少女の業と男の無力と。せつなさの9編。
機械と人間がともに生きる世界で、看護師ロボット「なな」は担当する患者と同じ時間を過ごします。患者と看護師は二人三脚で治療に臨むもの。しかしその時間は永遠ではあり得ません――『とわにみるゆめ。』に登場した看護師ロボットのもうひとつの物語「ななのゆくひ。」を含む9篇の読切漫画が収録された作品集です。
- 著者
- 三浦靖冬
- 出版日
- 2005-09-30
『花喰幻燈機』は2002年から2004年の間に『COMIC快楽天』に掲載された作品が7編と、描き下ろしが1編、未発表作が1編収録された、三浦靖冬の3冊めの単行本です。
『花喰幻燈機』には次の作品が収録されています。
2冊めの単行本『とわにみるゆめ。』に登場した看護師ロボット「なな」の物語「ななのゆくひ。」、「ナーサリーライム」、「ホーム・スイート・ホーム」の3篇
生まれ故郷の離島に赴任した若い教員が見た、幼馴染みの夜千代と校長の歪んだ愛の顛末「極東ニ夜ガ降ル」前後編
八千代と小学校の或る男子生徒の束の間の関係を描いた「あめのちあめのふるまち」
淳子には自分がいなければ――そう思っていたなつみには淳子がいなければいられない弱さがあった、そんな2人の少女の物語「ゆうげには苺をたべて」
眼鏡のおさげ少女の恋敵は自転車だった……ちょっとコメディ、ちょっとホラーな「銀輪と眼鏡とアイスクリーム」
田舎道の街灯の下での一時の逢瀬「蟲燈」
『COMIC快楽天』新人漫画王賞入賞作「ことりの巣」
『おつきさまのかえりみち』、『とわにみるゆめ。』、そして『花喰幻燈機』と、三浦靖冬の初期単行本3冊に共通しているのは、ほんの少し陰鬱な雰囲気と、どうにもやりきれない境遇に置かれた人物と、それらが醸成するせつなさです。
少女や少女型のロボットたちは大人の業を背負って、理不尽とも言える世界から逃げ出すこともできず、ただ生きています。男たちはその姿を見ながらも何をすることもできず、ただ立ち尽くすか、あるいは少女に己れ自身の脆さを押しつけることしかできずにいます。世界は暗い閉塞感に満ち、それでも生きていかねばなりません。
そんな世界で交わされる身体と、微かな心。あるいは交わされることすらない孤独な心。やるせなさ。せつなさ。どの作品にも、それぞれの割合で、これらが含まれています。情交はいつも仕方がなく、束の間の拠りどころにはなっても、何も解決してはくれません。それでも交わらなければいられない者たちの物語が、この1冊には収められています。
ときどき「性描写がどぎつい」と評する人がいる『花喰幻燈機』ですが、成年漫画誌に掲載された作品を集めた本ですから、それは当然のことです。多くの人は性描写を見たくて成年漫画誌を購入するのですから、読者が求めるものを作家は提供せねばなりません。その点から言えば、精緻な筆致で描かれた上品な絵で下品ぎりぎりの性描写をして、なお漫画としてのバランスを失わない三浦靖冬の卓抜したセンスと技術は賞賛に値するでしょう。
見た目は少女、中身は数えで八十。その名は……
一人暮らしの古糸史青年の家に突然やってきたのはセーラー服姿の小学生と思しき少女です。少女は「数えで八十のハッカばあやでございますよ」と名乗りますが、古糸青年は俄かには信じられません。確かに実家にいたときにはハッカばあやが世話をしてくれたけれど……戸惑う古糸青年を他所に少女のハッカばあやは青年の世話を焼きはじめます。
- 著者
- 三浦 靖冬
- 出版日
- 2013-09-30
『薄花少女』は2013年から『月刊IKKI』で連載がはじまり、2014年末から『月刊サンデーGX』に移籍して連載が続く作品です。『えんじがかり』に続く一般誌での連載で、『えんじがかり』よりも更に一般誌寄りの内容になっています。
古糸史青年は実家を出て一軒家で一人暮らしをしています。反対された一人暮らしにもすっかり慣れて自堕落な生活です。その日も休日ということでひる近い時間まで寝ていました。そこに「いつまでねてるんですか」とセーラー服を着た少女が寝床の脇から声を掛けます。
二度寝を決め込んでいた古糸青年を布団から追い出して、少女は布団を干します。古糸青年は突如現れた見知らぬ少女に戸惑いますが、少女の方は旧知の相手に話すように青年に話しかけてくるのでした。
少女は、青年が実家にいたときに世話になった「ハッカばあや」だと名乗ります。しかし目の前にいるのはどう見ても小学校2~3年生くらいの少女で、数えで80歳の老婆には見えません。けれども折りよくかかってきた実家からの電話と少女自身のハッカばあやとしての証言で、信じざるを得なくなります。かくして、史ぼっちゃまとハッカばあやの生活がはじまるのでした。
『薄花少女』はこのような発端の、ちょっと風変わりな日常系の物語です。前作『えんじがかり』もそうだったのですが、何でもない日常の中にふと存在する風景の一部を詳細に見るような、ありふれているようで一際鮮やかな瞬間が描かれます。
一人立ちしたぼっちゃまと、まだまだお世話申し上げたいばあや。ぼっちゃまは実家を出てしまったけれど、ばあやは耐えきれずにやはり実家を飛び出してぼっちゃまの世話をしに現れます。少女の姿で。70歳ほども若返ったわけですから、身体は軽やかに動き、体力もあります。でも、少女の小さな身体では高いところに背が届かなかったり、大きな荷物は持てなかったり。
