20世紀のセックスシンボルと言われた、女優マリリン・モンロー。赤い唇や口もとのほくろなどのチャームポイントで多くの人を魅了した彼女を知るための本を5冊紹介します。

1:「マリリン・モンロー」は本名ではなかった
彼女の本名については「ノーマ・ジーン・モーテンセン」や「ノーマ・ジーン・ベイカー」など諸説あります。「モーテンセン」や「ベイカー」というのは、母親の再婚などの影響で変化したものといわれています。
スクリーンデビューを果たしてからは、「ノーマ・ジーン」というファーストネームとミドルネームだけの名前で活動した時期もありました。
2:スクリーンデビュー後、どん底の人生を歩んだことがある
華々しい女優の道を歩みだそうとした時、映画制作会社の「20世紀フォックス」が彼女との契約を破棄したことで、路頭に迷いかけてしまいます。
しかし、ピンナッフモデル(グラビアのポスターなど押しピンを使って飾る写真)やヌードモデル、レストランのウェイトレスなども兼業して生計をたてながら、一度は掴んだ女優の道への再起を図るために人脈と礎を築いていくのです。
3:アメリカ版成人男性向けグラビア雑誌「プレイボーイ」の創刊号に起用された
1953年アメリカ版『プレイボーイ』の創刊号であるカバーガールと見開きに、ノーマ・ジーンが起用されました。誌面に登場するモデルは「プレイメイト」と呼ばれ、刊行されたばかりの雑誌だというのに異例の売り上げを記録しました。
アメリカのヌード文化の火付け役となったノーマ・ジーンこそ、後のマリリン・モンローなのです。
4:アメリカを代表する「セックスシンボル」と呼ばれる
スクリーン女優として人気が徐々に出始め、世の中の男性の心をひきつけ順調な女優人生を歩んでいた時、極貧時代に撮影したヌードル写真が再び世に出回ります。
それは彼女の心を激しくえぐるものでしたが、さらに人気に拍車がかかりヌード写真だけが独り歩きをし始めて、知らず知らずのうちにアメリカ全土に広まり「セックスシンボル」と言う冠だけが彼女の頭に乗っていたのです。
5:有名ブランド「シャネル」をさらに飛躍させた
セックスシンボルの冠が勝手につけられたマリリン・モンローにとあるインタビューアーは「寝る時は何を着ていますか?パジャマ?ネグリジェ?」と聞きました。
この時彼女は機転を利かせて「シャネルの№5を着ているわ。」と答えています。 意地悪な質問を巧みに回避すると同時に、シャネルというブランドの広告的な役割も話すこととなったのです。
6:亡くなった後も愛され続けているエピソードについて
マリリン・モンロー36歳と言う若さでこの世を去り2番目の結婚相手のジョー・ディマジオは1日中棺から離れず号泣し埋葬された後はバラを週3日供えたという逸話があります。
また、彼女を追悼する歌まで存在するのです。 「Candle in The Wind ~風に揺らめく、ともしびのように~」は、ダイアナ元王妃の追悼のため、エルトン・ジョンにより書かれたものとされていましたが、元の歌詞には「グッバイ ノーマ・ジーン」というフレーズがあります。
彼女はそれらの劣等感に負けないように、等身大の自分と向き合い、コツコツと努力を重ね、ついにはそれらのコンプレックスを魅力に変えていくに至ります。この本で描かれているのは、彼女がいかにして幼少期からのコンプレックスに苦しみ、どのようにしてそれを跳ね返したかの軌跡といえます。
- 著者
- 山口 路子
- 出版日
- 2012-02-07
また、マリリン自身が持っている肉体的な魅力も本書から伝わってきます。どんな服や小物も、結局は本人の引き立て役にすぎないということがわかるほど、彼女の魅力がこの本を通じて伝わってきます。
- 著者
- 出版日
- 2012-07-25
その一方で、世間に認められようとひたむきに演技を向上させようとする努力や、ウィットにあふれる名言を残すような知性など、これまた銀幕や雑誌からはなかなか見えてこない彼女の魅力を知るにはうってつけの一冊です。
- 著者
- ["スタンリー・バックサル", "ベルナール・コマーン"]
- 出版日
- 2012-09-28
まるで姉妹のようにマリリンと仲の良かったスーザン。マリリンの聡明さや、痛々しいほどに精神を病んでいた姿を最も近いところで見えていた人ともいえます。だからこそ、当時のマリリンの姿や思いを克明に伝えているのです。
- 著者
- スーザン・ストラスバーグ
- 出版日
- 2011-10-22
そしてこれらの言葉から、マリリンが様々な苦難や劣等感の中で生き、苦悩と向き合ってきたことが見えてきます。
- 著者
- 山口 路子
- 出版日
- 2017-02-11