そもそも構造主義ってなに?
哲学や心理学、社会学などの本を繙くとよく目にする名前に「構造主義」というものがあります。その字面から、なんとなく物事の仕組み(=構造)についての考え方かな?と類推されるかもしれませんが、その実態はなんとなくよく分からないと思っている方も多いのではないでしょうか?
ではまず、そもそも構造主義って簡単に言えばなんなの?というところから話を始めたいと思います。
とてもシンプルに言えば、構造主義とは、今私たちの目の前で起こっている現象を、その現象の中に潜む目に見えない〈構造〉を解明することで理解しようとするものの考え方のことです。例えば、オーケストラの奏でる音楽という現象を、そのオーケストラがどのような楽器で構成されているのか、演奏される楽譜はどのようなルールに則っているのかという事柄から明らかにしようとするのが〈構造主義〉です。
私たちの生きているこの世界は様々な目に見えない〈構造〉がいくつも折り重なって成立しています。むしろ世界は構造によって出来ている、と言ってもいいかもしれません。先に挙げたオーケストラのようなものにも〈構造〉は潜んでいますし、もちろん目の前にあるパソコンや車もまた私たちが意識しない〈構造〉によって成り立っています。
しかし、構造とは何も具体的な事物を構成するものに限りません。私たちの生きている社会の様々な制度、例えば親族関係、国家という概念、話している言葉などおよそ私たちの生活を取り巻く全てに構造が潜在していますし、それ自体が私たちの生きる社会あるいは世界の構造そのものとして機能しているのです。
ですから、構造主義というものの考え方においては、まず目に見えない構造を抽出するためにその構造を構成する諸要素を分析します。先ほどのオーケストラの例で言えばバイオリンやトランペットなど一つ一つの楽器に当たるものですね。
構造というのはオーケストラにおけるバイオリンやトランペットといった楽器(奏者)の関係性を示します。物事Aと物事Bの関係性を探ることで、その物事が含まれている事象の構造を明らかにしていくのです。
そんな構造主義の考え方の特徴的な点は〈相対化〉することで共通点や相違点をあぶり出し、その構造を理解しようとしていくところにあります。構造主義は物事の関係性を探ることが重要で、物事の〈差異〉を見つけることで関係性を見出し、それぞれの物事を理解してゆくのです。(もし、二つの物事の間に差異がなければ、それはもはや〈同じもの〉なのですから関係性は生まれないでしょう。)
ですから時に構造主義は〈相対化の思想〉とも呼ばれます。構造主義という手法自体は、物事の構造の解明から物事を理解するというアプローチであるという事に尽きますが、少なくとも哲学の構造主義における最も重要な功績は、あらゆる物事を相対化した、特に西洋社会を絶対視することを批判し、西洋中心主義を打ち崩したということに収斂するでしょう。
なぜ、相対化が重要なのでしょうか。文化相対主義(この世には正義と悪があるのではなく、正義と別の正義があるのだ、というような考え方ですね)が自明のものとなっている時代を生きる私たちにとっては当たり前のことのように思えます。しかし、構造主義が誕生した時代においては必ずしもそれは当然のものではありませんでした。
この構造主義の最大の功績を理解し、構造主義が20世紀最大の思想となるに至ったのは何故かを明らかにするには、構造主義前史、構造主義以前はどうだったのかというところに遡る必要があるでしょう。
構造主義の歴史
構造主義が登場する以前に(特に西洋社会で)支配的だった思想は、実存主義と呼ばれる考え方でした。実存主義とは、人間の実存(=今、私がここにいるということそのもの)を思想の中心に置いて物事を考えていく方法で、主に人間ひとりひとりがいかにして存在し、生きていけばよいのか?を問題にした思想のことだと言えます。実存主義の哲学者には、ニーチェやキルケゴール、ハイデガーやサルトルといった19世紀から20世紀において最重要な哲学者・思想家たちが数多くいます。
戦争の世紀とも言われるほど戦争が多く混迷した時代にあった20世紀において、神様や国民国家という大きな物語に頼ることなく、すでに世界に存在して(しまって)いる〈私〉にスポットを当て、実存である私がいかに生きるべきか?を問うた実存主義は、混乱した情勢と不安の中で生きていた当時の人々たちにリアリティのある哲学として受け入れられました。
しかし、実存主義の考え方にも弱点があったのです。実存主義は、今、ここにいる私という存在(実存)を自明視しこれだけは揺るがない絶対のものとします。(思想の中心が実存なのですから当然ですね)「我思う、ゆえに我あり」というのはデカルトの有名な言葉ですが、実存主義をはじめとした従来の西洋の哲学はこの「思う我」というものを絶対の存在で常に合理的な判断をするものとして信頼を寄せきっていた(信頼しすぎていた)のです。
実存主義は〈私〉という実存を常に世界の中心に据えますから、〈私〉という世界を認識する主体がいるから世界は存在するということになります。(誰からも認識されなければ、それは存在しないことと同じです)そのような世界観において、〈私〉の認識がもしかしたら間違っているかもしれないと疑うことは有り得ません。認識の主体としての私(=思う我)を疑ってしまっては正しいものなどどこにも無くなってしまうからです。
このような〈私〉という実存を常に合理的で明晰な存在として据える考え方は、西洋中心主義(自文化中心主義)の考え方と親密に結びつきます。合理的で明晰な存在である〈私〉たちの文化こそが最も進歩的で正しく、合理的な私たちが非合理だと感じる異文化は全て劣っている、間違っているというわけですね。
もちろん第二次世界大戦後、〈私〉という実存が明晰な存在ではなく、時に考えられないような非合理な判断を下すことを、人々は身をもって痛感しました。(もしも、人間が本当に合理的で明晰な存在であればホロコーストや原爆の投下といった野蛮で悲惨な愚行に及ばないでしょう)これまで素朴に認識の主体としての〈私〉という実存に信頼を置いていた哲学者や知識人たちは、その反省を迫られたのです。(カントやヘーゲルといった偉大な哲学者を生み出したドイツで、あのホロコーストが起こってしまったのですから!)