そうやって悪戦苦闘しているかと思えば、屋内のリフォームでは古糸青年よりもハッカの方がやり方に習熟していたり、姿は小学生でも魚を三枚に下ろすくらいは朝飯前だったり。80年生きた人の知恵と技術を持っていて頼もしい面もあります。少女の面と、老婆の面と、その両方をハッカは持ち合わせているのです。
その両面性がときにかわいらしく、ときに妖艶であったりして、ハッカという人物をすこぶる魅力的に描き出します。話数を重ねるごとにその魅力も重ねられ、古糸青年も少女の姿のばあやであるハッカに幼い頃からの親しみと、それとはまた別の感情を覚えるようになります。それは恋にとても似ていますが、恋と言うにはあまりにも淡い。
そのほのかに淡い名状し難い感情が、『薄花少女』という作品の核とも言えます。それは単行本の表紙画にも表れています。微かで、しかしはっきりと彩りがあり、ふうわりとやわらかい。そのような何かが漂っているのです。
三浦靖冬のカラー画は水彩とカラーインクが主に使われ、透明感のある色彩が特徴なのですが、『薄花少女』の表紙画は各巻共通して、特に淡くほのかな、ややもすれば儚げにも感じられるトーンで描かれています。書店などで書影を見かけたときに感じる第一印象、それが読者の『薄花少女』の読後感かもしれません。
ロボットは、愛する人のそばにいてもいいですか
男児のみを跡継ぎとする軍人の家系に生まれ、男装で男性として生きることを強いられ女性としての成長を抑制された少女、ミクニ。女性としての機能が抑制されたミクニの代わりに「子産みの機能」を与えられた少女ロボット、とわ。この二人を中心に展開する物語。必要とする、される。愛する、愛される。幾つもの想いは悲しいまでに擦れ違い……。
- 著者
- 三浦 靖冬
- 出版日
- 2004-03-24
『とわにみるゆめ。』は三浦靖冬の2冊めの単行本で、はじめての連載作品です。『COMIC快楽天』に2003年に連載された原稿に大幅に加筆修正が施されたものが収録されています。この作品こそが三浦靖冬の代表作であると言って差し支えないでしょう。
ロボットと人間がともに生活する世界の物語です。S-ニュータウンなる猥雑な街で廃品回収を生業とする青年ギイチは、仕事中に動かないロボットの少女を見つけ、自宅に連れ帰ります。政府の指定外区域であるS-ニュータウンではほとんど見ないロボットが何故いたのか、ギイチは知りません。ギイチの家で少女は回復し、しかし突然、その身体に異変が起こります。秘所から液体の分泌がはじまり、それはギイチがこれまで知らなかった匂いを放ちました。その匂いをかいでしまったギイチの意識は俄かに眩み、身体が異常な昂奮を示しはじめるのです。
抗い難い衝動がギイチを少女との交合に駆り立て、ギイチは乱暴なほどのはげしさでロボットの少女と交わります。「子産みのための動力」としてつくられたロボットの少女はギイチの子を身籠ってしまうのでした。別の男性の子供を得るためにつくられたはずのロボットは、予定にない男の子種を得てしまったために、帰るべきところに帰れなくなってしまいます。
のちに「とわ」と呼ばれることになるロボットの少女は、「ミクニ」と呼ばれる少女の子供を彼女に代わって産むためにつくられたのでした。「私の子宮だ」と言い、自分の手許からいなくなったロボット、とわを従卒である兵隊ロボットのジュウソウに捜索させるミクニ。彼女は男児のみを跡継ぎとする軍人の家系に生まれて男性として生きることを強いられ、女性としての成長を抑制する薬を服むことを父の命令により余儀なくされています。
ギイチ、とわ、ミクニ、ジュウソウが、それぞれの立場でそれぞれの役目、「生まれてきた意味」をまっとうしようと生きています。しかし、運命の歯車は巧く噛み合いません。少しずつずれながらお互いの想いは入り混じり、そして擦れ違ってしまうのです。
自分ではないものとして生きることを強いられながら「強き者」として立とうとするミクニ。ミクニの手を離れることで自分として生きられそうだったとわ。とわに一個の人格を見出し強い情を感じていたギイチ。常にミクニの側に控え、幼い頃から見守り続けてきたジュウソウ。それぞれが別々の複雑な運命の隘路を辿って、やがて、その行方はひとつの結末へと収束していきます。
物語の最後の最後に、とわとミクニは対面します。それは残酷なまでに悲しい結末の一瞬、手前でした。誰もが過酷な運命の旅人で、その旅の終着地は必ずしも望む場所でもさいわいなる場所でもありません。しかしそれでも、この物語をお終いまで読んだ人はきっと誰もが考えずにいられなくなるでしょう。「この物語にはこの結末しかあり得なかったのだろうか」と。
物語のもの悲しさと、描かれる画面のもの寂しさ。物語の展開の胸を締めつけるせつなさ、やりきれなさ。それ等が狂おしいまでにうねりながら混じりながら、物語の結末に辿りついた読者に怒涛のように押し寄せてきます。最終ページ近くに挿入された2枚の見開きの絵は、必見にして圧巻です。
「成年漫画」という範囲に収まりきらないのではないかと思われるほどの叙情性を帯びた文学的作品『とわにみるゆめ。』。性描写が苦手という人にも、ちょっとだけ我慢をして読んでみて頂きたい秀作です。