ヘレン・ケラーとは
ヘレン・ケラー(1880~1968)は、アメリカのアラバマ州の退役軍人の家で生まれました。彼女の名前を聞くと多くの人は「目と耳と口の三重苦を背負った人物」とイメージするでしょう。その三重苦の障害は2歳のころに患った病気によるものです。
眼も見えなくなり、耳も聞こえなくなったうえ、言葉も話せなくなった彼女のことを心配した両親は、電話の発明者でろう者の教育者としても知られているアレクサンダー・ベルに相談。そのベルがヘレンの家庭教師として紹介したのが、盲学校の卒業生のアン・サリバン。ヘレンが6歳の時でした。これ以降、ヘレンとサリバンは生涯を通じた友として付き合うことになります。
当初サリバンはヘレンの指導に苦労しますが、ある日ヘレンとの散歩中に井戸水を見つけます。その水をヘレンの手に注ぎつつ指文字で「water」と何度もつづるとヘレンはそれを理解できるようになったのです。このような指導法によって、その日の夕方までに30語を理解できるようになっていました。ヘレンはこの方法で、この世界に言葉があることを理解していきます。
その翌月には点字の本を読めるようになり、さらにその1月後には簡単な手紙を書けるようになるなど、彼女の能力はどんどん上達していきました。その後、サリバンの出身校であるパーキンス盲学校に移り、口語法などをマスターしたのです。
その一方でサリバンは付き添いで世界中のすべてを指文字で通訳して教えました。やがて、ヘレンはこれらのことを通じて社会問題にも興味を持つようになります。
その後は、16歳でボストンのケンブリッジ女学校に、20歳でラドクリフ女子大学に進んで様々な知識を吸収していきました。卒業した後、ヘレンは「盲人のために尽くすこと」を使命として、盲人の社会進出を訴える活動を開始。講演や著述を通じて公民権運動や人権運動、反戦運動などの社会運動も積極的に行っていきました。
また、生涯で3度にわたり来日。そのたびに多くの日本人から熱烈に歓迎され、彼女は講演を通じて多くの日本人に感銘を与え、日本における盲人援護の歴史に大きな足跡を残したのです。ちなみに1937年の日本への初来日は、彼女の師であるサリバンの遺言(初来日の前年に死去)を実現するものでした。
このようにヘレン・ケラーの生涯は幼少期の三重苦を克服し、その後世界中を回って自らの障害の経験と盲人に対する援助の必要性、さらには当時はびこっていた社会問題の解決を訴えた、まさしく弱者のための生涯だったといえます。
ヘレン・ケラーについてあなたの知らない3つの事実
1:ヘレン・ケラーはマーク・トウェインの友人だったヘレンは1895年にトウェインと出会いました。トウェインは実業家ヘンリー・ハトルストン・ロジャーズを説得しヘレンの教育への投資を決断させます。ヘレンはタバコの煙で、トウェインに気づいたそうです。
2:秋田犬をアメリカに紹介していた1930年代にヘレン・ケラーが来日した際、ある警察官がヘレンに神風号という名の秋田犬を贈り、彼女はすっかり神風号のとりことなってしまいます。神風号は渡米後すぐに亡くなってしまいましたが、日本政府は神風号と同じ血筋の秋田犬をヘレンに贈りました。そしてヘレンは秋田犬という犬種をアメリカに持ち込んだ最初の人となったのです。
3:ヘレン・ケラーは文学の学位を取得した初めての視聴覚障がい者となったヘレンは視聴覚障がいを持った者としては初めて、文学士としての学位を取得した人物です。彼女は、点字を用いてフランス語やドイツ語、ギリシャ語、ラテン語などを読むことが出来たそうです。
三重苦を乗り越え、知的好奇心と前向きさとで生き抜いたヘレン・ケラーの自伝
ヘレン自身が残した自伝『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝』です。本書では、若いころにスポットを当てて、三重苦を乗り越えてラドクリフ女子大学に合格するまでの軌跡や、それにまつわる心情をつづっています。
光も音もそして言葉もない世界の中で、人がどのような思考をめぐらすかについて、当事者として書き残しています。その一方で、その三重苦の状態を何とかしようと奮闘した前向きな部分や負けず嫌いなところも随所に出ていて、小気味のよさすら感じられるほどです。
- 著者
- ヘレン ケラー
- 出版日
- 2004-07-28
三重苦を乗り越え、知的好奇心とたゆまぬ努力によって名門大学への進学を勝ち取った彼女のストーリーは、読む人の心にも多くの感銘を与えます。一見すると自分自身の力ではどうしようもない状況であっても、考え方と努力次第でどうにでもなるということを、ヘレン自身が教えてくれるのです。
障害を乗り越え、知性と正義感に満ちた波乱の生涯を突き進んだ彼女に会いたいというのであれば、この本は必読です。