そんな時、これまでの実存を中心とする考え方を止め物事の構造から世界の成り立ちを明らかにしようとする考え方であり、自文化を絶対のものとして考える自文化中心主義を痛烈に批判するような思想が様々な分野から登場してきます。それこそが、他ならぬ「構造主義」だったのです。
ただし、構造主義が登場したと言っても「これが構造主義です!」といったように明確な定義をもって登場したのではなく、人類学や記号論、精神分析学や歴史学などの分野からそれぞれバラバラに登場した構造主義的な考え方が後にまとめられて「構造主義」と呼ばれるようになりました。(そのため現在有名な構造主義者と呼ばれる人たちの中に構造主義者を自称する者は殆ど居ません)
ですから、構造主義を理解する上では系譜的な理解を試みるよりも、1960年代を中心に当時の思想界のあちこちで自然発生的に生まれたムーブメントとして理解しておく方が良いでしょう。
構造主義を準備したのは実存主義への批判ももちろんですが、フロイトの発見した〈無意識〉の考え方とソシュールを祖とする言語学における音韻論などの構造を重視する考え方を無視することはできません。
フロイトが人間の心の中には、その人自身が意識することも認識することもできない無意識の領域があることを発見したことで、「私って明晰な存在なんかじゃなくて、実は自分のこともよく分かってないんじゃないの?」と、〈私〉という実存に対する自明視に疑問を投げかけることになりましたし、構造主義の祖と言われるレヴィ・ストロースが参考にしたのが他ならぬ言語学の音韻論だったからです。
このようにして、構造主義は時代の流れや先行する学問を土壌として1960年代頃に花開くことになるのです。こうして誕生した構造主義的な思考は今では私たちの物の考え方のスタンダードとして根付いています。
まずはここから!『はじめての構造主義』
構造主義は、先に見たように哲学だけではなく人類学や記号論、精神分析学、果ては数学に至るまで様々な学問分野で用いられている手法であるため、分野ごとの定義も異なり、一言で「これが構造主義です!」と名指すことがとても難しい思想です。
そのため、構造主義って色んなところで聞くけど、結局どんな考え方なのかよく分からない……ことになりがちです。ここからは構造主義という物の考え方を学ぶ最初の一歩として最適な書籍をいくつか紹介したいと思います。
構造主義を学ぼうと思ったら、まずはここから!という一冊が、橋爪大三郎『はじめての構造主義』です。
- 著者
- 橋爪 大三郎
- 出版日
- 1988-05-18
この『はじめての構造主義』の冒頭はしがきにおいて著者は
「はじめての」と断るからには、「構造主義」なんて聞いたことない、一体それなあに?という人にも、わかってもらわないといけません。そこで、ちょっと進んだ高校生、いや、かなりおませな中学生の皆さんにも読んでいただけるように、書いてみました。(『はじめての構造主義』より)
と述べています。
この筆者の意図からも伺えるように、この本はとても平易な(それこそ中学生でも理解できるような)言葉で構造主義のアウトラインと核心が説明されていますので、まさにこれから構造主義の考え方を勉強しよう、構造主義者と呼ばれる思想家の著作にチャレンジしてみようとする人にとってはまず押さえておきたい必読の入門書と言えるでしょう。
この本において最も特徴的な点としては、構造主義の思想の中でも特に構造主義の祖と呼ばれるレヴィ・ストロースの思想を中心に取り上げている点が挙げられます。構造主義的な手法を用いる思想家は数多く存在しますが、その中でもレヴィ・ストロースは構造主義という手法を確立した一人であり、彼の思想には構造主義の核となる重要な要素(音韻論的な構造分析・西洋中心主義の批判など)が随所に見られます。
本著では人類学者のレヴィ・ストロースがいかにして構造分析の手法にたどり着き、それを自身の思想として発展させていったかを丁寧に追っていくことで、構造主義の成り立ちやその骨子を理解していくような構成となっています。構造主義の生みの親であるレヴィ・ストロースの思想的展開はまさに構造主義の成長の過程であり、その流れが時間軸に沿って解説されていますので、一本の道としてスッキリと構造主義の成り立ちを見通すことができるのです。
この本を登山口として、さらに少し専門的な構造主義についての著作、構造主義者たちが実際に書いた著作へと本の山を登っていくのも一つの手段かもしれません。また、第4章においてはレヴィ・ストロース以外の構造主義者たちの著作がブックガイド風に紹介されていますので、そこから興味のある本を探すこともできます。
まさに、構造主義という思想を学ぶ旅の地図として読むことができる一冊です。