バレンタイン
1日かけて作った爆弾が、不発弾になろうとしていた。
2月14日。女の子たちがチョコレートっていう爆弾を作ってくる日。男子全員に絨毯爆撃している子もいる。友チョコなんていって女の子同士で交換し合ってる子もいるけど、それもある意味不発弾。
私が作ったのは一点ものの爆弾。うまく爆発するかはわからないけれど、渡すくらいはできる気でいた。我ながら上手くできたと思っていて、勢い余ってメッセージカードなんていうのも書いてしまった。
渡したとしても彼は本気とは受け取らないだろう。彼は大人だ。私と彼の間には8歳っていう年齢差があって、それがたとえば25歳と33歳っていうなら全然大丈夫なんだろうけど、16歳と24歳では話が変わってくる。それにもっと大きな壁もある。
「島田さん」
「はいぃっ」
声が裏返ってしまって、クラスに笑いが起こる。
「次、和訳お願いします」
「……すみません。聞いてませんでした」
隣の席のカナが教科書を指差して場所を教えてくれる。予習はちゃんとやってきてあるから場所さえわかっていれば答えられる。
「……はい。ありがとうございます。別のことを考えていないで、ちゃんと聞いてくださいね」
「はい」
あなたのことを考えていたのです、とは言えない。
カナが折りたたんだメモを渡してくる。
『緊張してきた?』
心配しているというよりは、からかっている表情。カナだけには、彼にチョコレートを作ってきたことを話してある。
『爆発しそう』
さっと書いてメモを返す。爆発しそうなのは私の心臓。このままでは机から取り出した瞬間、爆弾は爆発して、私を粉々に砕いてしまう。爆発するならせめて彼の手の中で、よしんば口の中で、叶うなら心の中で。そう願わずにはいられない。
そんな私の気も知らずに、彼は教壇で教科書の英文を読んでいる。私の大好きな声で。
先生と私
初めての授業の日、乾先生はいきなり英語で自己紹介を始めた。流暢な発音。まるで映画の俳優みたいな声だと思った。しゃべっている意味はよくわからなくて、たぶんクラス全員わからなかっただろうと思う。
ひとしきり英語で自己紹介を終えた先生は、今度は日本語で自己紹介をし直した。
今にして思えば最初にインパクトを与えようとしたんだということはわかる。実際、インパクトはあった。ただ、私にはインパクトが強すぎた。あんな風に英語でしゃべる人は今までまわりにいなくて、違う国から来た人なんじゃないかと思った。濃いめの顔で、身長は180を超えているだろう。体型も日本人離れしていて、服の上からでも筋肉が盛り上がっているのがわかった。スポーツをやっていたのかもしれない。柔道というよりアメフトのイメージ。
実際、私の感想は外れではなかったようで、先生は学生時代に留学経験があって、卒業後1年かけて世界一周してきたという。授業がだれてきた時に話してくれる世界一周の話は面白くて、私は週に4回の英語の授業が一番の楽しみになった。
人間、好きになってくると成長するものらしく、中の上くらいだった英語の成績は前期末にはクラストップになっていた。
90点のテストを私に返す時に先生はよく頑張りましたと言いながら、ひとつ注意を加えた。
「島田さんはvの字に気をつけた方がいいですね。rに見えてしまうとバツにされてしまいますよ」
先生に言われて初めて自分の癖に気がついた。確かに私のvはふにゃんとなっていてrに見えないこともない。意地の悪い先生であれば、バツをつける人もいるかもしれない。それでも私は癖を直さなかった。小テストや宿題なんかのたびに赤線を引っ張られて注意されるのが嬉しかったのだ。赤線は、先生が私を見ていてくれているしるしだ。
そういう話をするとカナは、サキってば乙女~、と笑う。
「実際、どこがいいの?」
そんなことをカナは聞いてくる。
「どこって、世界一周とか豪快なことしちゃうけど、実は繊細なとことか」
先生の外見は全然繊細じゃない。ひどい言い方かもだけど、おおざっぱな作り。動物でたとえるとしたら熊、かな? でも乱暴なやつじゃなくて、プーさんみたいにとぼけたやつでもなくて、丁寧な口調で話す紳士的なくまさん。
「繊細かどうかなんて、授業だけじゃわかんないでしょ」
カナの言う通り、私は授業でしか先生との接点がない。繊細に見えるのも生徒に対して作っている姿かもしれなくて、家ではぐーたらで洗濯物もたまっていて、掃除もほとんどしていないのかもしれない。
いや、本当はカナにも言っていないことがある。私は一度だけ、先生と一緒に帰ったことがあるのだ。
優しい先生
その日、私はソフトボール部の練習で足をくじいていた。部活の間はなんとなく我慢できていたけど、部室でソックスを脱いで自分の腫れた足を見て急に痛くなってきた。これじゃ普段通り歩けないなと思って、いつも一緒に帰る部の友達には理由をつけて先に帰ってもらうことにした。
少しだけ足を引きずりながら帰り道を歩いた。
歩いてみると意外に歩けてしまうもので、みんなと一緒に帰れたかもしれないと思った。よくある話だけど、自分ではすごく腫れているように感じても、実際に見てみるとそうでもなかったり、一見、腫れているように見えても、それは足の痛みが錯覚させているだけであったりすることがある。今度のもそういうことだったのだろう。自分の中では足を引きずっている感覚があるけれど、はたから見たら普通に歩いているように見えるかもしれない。
大丈夫。痛くない。
「今日はひとりなんですか?」
声をかけられて振り返ると、乾先生がいた。ゆっくりと自転車をこいでいる。いつもはソフトボール部の集団の横をお疲れさまーって言いながら結構速いスピードで帰って行くのに、今日はゆっくり。
「ひとりですよ」
ひとり寂しく帰っているのを指摘されて怒っている生徒みたいな感じで言う。
「そうですか……足、痛いんですか?」
どきり、として思わず先生の顔を真っ直ぐ見てしまう。いつもと同じちょっと濃いめの顔がそこにあって、次の瞬間、どわーっと内側から何かが溢れてきて、気がついたら泣いていた。
「大丈夫ですか!? そんなに痛いんですか!?」
急に取り乱して先生が言う。
痛いんです。足ではなくて心の方です。誰だって、そんなところを不意に突かれたら痛いでしょう。
そう言う代わりに、私はわがままを言った。
「駅まで乗せてってください」
「……わかりました」
先生は嫌そうにではなく、足を痛めている生徒を送るのは当然とでも言うような表情でうなずいた。でも、一瞬だけ迷いがあった。それはきっと、私が男の子だったら生じなかった迷い。
「ちゃんと捕まっててくださいね」
言われなくてもそうする。足を片側で揃え、手を腰に回す。抱き締めるとつかむの中間あたり。想像通りしっかりとした腰まわり。指先が浮き上がった腹筋に触れる。
緩やかな坂道を下っていく。さっきまでよりはずっと速く、でもいつもの先生よりは遅いスピードで。
駅までの3分間はすぐに過ぎてしまったけれど、それだけで先生が優しいってことはわかった。