宮木あや子作「花宵道中(はなよいどうちゅう)」
主人公は吉原の女郎、朝霧(あさぎり)です。吉原が火事で全焼したため、深川八幡前の仮宅が舞台となっています。あるとき、朝霧は妹女郎と一緒に八幡様の縁日に出かけます。そこで、運命の男に出会います。男は朝霧を女郎と知っても蔑まず、脱げた草履を人込みから探し出してくれます。そして、草履の鼻緒に使われていた青い牡丹の花を見て言います。
「この鼻緒の友禅。俺が染めたんだ、京都で」
自分の草履の鼻緒が、目の前にいる親切な男の手によるものという運命的な偶然 。男の指が朝霧の指に絡みつくと、朝霧は恋に落ちてしまいます。しかし、朝霧は女郎です。仕事として好きでもない男の宴会に出ることになります。馴染みのお大尽吉田様の宴会に出ると、なんとそこに運命の男が同席していました。
好きな男の目の前で、好きでもない男におもちゃにされる朝霧。実は彼女は、酒が入ると肌に花が咲くという体質なのです。吉田屋はその珍しい花を、染め物職人の男に見せるため、朝霧の合わせを開きます 。そこには、羞恥心に苦しむ朝霧がいます。それを面白がる吉田屋のえげつなさ。
その後、吉原の掟を破って、男と逢うことになります。朝霧の夢だった花魁道中の真似ごとをしてくれた男。そして、木にもたれかかって身を任せる朝霧。吉田屋様の時とは大違いの積極的な性愛シーンは、読みごたえがあります。
鮮烈な官能描写、それも女性の立場での感覚表現にどきどきしました。
- 著者
- 斉木久美子
- 出版日
さて、「花宵道中」は平成の作家さんに書かれた小説ですが、本物の花魁が書いた日記もあります。
森光子作「吉原花魁日記」
花魁をテーマとしたフィクションは数知れずありますが、実話にはなかなかお目にかかれません。一気に読み終え、読み終えたと同時にまた最初から読み返してしまいました。それほどの衝撃でした。
どんなふうに騙されて身売りされるのか、商売内容を知らず吉原で暮らす日々。そして、いよいよ水揚げ。
この本の中にはいくつか黒塗りの部分があります。
例えば、十九歳の春駒が商売内容を十分把握することなく、初めての客をとる場面。
「客が部屋へ連れて行ってくれと言うけれどもどうしたらよいのでしょう?」
おばあさんは、「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」と言った。
ここのおばあさんのセリフ、三行が黒塗りです。おばあさんは何と言ったのか、なぜ黒塗りにしなくてはならないのか。今の時代の私には想像することもできません。
前述の「花宵道中」の女郎は一夜に一人を相手にする設定でしたが、「春駒」は一夜に何人もの男の床に、何度も入ってゆかねばならず、夜は眠ることを許されません。実際の吉原女郎は、恋に燃える暇も体力もない過酷な労働現場だったことがわかります。
- 著者
- 森 光子
- 出版日
- 2010-01-08
次に紹介するのは古い作品です。
西口克己作「廓(くるわ)」
京都伏見の貫銀楼という遊廓を舞台に、明治から昭和の風俗が描かれています。
廓にはいつも貧しい女性が売られてくるのですが、時代の変遷とともに女性たちも廓主も考え方が変わっていきます。飢饉で食べ物がなくなった貧しい村の娘が、仕事内容を知らされず騙されて売られた明治時代。しかし昭和に入ると 、法律の改正で女性を借金で縛ることができなくなり、この商売は女性が行う自由業という建前になっていきます。
それでも、身を売るしか食べる方法のない女性が廓に自らやってくるのです。それは、未開放部落の人や原子爆弾で身体が不自由になった人など、時代が反映されています。日本人女性による従軍慰安婦の実態も書かれています。戦争の時代は、経済的に貧しい人も豊かな人も、平等に人を苦しめました。わたしたちの祖父母がどんな苦しみを乗り越えてきたのか、遊廓という舞台を通して想像することができるのです 。
- 著者
- 西口 克己
- 出版日
さて、時代を巻き戻して江戸時代です。
江戸時代には女郎や花魁(おいらん)と芸者とは、きっちり棲み分けていたようです。女郎・花魁は春を売り、芸者は芸を売るものでした。このような事実の知的好奇心を満たしてくれるのは、田中優子作「芸者と遊び~日本的サロン文化の盛衰」、そして相原恭子作「京都舞妓と芸者の奥座敷」の2冊です。