能から身体の所作を学ぶ
能の考えを身体の扱い方という一面から捉えたのが、『身体能力を高める和の所作』という本です。能をしている人には高齢でも元気な人が多く、世間では、60代で定年になるのが一般的ですが、能の世界では70~80代の人達が舞台にあがる光景が一般的です。中には、90歳近い能楽師が舞台に立つ事も。著者は、能楽師が高齢でも舞台に立つことのできる理由として、能をすることで身体の芯、深層筋が鍛えられる事に起因するのではないか、と論じています。
- 著者
- 安田 登
- 出版日
- 2010-10-08
能をする上で最初にすることは、身体の癖をとることであり、猫背だったり、がにまた歩きだったり、そのような癖をとって美しい姿勢で動けるようにする事です。確かに、バレエでもフィギュアスケートでも身体の動かし方で美しさを表現する競技では、身体に癖があると見た目にもよくありませんよね。能では、それに加えて、身体の芯を鍛え声を出す訓練が行われ、その過程で、優れた身体作法を身につける事ができます。
能において身体の姿勢を良い状態に保つ原理の根本には、「陰陽の和するところを成就とは知るべし」という考えがあります。美しい姿勢を保つには、背中とお腹のバランスが大切であり、一本の芯が通ったような姿勢を維持することが大事。この一本の芯がある状態が、陰陽の和するところであり、理想的な身体の状態です。能では、面の動きを制御するため、動作の最中に身体の水平化が求められます。そうして、骨盤を水平に保つ姿勢が、自然と優れた姿勢を保つことに。
このように考えると、能の稽古をしていると自然と姿勢がよくなるのは、身体のバランスを整える動きが能の所作の中に含まれているからだ、ということが理解できます。この他には例えば正座も、座っているとお腹に力を入れることで、一本の芯が通ったような姿勢になる事が可能。このように、古くから伝わってきたものの中には、身体の姿勢に重点の置かれたものが数多くあり、日本の文化が、身体の所作を大切にしてきた事が分かります。
その他にも面白い点として、能の稽古では、腹に力を入れろ、と言われる反面、力むな、力を抜け、と言われることがあります。このような事を言われた方は、どうすることもできず呆然としてしまいますよね。これなどは、禅問答の矛盾する考え方と似ており、一見しただけでは判断が出来ません。古来から伝わってきた鍛錬や考え方には、分野を超えて似たような考え方と極意があるという顕著な例ではないでしょうか。
能の身体技法を学んでみたいという人におすすめできる一冊です。
仮面のもつ神秘を探る
『能とは何か』は、筆者の持つ能についての考えがまとめられた名著。繰り広げられるさまざまな考えは、読んでいて納得させられるものが多く、能を知らなくてもそこにある考えに同調してしまうよさがあります。
例えば著者は、能を、人間の身のこなしと、心理状態の中から一切のイヤ味を抜いたものである、と定義しています。能の動作を繰り返し訓練して洗練させていくと、その中に崇高な精神を表現できるようになり、美しい気品といったものが表れるようになる、と説明。これは、その他の芸事にも通用するもので、弓道で弓を放つ時の美しさなどを例にとって、訓練することで表れる洗練された雰囲気をイヤ味が抜けると表現した所に、筆者独自の感性をうかがい知ることができます。
また、筆者が論じる能の特徴として、新作が生まれてこないという点も特筆に値します。舞台芸術や映画、小説といった分野では、日々新しい作品が次々と誕生していきますが、能は違います。昔は、能にも多くの興業がありましたが、芸術性の高いもの、張り合いがあるもの以外は淘汰されていき、その種類は減少傾向に。このように、能は普通の芸能とは正反対の進化をしてきました。通常の芸能の発展を拡大的とすると、能の発展の仕方は縮小的です。しかし、その中に残った演目は、淘汰を乗り越えた優れた価値を持つ作品であり、それ故に面白さがあると言えるのでしょう。
