その結果を記録しました。そして、貴族をはじめ一般社会にお茶の習慣を広めたのです。
1:天満宮には必ず「使いの牛」の像がある
菅原道真は、今では学問の神様として神社に祀られ、その神社は天満宮と呼ばれています。そこには必ず「使いの牛の像」があるのです。
「使いの牛」とは神使の牛で、頭を撫でると知恵を授かり、自分の傷や病気の箇所を触ると治るといわれています。
しかし、なぜ学問の神様が祀られている天満宮に「使いの牛」が必ずあるのか、その理由ははっきりとしていません。
道真の生誕が丑年だったからというものや、道真の遺体を乗せた牛車の牛が座り込んで動かなくなった場所を墓所と決めたからなど、諸説あります。
2:日本初の天満宮は山口県にある
天満宮は日本各地にあり、その総数約12000社もあります。すべて菅原道真を祀っており、なかでも京都の北野天満宮と福岡の太宰府天満宮が総本山とされています。
実は、もっとも最初に建立されたのは、山口県の防府にある防府天満宮でした。
これは道真が京都の宮中から失脚し、九州に向かう途中、山口県に立ち寄り、「この防府の地はまだ天皇のおられる都と陸続きである。この地に住み、無実の知らせを待ちたいものだ」と願いました。
しかし、それは叶わず、九州へ向かい亡くなります。
道真が九州で亡くなったのち、防府の浦で光が見られ、天神山に瑞雲が棚引きました。それを見て、里人が「菅原道真が願いどおりこの地に帰ってきたのだ。ゆえに住む場所が必要だ」と考え、彼を祀る宮を建立したのが天満宮のはじまりだったのです。
3:死後は雷神の「天満大自在天神」となり、学問以外の利益と信仰も多い
学問の神様として天満宮に祀られていますが、神としての称号は「天満大自在天神」で、当初は雷神として恐れられていました。
彼が九州で亡くなって以降、京都では落雷などの災害や異変が相つぎ、道真の祟りであると恐れた当時の人々が、彼の霊に「天満大自在天神」と名づけて、鎮魂、礼拝したことがはじまりです。
学問以外にも、長寿、交通安全、縁結び、書道上達などさまざまなご利益があるといわれています。
道真は左遷されて太宰府へと来たわけですが、本当は流罪になってもおかしくなかったはずなのに、太宰府での地位は低いものではありませんでした。それはなぜだったのでしょうか。本書を読めば、その疑問にすっきり答えてくれ、太宰府の担う役割についても新たな知識を得ることができるでしょう。
- 著者
- 高野 澄
- 出版日
道真が人頭税から土地税に変更したことは、その後もずっと続いていく画期的なことでした。道真は文化的にも秀でた人物でありながら、民のことを考えられる優れた政治家でもあったのです。それをなかったことにされ、地方に飛ばされるというのはどれほど無念だったことでしょう。
- 著者
- 平田 耿二
- 出版日
朝廷で活躍していた道真は、自らを「詩臣」と呼び文人としての役割も果たしていました。その詩臣とはどのようなものか、道真は詩臣としてどんなことを行ったのかということも詳しく説明されています。その時その時に合った道真の漢詩を多く紹介していて、他の書籍とは少し違う解説本と言えるでしょう。
- 著者
- 今 正秀
- 出版日
- 2013-09-20
時平目線の話ですので、道真に関する描写が少なく感じられるかもしれません。厳しく正しい人物で、なかなか人と打ち解けることができない孤高の男として描かれる道真。ときにはその性格は厄介で、やりすぎると嫌われることも多いのでしょうが、やはり魅力にあふれています。時平も本書の中では悪役ではなく、貴公子という雰囲気を持つ恰好いい男ですので、二人の心が離れていってしまうことを悲しく思うことでしょう。
- 著者
- 奥山 景布子
- 出版日
- 2014-03-20
本書で描かれる道真は少し神がかっており、神様のお告げが出てきたり、青光を発したりなどします。そんなファンタジーな雰囲気が好きな人にはぜひおすすめしたい作品です。また在原業平や小野小町の歌も、そのシーンに合ったものが挿入されいて、物語性を高めています。
- 著者
- 三田 誠広
- 出版日
菅原道真はやはり立派な人物だと感じてしまう本が多かったように思います。実際に祟りがあったのかどうかは分かりませんが、そこまでの影響力があったというのも驚くべきことです。ぜひ福岡・太宰府天満宮へ足を伸ばしてみてくださいね。