最近では少数ながら新作能といって能の新作が演じられる事もあり、パイプオルガンを使った能、瀬戸内寂聴の小説を題材にした能や、漫画『ガラスの仮面』を基にした能もあり、バラエティ豊富。しかし、人気のある演目は、依然として羽衣などのような昔から伝わってきた作品であり、道成寺、土蜘蛛、敦盛などの人気作も古来から伝わってきたものです。
そして、そのような能の持つ魅力の一端を表しているのが、特徴的な仮面です。本書では仮面についても面白い考えが展開されていて、著者は、舞台で様々な喜怒哀楽が演じられていても、仮面はあくまで無表情である点に着目しました。
「無表情の中にあらゆる表情を含んでいなければならぬ。無気分のうちに、あらゆる気分を表わし得るほどのものでなければならぬ」
(『能とは何か』から引用)
確かに考えてみると、無表情の仮面から声が出て、激しく舞っていても仮面は無表情、舞台が盛り上がればそれほど仮面の表情のなさは際立ちます。そう考えると、激しく繰り広げられる動静の中で、表情を変えない仮面というものの不思議さ、面白さには、計り知れない妙味があると言えるでしょう。
その他にも、能の持つ却来という考えを筆者独自の視点から論じる部分などは読みごたえ十分。能について見識を深めたい人におすすめしたい一冊です。
能のもつ優れた側面を深く考察
白州正子による能の捉え方、演目の説明などが書かれた本が『お能の見方』です。著者は、本書の中で舞台芸能の本質を卓越したものの見方で説明、観客は能とどのように向き合えばいいか、など、優れた考え方を繰り広げます。
- 著者
- ["白洲 正子", "吉越 立雄"]
- 出版日
例えば、著者は、能や演劇の楽しみとは、目や耳を媒介として舞台で行われることを身体で真似る事で、表わされた世界に入っていく事にある、と表現。続けて、能に宿る思想について、普通の演劇のように演者と観客が分かれるのではなく、むしろ一体となる所にその特徴が表れている、と説明します。このように、本書の中では、能に対する観客の在り方についても優れた意見が示される点が特徴です。
これに対して、世阿弥は、演者の極意として、優れた舞をするには物まねをしているうちは駄目で、もの自身になりきることができたとき、優れた舞いをする事ができる、という考えを展開。その他にも、世阿弥は、演者が観客目線で舞を捉え、演者と観客が一体化する離見の見という考えも示しています。
このように考えてみると、能楽師は役柄や観客と一体になることで優れた舞を行い、観客は、能楽師や表出される世界と一体になることで優れた鑑賞を行う事ができる、と捉える事ができます。そして、著者は、能楽師が、ただ舞の形をしているに過ぎない、というような領域の芸に、能独特の幽玄と呼ばれる美しさが宿ると指摘。
このように考えると、演者と役柄、演者と観客が一体となり、そこに舞の形だけが表れる時の美しさが、幽玄であると捉える事ができます。演じるものと演じられるもの、舞う者と観る者という二者、あるいは陰と陽が一体となった末、舞の形だけがあるようなときに優れた性質が発揮される。著者のこのような考え方は、能のもつ優れた側面を表しています。
また、能の発展の道筋を著者なりの見方で論じた部分も面白く、例えばそれは道具のあり方にも表れています。
能では、昔は舞台上で本物の道具を使用することもありましたが、今では作り物の道具さえ用いることはまれです。普通に考えると、実物に近い道具を用いた方が、リアリティがあっていいような気がしますよね。しかし、能の世界では、写実を用いるより見えざる道具を想像した方が効果的であると考えられており、著者は、このような省略を、工夫を尽くした末に考えられた単純化である、と言います。噺家が扇子を様々な物に見立てて使いますが、能にもその精神が表れているのでしょうか。異なる分野の芸能の中に、同じような物の使い方が表れているのは、面白い類似だと思います。
この他にも、「人から盗んだものは身につくが、教えられたものは忘れてしまう」といった言葉や、演目に面白みのある影清、月見座頭といった能の紹介などは読んでいて面白く、勉強になる部分も。卓越した能の捉え方に興味のある人は、是非読んでみてください。